第五章 彼のいない狂騒の夜 ~若いわりには~
てのひらの中に残っていた破片から見て、相手が使っているのは狩猟用の弓矢だろう。軍で使う長弓ほどの射程はないが、代わりに取り回しがよく、短時間で何本も矢を放てるはずだった。
一瞬ユーリックは、どこかの狩人がこちらを熊か何かと思い込んで誤射したのかとも思ったが、すぐにその可能性を打ち消した。ユーリックが着ている勢子の衣装は赤を基調とした派手なもので、獣と見間違うとは考えられない。
「つまり……最初からおれを狙ったか」
そう考えたほうが、不測の事態には対応しやすい。この森にたちの悪い連中が巣食っているのは昼間の襲撃を見れば明らかだった。
「!」
その時、がさりと大きく枝葉が揺れる音がした。
いまだに姿を見せない狩人は、地上ではなく樹上を移動している――そう察すると同時にユーリックは走った。上から見下ろされていたのでは、木陰にひそんでいてもさして意味はない。
「やはり狩人じゃなさそうだな――」
まともな狩人は枝伝いに移動したりしない。さらにいうなら、こちらが人間だということはすでに判っているだろうし、それでもなお謝罪もなく姿も見せない以上、害意を持った相手と判断するには充分だった。
「……まあ、万が一うっかり者で身の軽い狩人だったらあとであやまればいい」
樹上の敵は、地上を走るユーリックにぴったりと追いついてくる。驚くべき身のこなしというべきだろう。ある意味、そんな相手の動きを信用して、ユーリックは眼前に迫った巨木の幹を蹴った反動で大きく飛び上がった。
「うぃっ!?」
奇妙な声を頼りに視線を転じると、すぐそこの太い枝の上に、弓に矢をつがえた若者がいた。
「この――」
ユーリックの予想外の行動に驚いたのだろうが、それでも若者の動きは止まらない。すぐに舌打ちしながら弓を引き絞るのが見えた。
「明らかにおれを狙ってるな」
若者の敵意を確認し、ユーリックは腰に下げていた兎を投げつけた。
「ぶふっ」
小さな兎とはいえ、ユーリックの異形の腕力で投げつければ十二分な破壊力を持つ。みぞおちに重い一撃を受けた若者は、弓を取り落としてみずからも木から落ちた。
「ぐっ、ふぅ……!」
低い位置にある枝を掴んで直接地面に激突するのをまぬがれた若者は、苦痛に顔をしかめながらも腰から大きな鉈を引き抜いている。ユーリックの腰にある借り物の剣よりずっと短いが、その刃には武骨な厚みがあり、ぶつけ合えば折れるのはこちらの剣だろう。
「…………」
剣は抜かず、ユーリックは拳を固めて大股で若者に迫った。正体は判らないものの、こうしてユーリックを襲ってきたということは、山賊、盗賊のたぐいには違いないし、もしかすると近くに仲間がいるのかもしれない。後顧のうれいを断つためにも、捕らえて締め上げ、情報を聞き出すべきだった。
「シャハラニ! てめえにゃ無理だ、バムサウドの手伝いに回れ!」
「!?」
ややかすれ気味の女の声に振り返ったユーリックは、不意に飛んできた矢を左手で叩き落とした。
「とっ、頭領!? でもこいつ、せっかくひとりで出歩いてんだし――」
「いいからどっか行ってろ! わたしもすぐに追いつく!」
「は、はいっ!」
「……!」
慌てて身を起こし、その場から走り去る若者。しかしユーリックはそれを追うことはできなかった。続けざまに二の矢、三の矢が飛んできて、ユーリックの動きを封じていたのである。
ただ、その矢の軌跡から、ユーリックはあらたな敵の居場所をほぼ見極めていた。
「……出てこい!」
四の矢が飛んでくるのに合わせ、ユーリックは腰の剣を投げつけた。
「っと!」
激しく回転しながら飛んだ剣が太い木の枝を切断し、それといっしょに長身の女が落ちてきた。
「ガキのくせに馬鹿力だな……盗賊どもを平気で殴り倒してただけのことはあるってことかよ」
「……?」
小麦色の肌と黒髪を持つその女に見覚えはない。が、どうも向こうはユーリックのことを知っているような口ぶりだった。今のひとり言から推察するに、昼間の襲撃にも一枚噛んでいるのかもしれない。
ユーリックはあらためて拳を固めて身構えた。
「――何者だ? この森に巣食ってる盗賊じゃないな? 見た目で判断するのも何だが、あんた、そもそもこの国の人間じゃないだろう?」
「シャルタトレスだ」
女は大きな弓を構えたまま答えた。奇妙な響きだが、異国の人間の名前だとすれば合点がいく。こうしてユーリックの前に姿を見せても動じることなく、馬鹿正直に名前まで名乗っている時点で、このシャルタトレスなる女はかなり豪胆な戦士、あるいは狩人のようだった。
あの若者が使っていたものよりもはるかに大きい弓を微塵のぶれもなく構え、シャルタトレスはいった。
「――てめえも名乗れ、小僧」
「そんな義理はないが」
「は? ふざけんなよ、てめえ」
「仲よく話し合うような関係性を構築するのはどう考えても無理だろ。なら名前なんぞ聞いても意味はない。――だいたい、おれはあんたが何者なのかって聞いたんだ。名乗れとはいってない」
「ちっ……こまっしゃくれたガキだな」
そう吐き捨てながら、シャルタトレスは素早く矢筒から新しい矢を引き抜いた。
「……まあ、何となく察せるが」
どこかへ逃げおおせたさっきの若者も、それにこのシャルタトレスも、フルミノール人にはありえない肌の色をしている。アフルワーズは南方からやってきた砂漠の民が作った国で、そこに住む人々はこのような小麦色の肌の持ち主ばかりだという。となれば、この女はアフルワーズからアマユールの輿入れを妨害するために送り込まれた刺客という可能性が高い。
ユーリックはシャルタトレスが弓を引き絞る間に距離を詰めて殴りかかった。
「女が相手でも容赦しねえってのはいい。ガキのくせに覚悟が据わってやがる。……だがよ、大胆すぎて危なっかしいな」
シャルタトレスは後方へ飛びすさりながら矢を放った。
「ちっ……!」
いかにシャルタトレスの矢が強力でも、頭や胸といった急所さえはずせば致命傷にはなりにくい。両腕を盾として使いながら接近し、一撃入れることができれば決着はつく。むしろユーリックは、目の前にいるこの女の正確な素性よりも、逃げたシャハラニという名の若者のことが気になっていた。
彼らの会話から推測するかぎり、シャルタトレスには最低でもほかにもうひとり、バムサウドという仲間がいるのは間違いない。しかも、すぐに合流できるくらいのそう遠くないところにいる。彼らがアフルワーズから来た刺客だとするなら、合流して向かう先は一行の夜営地だろう。
「……さっさと始末させてもらう。夕食の時間までに戻らなきゃいけないからな」
「いっぱしの口を聞くなよ、小僧のくせに」
再度シャルタトレスが矢をつがえる。その鏃が自分の胸に向けられているのを見たユーリックは、下手に避けようとせずにまっすぐ突っ込んでいった。
「おれがまだガキなのは事実だが、今そのことが関係あるか?」
「あるかもな」
「何――?」
弦が鳴る音を聞いたユーリックは、シャルタトレスの放った矢を反射的に右手で払いのけた。なぜか鏃が赤く輝いたような気がしたが、ユーリックの動きに遅滞はない。迷わず右手を振り抜いたその瞬間、ユーリックの目の前で激しい閃光と衝撃が広がり、意識が遠のいた。
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