第10話 型船の建造と壱岐へ植民、そして朝鮮半島への攻撃開始

  さて、海賊のたぐいを返り討ちにしていくうちに、俺の手元には大小の船が手に入ることになった、この時代では切り込みによって船を制圧するのがほとんどだから船体には傷がつくことはあまりないからな。


 そういった船を用いて俺は船団を用いての瀬戸内海での水運が可能になった。


 船団を使い水銀や干し椎茸などを売りさばいて結構な額の資金を手に入れる事ができた。


 しかし、それらの船は準構造船と呼ばれる丸太をくり抜いて横木で押し広げたものに横板をつけたもので、安定性が悪く、大型化に向かないものだった。


「とりあえず、かわらを用いて船底の面積を増やすかね」


 船底を丸太をくり抜いたものから数枚の板を重ね継ぎして、大きな板とすることで横幅を広げることで積載量を増やすわけだ。


 中国のジャンク船や西洋の船のような喫水が深い船に対応した港は日本には殆ど無いので使いづらいんだよな。


 刳船部材と違って板のかわらは大きくなるくすのきという特定の木材を必要としないため、造船が容易になるのは大きい。


 後々の弁才船なども基本的な構造は変わらない。


 この船に居室用の屋形を増設したり、艤装品を補充するなど大がかりな改修を施したものが遣明船だ。


 とりあえず中国大陸や朝鮮半島へ渡るくらいはこれでもできる。


 ただし、この時代の帆はイグサをよった筵を使ってるので雨に濡れると重くなりそこに横風を受けると横転することもよく有ったし、筵では三角帆を作れない。


 筵の横帆では追い風のときはいいが横風などの時に進むのは難しい欠点がある。


 横帆では向かい風に対しては風の来る方向から左右60°くらいまでしか無理だが縦帆だと45度ぐらいまで可能だ、この差は結構大きいから基本的には特定の季節しか、大陸などへは渡れなかった。


 実のところ日本においての筵の帆はこの跡も長く使われ、江戸時代の16世紀後半になって木綿帆が大型船や軍船に17世紀後半になってようやく一般の廻船や小型船に木綿帆が使われるようになるくらいだ。


 その最大の理由はそれまで木綿が非常に高価であったこととその時代に紡績と裁縫の技術がある程度確立したことにあるわけだが。


 日本の船体の構造的な問題としての甲板が無い事で、船に水が貯まることとか、舷側が低いから大きな横波を被ると波がまともに船の中に入ってきてしまうという欠点もある。


 しかし、天然の良質な港が片手の指で数えられるほどの少なさの日本では舷側を高くすると、荷物の積み下ろしが難しくなる、まったくもって悩ましいことだ。


 また西洋や大陸の船は大きな木材を入手することが難しかった関係上、小さい板を大量に並べて作っている。


 和船は大きくて分厚い板を少ない枚数で組み合わせて作られている。


 これは巨木という森林資源の多さの違いによるものだ。


 実際に大陸との貿易では木材は日本からの輸出品として珍重されていた。


 構造的には大きな板を使ったほうが板と板の隙間から浸水する可能性が低くなるし、全体としての強度も高くなる。


 中国のジャンクや日本の船は舵を船尾に取り付けてはいたものの、取り外し可能で、つりおろすことも出来るようになっている。


 これは、舵を下ろして重心を多少下げて船を安定させることが出来るという利点がある。


 平底でも沖に出てもしっかりと旋回ができ、浅瀬では底に当たる前に舵を引き上げれることができるわけだ。


 しかし、金具などでしっかり固定されていない舵は、追い波などで後ろから波が打ち込むと、舵板に掛かる水圧で舵本体や舵を固定する穴などが壊れて操船不能に陥る事が多い欠点もある。


 となると壊れにくいように舵を改良する。


 水が入らないようにと船体の強度を上げるためと、帆の方向を変えられるように甲板を作る。


 三角帆を用いた縦帆船をつくる。


 大型船であればよっては帆柱を複数立てて縦帆と横帆を組み合わせて作るといったところか。


 麻を厚く織り上げて、針は皮細工を作る時に使う太い針を使って三角帆と四角帆を作らせ、横幅の広い大型船を作らせた。


 そしてそれが完成する。


 安宅船にスクーナーのような帆を張ったような船は大勢の人間を載せることができ、漕手をあまり必要としないという点では悪くない。


「いい船ができたんじゃないか」


 俺は船を眺めてニヤニヤしていた。


 船底に横板を使った船は大阪が発祥らしいが少しばかり時代を先取りしてる。


 いや、小型の船であれば琵琶湖でもう使われてるんだがな。


 俺は酷税により田畑を捨てて逃げ出した者や借金のかたに売られたものなどを集めて、船の水夫と戦闘員を兼任する人間として育て上げた。


 そして、俺は鎌倉幕府の渡航の許可を得たあと、船に水銀や干し椎茸、鰹節、木材を積み込み、博多に立ち寄って通訳を雇い入れ、更に薩摩硫黄島に立ち寄って硫黄を仕入れると中国大陸の杭州へ向かった、通訳は俺も一応広東語を習ったが、付け焼き刃ではあまりうまく喋れるとも思えなかったんでな。


 ここは、南宋時代には事実上の首都、臨安府が置かれ、南宋が元により滅ぼされたあとも杭州路は繁栄している。


「さすが、南宋の首都だっただけあって本当に栄えてるな」


 市場には食料品、衣料品、生活雑貨などが雑然と並べられている。


 堺もそれなりに繁栄してる方だと思ったが、市場の活気は日本とは比べ物にならない。


「これが中国大陸の市場か、すげえもんだな」


 まあ、今回は食い物や日用品を買いに来た訳じゃない。


 俺は通訳を通じてこの地の商人と水銀や干し椎茸、木材、硫黄を銅銭、陶磁器、茶、紙や筆、墨といった文房具、漢方薬の薬材、各種の香料、砂糖や胡椒などの調味料や香辛料、錦などの繊維、マッチ、2動作ピストン式ポンプなどの先進的な技術品などと交換した。


 それに加えて大型ジャンク船も購入した。


 流石に硝石は売ってくれなかったがな。


「いやいや、大儲けできるな、これは」


 勿論日本国内でも水銀や干し椎茸などは高く売れるが、こちらで日本の貴重品と交換したほうが遥かにもうかる。


 まあ、ここでも関税を持って行かれたリはするわけだがな。


 そうして俺は中国を離れて日本へ戻った。


 そして九州の博多に上陸して持ち帰った品物の一部を売りつつ、博多などで壱岐対馬から疎開してきた人間を探し戻りたいというものを船に載せた、実際逃げてきた者の中には肩身の狭い思いをしているものも多かったようだ。


 さて、元寇の文永の役及び弘安の役の後、鎌倉幕府は壱岐や対馬は事実上防備不可能と考え防備を強化せず博多の異国警固番役いこくけいごばんやくや土塁をつくるなどして北九州の博多湾の防備に力を注いだ。


 そうなるとただでさえ殺されたり連れ去られたりして数が減った壱岐対馬の住人は、再度の侵攻を恐れて島を捨て九州本土へ移住する者も続出したわけだ。


 そういうわけで現在の壱岐対馬は幕府や朝廷に見捨てられた地域だったが1281年の弘安の役から20年もたてば島に帰りたいものも出てくる、俺はそういった人間を見つけて、船に載せたわけだ、耕作に必要な牛や農具、当面の生活に必要な食料も買い込んで俺は壱岐に渡った。


 渡ってみれば実際に壱岐は寂れていた。


 文永の役の前には2万弱の人間が住んでいたらしいが今住んでるのは下手すれば2桁の100人未満。


 俺は何十人かの島へ戻りたい連中をおろし、一緒になって放棄されていた田畑の再開発を手伝った。


 そして腕の立つものを船にのせて朝鮮半島に渡り、南部の農村を中心にゲリラ的に攻撃した。


 この時代倭寇と呼ばれる海賊は既に主に朝鮮半島南部で活動していた。


 もう少し後に活発になる前期倭寇は日本人が中心で、元寇に際して主力となった高麗軍によって住民を虐殺された対馬・壱岐・松浦・五島列島などの住民が中心だ。


 元寇の時に村人を殺された島の人間は復讐の意味合いもあって、果敢に戦い半島に連れ去られた家族を取戻したりもした。


 俺はそういった場所からは牛なども持ち去った。


 半島の港に泊まっている軍船らしき船は可能な限り焼いて沈め、一撃離脱を繰り返し其の土地に長くとどまることなく、壱岐と半島を往復して被害は最小限にとどめた。


「まあ、この時代まだ高麗に火器がなくてよかったな」


 この時代にはまだ大砲は朝鮮半島にはない。


 宋で開発された火薬と火器を金や元は使っていたが、元は其の使用をあまり好まなかったようでもある。


 弓矢や投石機に比べるとこの時代における火器は不安定かつ不確実な代物だったからな。


 高麗で火器が用いられるようになるのは崔茂宣が1370年頃に明人の李元に出会い、火薬の製造法を学んだ後だ。


 その火薬と火器を生かして倭寇対策で武勲を挙げた李成桂がクーデターを起こし建国したのが李氏朝鮮だな。

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