延慶2年(1309年)

第7話 俺の元服と赤坂村への移動と金剛山の水銀鉱山

 さて、月日は移り変わり、俺は16歳になった。


 それまで何をやっていたのかというと変わらず基礎的な肉体鍛錬や武術と兵法や学問の習得だな。


 学問というのはそんなに簡単に身につくものではないし武術というのも一朝一夕で身につくわけではないからちょうどよかったももしれない。


 13歳を過ぎた頃には背も伸びるようになったので、負荷のキツメの訓練も加えるようにした。


 現代知識が役に立つのはこういった心身の成長や栄養についてのことくらいか。


 で、その間にも八尾別当顕幸が楠木の領地にちょっかいを出してきての小競り合いはちょくちょく有ったが、大きな争いはなかった。


 そして、元服した俺は楠木多門兵衛正成橘朝臣(くすのきたもんひょうえまさしげたちばなあそん)と名乗ったわけだ。


 兵衛と言うのは用するに検非違使のような治安維持に携わる官職で其の見習いだな。


 16歳になるまで元服を行わなかったのは、その兵衛に推薦されるのを待っていたというのもあるわけだ。


 こういった官職に関しては奈良時代から平安時代末期にはもっと厳密な決まりがあったし大きな影響も有ったが、ぶっちゃけ今の時代では下級の役人では食っていけないのでありがたみはそれほどない。


 最も戦国時代のようになんとかの守みたいな官職を勝手に名乗れるほど、まだ、グダグダになっているわけでもない。


 なんとか兵衛べえとかなんとか衛門えもんという名前は後にはたくさん語られるようになるが、今のところは”将来性に見込みあり”という元服をした人間がちゃんと推薦されて名乗れるレベルだな。


 元服というのははもともと中国古代の儀礼に倣った男子成人の儀式だ。


「元」とは首つまり頭、「服」とは冠の意味で要するに頭に冠をかぶり役所仕事を行える準備ができたことを周囲に示すためのもので、日本に取り入れられた当初は貴族や役人の家系だけしかやらなかった。


 まあ現在では武士階級もやっているけどな、一般人も行うようになるのはもう少し後の室町時代の応仁の乱以降からのようだ。


 まあ元服の儀式では大人になったことを祝い、髪形や服装を改め、烏帽子えぼしをつける。


 烏帽子親は河内の有力豪族の南江正忠みなみえただまさ、後の俺の妻である南江久子みなみえひさこの兄だな、神宮寺太郎と同じで湊川神社に祀られている十六人のひとりでもある。


 さて、式では前髪を落とし大人の服に身なりを改め、烏帽子をつける。


 これで一人前ということになるわけだ。


「多聞丸、いや今は多聞兵衛か。

 やっと元服だな、おめでとう」


「は、ありがとうございます」


 俺は南江正忠に礼を言った。


 地元の実力者というのはいつの時代でもあなどれないからな。


 まあ元服と言っても下級武士である俺の場合、式も簡略されていて簡単に終わった。


 そして俺は河内玉櫛荘の養父の屋敷を出て赤坂村に屋敷を与えられ、そちらへ移動することになったわけだが……。


 神宮寺太郎が呆れたように言った。


「これは……ほとんど山ばっかりじゃないか」


 俺もそれに頷いて続ける。


「まあ、そう見えるな」


 ここは金剛山の麓で千早川がかろうじて平地を作ってる場所に屋敷はあるが三方向は山だ。


 はっきりいえば農地として考えればすごく酷い地形だな。


 まあ、トラクターやブルドーザーのない時代は棚田は普通だったが。


 俺は気を取り直したように言った。


「まあ千早川があるから、水運には向いてると言えるがな。

 それにもう少し北の方なら田畑を作れるだろうし」


 神宮寺太郎が俺の言葉に頷いた、


「まあ、重いからな、辰砂にしても水銀にしても金にしても、馬で運ぶのは大変だからちょうどいいかもしれんぞ」


「そう考えるべきだろうな」


 俺は頷いた。


 それに水銀鉱山の近くで農業をやっても鉱毒汚染が怖いかもな……。


 とはいっても食う為、食わせるためにある程度は農業もやらざるを得ないが。


 その後、俺達は屋敷で一休みしたあとで、金剛山の水銀鉱山へ向かった。


 因みに大和(奈良県)は水銀の一大産地だがここは其の端に当たるんだろうな。


 大和朝廷が住みやすいとはいえない大和、つまり奈良に都を作った理由の一つもたぶんこれだな。


 千早鉱山は太平洋戦争の終戦間際までは水銀が取れていたくらいで、今現在の埋蔵量はどれほどのものかわからないが、当面の間ほってもほっても水銀は尽きないのは間違いない。


 それに露天掘りならば金槌とたがねを使って石を割り、鉱床から鉱石を剥がせば取れるから比較的楽だな。


 坑道を掘って採掘すればもっと取れるはずだが、今の時代では採掘道具などのレベルが低いから難しい。


 石見銀山なども最初は掘るための道具がなくて銀を取ることができなかったらしい。


 で、そうやって採掘して剥がしたものの中から目で見て辰砂や黒辰砂を選別し、いらない部分はズリとしてそのあたりに投げ捨てる、そうしてズリ山が出来上がるわけだ。


 選別されて積み上げられた辰砂や黒辰砂が山になってるのを目にするとさすがに驚くな。


「まあ、こいつはすごい宝の山だな」


「ああ、田畑が作れないなんて大したことはないように思えるな」


 太郎も同じことを思ったようだ。


 もっとも自然水銀も算出するということは気化した水銀も漂っているだろう。


 基本的には露天掘りだから被害はそれほどないはずではあるが……。


 いつの時代も危険な目に遭うのは下っ端労働者というわけだ。


 なんだか悲しくなってくるな。


 ここで取れた辰砂や黒辰砂、水銀や砂金は小舟で運び、一度俺の楠木館に集めて、少し大きな川船にまとめて載せて俺が養父から譲り受けた自前の船で川を下り堺を経由して諸国へ売っていく。


 買うのは寺院や京の貴族、鎌倉の権力者などだな。


 辰砂は、漢方薬や漆器に施す朱漆や赤色の墨である朱墨、化粧のための顔料などに使われてる。


 水銀が薬ってやばくないかとも思うだろうが、一応長年の経験から辰砂は気化した水銀などよりは毒性は低いと信じられているようだ。

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