第二章 彼らの嘘 ~異国の宴~
「いきなり人のものを寄越せとかいう子に態度のこと指摘されても、ぜんっぜん響かないですー!」
地団駄を踏む少女を見下ろし、クリオは勝ち誇った笑みを浮かべた。この少女がどこの誰なのかは判らないけど、ちょっとというかかなり生意気で、ついついからかいたくなってしまう。
「お嬢さま……確かに大人げがなさすぎますよ」
呆れたように溜息をついていたユーリックが、その時、何かに気づいたみたいに振り返った。
「――――」
「どしたの、ユーくん? まさかホントに熊でも出た?」
それを聞いて、少女が慌てたようにあたりを見回し始めた。
「くっ、ま!? ど、どこ!? どっちから来る!?」
「熊ではありませんが……誰か来るようです。四、五人はいるでしょうか」
「え!? そ、それもまずい!」
「…………」
ふたたび驚きの声をあげた少女を、ユーリックは目を細めてじっと観察している。
「――お嬢さま、どうやらこちらのご令嬢は何者かに追われているご様子ですが」
「え? そうなの?」
「あー……じ、実はそう! そうなのだ! 追われてる! 捕まるとかなりまずいことになる! だからどうにかしろ!」
あたふたしながら、それでもまだずいぶんと偉そうな少女である。クリオは小さく嘆息して身を屈めると、少女の口にクッキーをひとつ押し込んだ。
「というか、そもそもあなた何なの? このへんに住む樵とか狩人の娘じゃないよね、絶対?」
「それは……説明すると長くなるというか、長くなりすぎるというか……とっ、とにかくこのまま見つかるのはまずいのだ!」
クッキーをもぐもぐやりながら、少女はどうにかそばに立つ木によじ登ろうとしている。クリオは身を起こし、ユーリックの意見を求めた。
「どうする、ユーくん?」
「お嬢さまのなさりたいようになさればよろしいとは思いますが……」
「じゃあとりあえず様子見する?」
「承知いたしました」
ユーリックはクリオをひょいと背負い、続いて木肌にしがみついてもがく少女をかるがると肩に乗せた。
「――うおっ!?」
「あなた……仮にも女の子ならもう少しそれっぽい悲鳴をあげたら? うお! じゃないでしょ」
「だ、だって、急にこの者が――」
「おふたりともお静かに。ひとまず身を隠しますので」
ユーリックの脚力なら、自分自身に加えて少女ふたりぶんの体重を高い木の上まで持ち上げるくらい何てことない。ユーリックは太くてしっかりした枝を選び、クリオたちを連れて一気に飛び上がった。この高さに加えて周囲にこれだけ緑の葉っぱが茂っていれば、地上を歩く人間の目からうまく身を隠すことも可能だと思う。
ただし、あくまで静かに身をひそめていれば、である。
「ひゃあああぁあ!?」
唐突に二階家の屋根の高さくらいまで飛び上がったことに驚いたのか、ユーリックの肩の上で少女がけたたましい悲鳴をあげた。
「おい! 今のを聞いたか!?」
「悲鳴だったぞ! あっちだ!」
遠くからそんな男たちの声が聞こえてくる。クリオはユーリックの肩にかつがれた少女をじとりと見やり、
「……ユーくんの努力が無駄になったね。今、確実に」
「い、いや、だって今、きゅっ、お、驚くだろう、ふつう!? 急にあんな……」
少女は薄っぺらい胸に手を当て、たどたどしく弁明した。
「おふたりとも声を落としてください。……誰か来ましたよ」
ユーリックの言葉に、クリオは眼下を見下ろした。
「こちらのほうだったと思うが――」
「誰もいないぞ?」
「まさかもっと先に?」
そんなやり取りをしながら現れたのは、勢子の服を着た近衛の男たちだった。
「まだ見つからないんですの!?」
ずきゅんと鼓膜に突き刺さるような甲高い声でわめいたのは、近衛兵たちからやや遅れて、ジュジュ先生の手を借りてやってきた五〇ほどと見える老婦人だった。やたらと洒落のめしたドレスをまとっていて、こっちもまたこんな森の奥にふさわしい人種とも思えない。
「あちゃー……」
三角眼鏡の老婦人を見て、少女は小さく呻いている。その表情から察するに、どうもこの少女と老婦人は顔見知りか何かみたいだった。
「ああ……もしおひいさまの身に何かあれば、旦那さまへは無論のこと、いかにして陛下へ申し開きをすればよいのか――」
「カルデロン夫人……そう気落ちなさらないでください」
よよよと弱々しく首を振る老夫人――カルデロンさんをささえ、ジュジュがなぐさめの言葉をかけた。
「おそらくずっと馬車の中に閉じ込められていたために、少し羽根を伸ばしたくなったのでしょう。子供の足ではそう遠くへは行けないでしょうし、きっとすぐにお戻りになられますから」
「それは……そう信じておりますけど」
隊長たちの会話をもれ聞いたクリオは、眉間にしわを寄せてユーリックにささやいた。
「……ねえ、隊長たちが捜してるの、やっぱりこの子のことじゃない? おひいさまだとか子供だとかいってるよ?」
「ではどうなさいます?」
「事情を聞いてみればいいじゃん」
「承知いたしました」
「あ!? お、おい、ちょっと待て――」
少女が慌てて止めるより早く、ユーリックはふたりをかついだまま飛び下りた。
「むっ!? 何奴――」
「お待ちください」
いきなり樹上から現れたクリオたちに驚いた近衛兵たちが、咄嗟に腰の剣を抜きかけていたけど、相手も同じ勢子の衣装を着ているのに気づいたらしく、寸でのところでその動きを止めていた。
「きみたちは……確かバラウールくんとドゼーくんだったな」
「おひいさま!」
ほっとした表情を浮かべるジュジュ先生を押しのけるようにして、カルデロン夫人が大股で詰め寄ってきた。
「なぜ勝手にお逃げになったのです!? しかもこのわたくしめに嘘までおつきになって――」
「う、嘘はいってない! トイレに行きたくなったのは本当だから!」
「見え透いた嘘はおよしください! ……そもそも何なのですか、その言葉遣いは!」
「べ、別にいいじゃんか、時と場所をわきまえれば――」
「よくはございませぬ!」
ぼーっと突っ立っているユーリックを中心にして、少女と老夫人はあれこれいい合いながらその周囲をぐるぐる回っている。珍しく困惑の表情を浮かべているユーリック見て噴き出しそうになるのをこらえ、クリオは隊長に尋ねた。
「すいません、それで結局、あの子って誰なんですか?」
「しっ! あの子なんてかるがるしくいっちゃダメよ、バラウールさん」
ジュジュはぴとっと豊満な身体を押しつけるようにクリオの肩に手を回し、声をひそめていった。
「まあ、こうしてあなたたちの目に触れちゃった以上、隠しても無意味だと思うから教えてあげるけど……」
クリオの耳にふぅっと息を吹きかけるジュジュ。以前から思っていたけど、どうもこの女教官は、女子生徒に対してやたらスキンシップを取るというか、距離感が近すぎるような気がする。
「彼女はアマユール・ドルレアック嬢――今のバルデ公の末のお嬢さまよ」
クリオが思わず首をすくめたその瞬間、小さな声をあげて驚いていたのは、クリオじゃなくそばにいたユーリックだった。正直、クリオにはそれを聞いても少女が何者なのかぜんぜん判らなかったのである。
☆
もともとアフルワーズの王や貴族たちは、今の国土よりずっと南方の、熱砂の大地に住んでいた遊牧民だった。そんな彼らが、故郷よりはるかに湿潤で――相対的にとても寒い――今の土地に定住することになったのは、数百年前に大流行した腐れの病が遠因のひとつといわれている。
ひとたび罹患すれば四肢が腐ってほどなく死にいたるこの奇病が蔓延したふるさとを捨て、広大な内海を渡って北の森林地帯に脱出してきた一団を率いていたのが、現在のアフルワーズ王家の祖といわれるガル・サルゴン――サルゴン一族であった。
見慣れない黒い髪と小麦色の肌を持つ彼らは、当時の北方人たちにとっては、ある日突然やってきて死病をばらまく異人であったろう。彼らは決して流行り病による被害を拡大させるために現れたわけではなく、病から逃れるために移動してきたにすぎない。ただ、腐れの病が北大陸に広まるのと彼らの来訪時期がかさなっていたことが不幸を招き、現地の人々から激しく排斥されることになってしまった。
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