第五章 彼のいない狂騒の夜 ~後悔~

「――実際に通ってみればすぐに判るから。興味のない勉強とかさ、ホントにただの苦行だって」

「バラウールさん、アマユールさまの勤勉さをスポイルするのはやめてくれる?」

「ってゆ~か、これ、人生の先輩が実体験を伝えてるだけだし」

 こんな状況で自分たちは何を話しているのだろう。はたから見れば異様かもしれないし、滑稽かもしれない。クリオがそう感じるんだから、優等生のレティツィアはもっとそう感じているはずだった。

 けど、レティツィア自身も他愛のないおしゃべりを止めようとはしない。それがアマユールの恐怖をやわらげると判っているからだろう。

「――そういえば方角これで合ってる?」

 かれこれ一〇分ほどたったか、おしゃべりが途切れたところでクリオは背後を振り返った。先導するレティツィアのランタンのほか、闇の中に明かりは見えない。後ろから追いかけてくる人間や馬の足音らしきものも聞こえなかった。

 レティツィアはいったん馬を止め、月を捜して視線をめぐらせた。

「そんなにずれているとは思わないけ――どっ!?」

 唐突にレティツィアが吹っ飛んだ。何が起こったのかクリオには判らなかったけど、それが不自然な吹っ飛び方だったのは判った。

「れ、レッチー!?」

「……に、逃げて、バラウールさん!」

「え――」

 うまく尻餅をつく形で落馬したレティツィアは、すぐさま立ち上がり、馬の鞍からぶら下げていたランタンをはずして放り出した。

「どこにいるか判らないけど敵がいる!」

 その言葉とほとんど同時に、転がったランタンのそばに矢が突き立った。

「明かりを目印に狙撃された……早くこの場から離れて!」

「で、でも、レッチーは――」

 よく見ると、レティツィアの左肩のところが裂けて血がにじんでいる。たぶん最初の矢で負傷したんだろう。

 それでもレティツィアは右腕一本でふたたび馬にまたがり、

「早く! ここはわたしが時間を稼ぐから!」

「そんな……だったらここでいっしょに戦ったほうがよくない!?」

「アマユールさまは巻き込めない! 早く!」

 そう叫ぶレティツィアの足元に、立て続けに矢が突き刺さる。きっとレティツィアは、あえて大声を出すことで、敵の意識を自分に向けさせているに違いない。

 それに気づいたクリオは、鐙にかけた足で馬の横腹を蹴った。

「くっ、クリオ!? いいのか、レッチーは!? こっ、このまま――」

「いいの! たぶんレッチーが正しいから!」

 心情的には残ってレティツィアといっしょに戦いたい。でも、そこにアマユールを巻き込むのは確かに間違っている。先に行けというレティツィアの判断は正しいし、その覚悟を無駄にしたくはなかった。友人を見捨てて逃げるという後ろめたさにさいなまれようとも、今はアマユールを守らなければならない。

 だからクリオは後ろを振り返ることなく馬を走らせた。

「……ユーくんのいった通りになっちゃったよ……」

「な、何だ、クリオ!? 何かいったか!?」

「何でもない!」

「そうか――で、でも、そなたには前がちゃんと見えているのか!?」

「みん、見えてない!」

「は!?」

「でも大丈夫、な、何か障害物があっても、うっ、馬のほうが、勝手に避けて――」

 そういいかけたところで、低い位置に張り出した木の枝が目の前に迫っていたことに気づき、クリオはアマユールを押し潰すように身を伏せた。

「うぶぇ――」

「ごっ、ごめん!」

 上からアマユールにおおいかぶさったまま、クリオは無我夢中で馬を走らせた。こちらの目的がボドルム行きと知られているのなら、馬鹿正直に南西を目指していては追跡を簡単にさせてしまう。今は本来のルートを無視してでもこの場から離れるのが最優先かもしれない。

 だけど、クリオはその判断に自信が持てなかった。こんな時ユーリックならどうするか、そう考えようとしても、頭に思い浮かぶのは彼の安否のことばかりで、なかなか集中できない。

「ユーくん……!」

 アマユールにはばれないよう、小さな声でユーリックの名を呼び、クリオは目尻に浮いた涙を拳でぬぐった。


          ☆


 春先で木々にみずみずしさがあったのがさいわいしたのかもしれない。あるいは最初から、あのシャルタトレスという女が、大きく燃え広がるのを嫌って手加減していたのだろう。

 いずれにしろ、身動きが取れなかったユーリックが焼死をまぬがれたのは、彼の迂闊さを思えば幸運だったといえる。

「…………」

 焦げ臭い夜気を吸い込んだ拍子に軽く咳き込み、ユーリックはゆっくりと身を起こした。

 ユーリックが倒れ込んでいたのは大きな小川のほとりだった。きしむような全身の痛みから推察するに、おそらく何度も地面やあたりの木々に激しく激突し、その衝撃で気を失っていたのだろう。

「く……」

 膝に手を当ててどうにか立ち上がろうとしたユーリックは、その時初めて自分の右腕がないことに気づいた。ゴーレムの強度を持つはずの籠手状の義手が消失し、中身のない袖がだらりと垂れ下がっている。しかも、借り物の衣装もあちこち焦げていて、火傷を負っているのか、肌がひりひりと痛い。

「……?」

 ようやく立ち上がったユーリックの正面に、黒く焼け焦げた道がまっすぐに伸びている。まるでそこを巨大な火の玉が通りすぎ、下生えや灌木をことごとく焼き焦がしていったかのようだった。

「……あの女の仕業か」

 混濁していた意識が鮮明になるにつれ、自分に何が起こったのか、ユーリックは徐々に理解し始めた。

 ユーリックの腕を吹き飛ばしたのは、ほぼ間違いなく、シャルタトレスが最後に放った一本の矢だろう。あの矢を右手で払いのけた瞬間、激しい炎に包まれると同時に激しい衝撃によって大きく吹き飛ばされた。常人であれば、あの時の衝撃で即死はまぬがれなかったかもしれない。

「――魔法剣の亜種、か」

 いったん小川に身を沈めて身体を冷やしながら、ユーリックは考えを整理した。

 敵を攻撃するための魔法にはさまざまな種類があるが、クリオのように魔法で生み出した炎を矢のように飛ばす以外にも、たとえば自身の剣先に炎をまとわせて攻撃する手段も存在する。クリオいわく、生み出した魔法の炎をうまくコントロールして飛ばすのはそれなりに難しいらしく、むしろ炎の剣を作り出して直接叩きつけるほうが効率がいい面もあるらしい。ユーリックはまだ目にしたことはないが、学長やレティツィアがこの手の魔法剣を得意としているという噂は耳にしたことがある。

 シャルタトレスが放った矢は、その魔法剣を応用したものだったのかもしれない。そういうことが本当に可能かどうかは別として、そう考えればあの威力にも納得がいく。ユーリックは小さな鏃をはじいて逸らすつもりで、実際には凝縮された巨大な火の玉をはたいてしまったのだろう。その刹那、抑え込まれていた爆炎が一気に解放され、ユーリックはここまで吹き飛ばされた――。

 そこまで分析して、ユーリックは川から上がった。火傷や打撲の痛みは依然として残っているが、悠長に休んでいる暇はない。ほんのわずかだが、森の中にはまだ西から残照が射し込んできている。そこから計算すると、ユーリックが気を失っていた時間は三〇分もないはずだった。

 ただ、三〇分が三分だったとしても、意識のない人間にとどめを刺すには充分すぎる時間でもある。

「どこに行った……?」

 ユーリックは慎重に黒く焼け焦げた道を逆にたどっていったが、すでにシャルタトレスはこのあたりにはいないようだった。そもそもユーリック自身、シャルタトレスたちとの戦いの中で、森の中での自分の位置――いい換えれば自分が戻るべき夜営地の方角を見失っている。

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