第8話 寺などにその他に高く売れそうなものは絹と食い物と薬

 さて、この時代に、寺や神社、貴族などに高く売れるものは水銀以外にもいくつかある。


 椎茸や昆布のような出汁を取れる食材、陶器や陶磁器、漆器などの食器、絹の衣服や布、茶や蜂蜜、砂糖などの甘味、医薬品なんかだな。


 あとは炭や木工品などの日用品も当然売れるが高く売れるというほどではないか。


 その中でこのあたりの山の中で作るのに適しているのは椎茸などのきのこ類、後は養蚕での絹づくりだな。


 まあ、鹿や猪、熊などの内蔵などもちゃんと加工すれば医薬品として売れるはずだが。


 まずは絹のもととなる蚕を養蚕するための桑の木の植樹をすすめる。


 蚕が繭を作った後の蛹は俺達が食べてもいいし他にも使い道はある。


 桑の木の植樹が済んだら、水車小屋を作り製糸や機織りの動力源とする。


 現状のやり方は鍋で繭を煮たあと、手動で糸車を回して糸を取る「座繰り」だが、コレはなかなか重労働だし糸の太さの均一化も難しい。


 そのために糸車を回すための動力に水車を使うわけだ。


 これは「器械製糸」で中国大陸ではだいぶ昔から行われている。

 

 さらに石を集めて風通りのいい、風穴ふうけつを作り、蚕の卵をこの風穴の中に入れ、保存できるようにする。


 蚕は暑さには弱くある程度高い海抜800~1500メートルくらいがもっとも蚕に適しているらしい。

 

 いろいろな準備ができたら蚕の卵を買い付けて、そいつらを育てる。


 蚕は卵が孵化してから約1ヵ月間で繭を作り始め、さらに1週間ほどで繭の中でさなぎになる。


 蚕が完全にさなぎになったら蛹を取り出して糸にする。


「しかし、まあよく食べるな」


 桑の葉を積み上げて館の土蔵に集め、それを食わせるわけだがこいつらは大食らいですぐに無くなる。


 一日に4回ほど蚕に桑の葉を食わせるがあっという間になくなっちまう。


「まあ、それだけ成長が早いってことだしいいんじゃないか」


 一緒になって桑の葉を運んでいる神宮寺が答えた。


「まあ、そうだな」


 まあ、水車と歯車を使って他にもいろいろな作業を行えばそれらはだいぶ楽になるはずだ。


 例えば回転式の石臼や木臼と杵を使って米や麦などの穀物の脱穀や製粉。


 原木を水車の回転やピストンを使ってのこぎりを動かして切断し木の製材。


 樹の皮を細かく砕いてそれをすいての紙づくり。


 溶鉱炉のふいごを吹かせたり、刃物の研磨や鉄の棒を挟んで伸ばしたり一定の長さに切断し、釘や針をつくったり。


 植物油の圧搾に使ったり。


 これらもどんどん作っていくとしようか、まあ六波羅に目をつけられない程度ではあるが。


 武器や農具、鉱山用の工具などを作れれば楽になるかもな。


 さて次はきのこ類の採取と人工栽培に取り掛かるとするか。


 因みにいわゆるカビの真菌類と茸は同じもので、茸やカビは植物でも動物でもない。


 胞子を飛ばす植物で言う花に当たる部分がでかいのが茸、そうでないのがカビだと思えばいい。


 なので、菌糸が張った部分を原木に当ててやればカビと同じように茸も移るというのが人工栽培の基本だな。


 カビの生えたみかんやリンゴをひとまとめにしておくとみんなカビが生えるのと同じようなものと考えればいいんじゃないか。


 で、実のところ中国の霊芝やアガリスクといった薬効が高いと思われている茸としシメジなどの茸の成分はほぼ同じで薬効成分はβ―グルカンだ、β―グルカンには免疫を担当するマクロファージやリンパ球を刺激して免疫力を高めます効果があると言われている。


 きのこ類は昔から、食べる薬と言われていて、驚くほどの薬効がある優れた食物だ。


 ビタミンは特に多いのがビタミンBで、ナイアシンはキノコ全般に多く含まれている。


 他にもビタミンDの前駆体として存在するエルゴステロールが含まれていて、収穫後の天日や熱によってビタミンD2になる。


 代わりにビタミンAやビタミンCはほとんど含まれない。


 まあ、気をつけないと致死的な毒キノコも多く、食用キノコとあまり見分けがつかない場合もあるのが欠点だがな。


 ブッダことゴータマ・シッダールタの死因も毒キノコによるものらしい。


 まあ、それはともかく茸は食用にできる種類も多く、秋の味覚として香りや味を楽しめるきのこには、素晴らしい健康効果があるうえに、免疫力を高めるのに役に立つはずだし、山の中で出汁を取るための食物としては椎茸はとても珍重されているということだ。


 また椎茸を干した干し椎茸は大陸への輸出品としても重宝されている。


 さて、椎茸の人工栽培の始まりは江戸時代の頃に炭焼き用に積み上げたあるナラの原木に多数の「しいたけ」が自然に発生しているのを見たのが始まりだそうだ。


 茸には大きく分けて2種類あって、生きている木に生える菌根菌系の茸、マツタケやホンシメジなどがそうでこれらは人工的な栽培は難しい代わりに、生命力が強くまとまって生えているので見つけるのはそんなに難しくない。


 枯れた木や落ち葉に生えてそれを分解する腐生菌系の茸、シイタケやナメコ、マイタケなどのキノコがそうで、これ等は自然の中では倒木や切り株、落ち葉などに生える菌類で、腐生菌系は、人工栽培がやりやすい、切った木を使えるわけだからな。


 まずは山に入り茸の種となる茸が生えている木を探すとしようか。


 椎茸や平茸は春と秋に生えるが多くの茸は秋に生える、空気が乾燥していないと胞子が広がりにくいからだろう。


「よし、じゃあ、今日は茸と原木を探しに山にいくぞ」


 俺は神宮寺や下人に背負子や籠を持たせて、山へ向かう準備に入った。


 草鞋や脚絆を足に巻きナタを持つ。


「おう、今の季節はきのこがよく取れる季節だし、今夜の料理が楽しみだな」


「おお、たくさん取って帰ってくるとしよう」


 そして俺は下人の準備ができたことを確認してあるき出した。


「よし、いくぞ」


 下人たちの準備も大丈夫なようだ。


 館の留守は家人に任せる。


「あい、準備はできてますだよ」


「兄さん行ってらっしゃい」


 皆で山に入り、まずは松茸を摘み取っていく。


「うん、いい香りだな、松茸がこんなに手軽に手に入るとありがたみも何もないがな」


「まあ、そりゃそうだろ」


 この時代ではそうかもしれないが現代では高級品だったんだがな。


 さて、見つけたもので食うのに適していない小さいものは育つようにそのまま残し、野生の猪や猿、鹿などの獣が齧って腐ったものは取り除き腐敗が広がらないようにする。


 松茸の生えた松をそのまま山から運んでいけば、松茸を栽培できるだろうかと考えなくもないがたぶん無理なんだろう、第一労力にも合わんしな、取りに来たほうが恐らく楽だ。


 そうやって松茸をある程度採取したら場所を移動する。


 時は金なりだ、山の中に生えている様々なきのこを取ってはかごに入れて、人工栽培する予定の椎茸しいたけ榎茸えのきだけ樗占地ぶなしめじ平茸ひらたけ舞茸まいたけ滑子茸なめこたけ木耳きくらげ霊芝れいし猪苓舞茸ちょれいまいたけなどは茸の生えている枝ごと持って行く。


 冬虫夏草とうちゅうかそうも持っていくとしよう。


「ん、きのこが生えた枝ごと持っていくか?」


 神宮寺が不思議そうに聞いてきた。


「ああ、これをもとに人工的に栽培して増やそうと思ってるんだ」


「そんなことができるのか?」


「まあ、成功するかはわからん。

 多分大丈夫だとは思うがな」


 そうして、皆の背負子や籠が一杯になったら山を降りる。


「さてさて、理論的にはそんなに難しくはないはずなんだがうまく行くかどうかはまだわからんな……」


 屋敷に帰ってきた、今夜は鴨と葱と茸の鍋だ。


「うむ、実にうまいしあたたまる」


 やはり鍋はいいものだ。


「ああ、苦労して取ってきたかいがあるな」


 神宮寺もうまそうに食ってるな。


 しかし、だしになるものが茸、調味料が塩だけだと少なすぎるな。


 味噌などの他の調味料も欲しいところだ。


 さて翌日俺は早速茸の人工栽培に取り掛かることにした。


 まずは原木を使った方法から始めよう。


 こっちのほうが歴史があるからな。


 俺はナラやクヌギの太さ10cm~15cm位のものを選り分けて、枝を切り少し乾燥させた後、円形一寸の穴を開け、そこに椎茸が生えている木の半分を榾木として使い、円形に削って穴にはまり込むように細かく調整し木槌で打ち込む。


 滑子にはブナ、トチ、平茸にはクルミ、ヤナギ、舞茸にはミズナラ、コナラ、ブナ、クリ、木耳にはニワトコの木によく発生するが、ブナ、ナラ、カエデを使って同じように榾木を打ち込む。


 そしてそれぞれの植え込んだ茸が何なのかわかるようにきのこの名前を削って書き込む。


 そして仮伏せだな、原木に打ち込んだ接種した種菌が原木に活着するようにワラ束等で覆い、2週間後に点検して、茸が定着しているのを確認した後、梅雨ぐらいまではこうして保護し、梅雨になったら本伏せだ。


 本来の茸が群生しているところに獣よけの柵を作り、活着した菌糸を成長させる。


 そして榾木内の菌糸を均等に繁殖させるために天地返しを行う。


 7月上旬と9月上旬で、原木を上下、表裏を反転させる。


 茸は基本的に高温と乾燥に弱く酸素も十分に必要とするので直射が当たらないようにしつつも下草や灌木等はちゃんと刈取る必要がある。


 意外と手間と時間がかかるものだ。


「あと、出汁で大事なのはカツオブシだな」


 俺は船で川を下ってカツオを仕入れカツオブシを作ることにした。


 まずカツオの頭と内臓を取り除き、三枚におろして形を整え、籠に入れて、釜で一刻(2時間)前後お湯を沸騰させない程度の火力で、煮立たせないように慎重に煮る。


 この時の煮汁も出しとして使える。


 カツオが十分煮えたら取り出した後に冷まし、鱗を剥ぎ、脂肪や骨の除去を行う。


 この状態はいわゆる、生利節でそのまま食べてもうまいぜ。


 まあ、長期保存はできないがな。


 で、このあと、燻蒸して乾燥させ、表面を削って汚れを除き、水分を落とし、天日干しで乾燥させつつ、コウジカビを繁殖させ身を熟成させる。


 表面にカビが繁殖したらこれをこそぎ落として、またカビを繁殖させを繰り返すと、カツオの身から水分が失われて硬いカツオブシになり、それ以上カビも付かなくなって長期の保存が可能になる。


 まあこの工程には2ヶ月以上かかったりするのですぐにはできないが。


 それと味噌だな。


 鎌倉時代には、味噌汁はもうある。


 まあ、まだ高級品の類ではあるが。


 さて、これ等ができたら調味料が作れるようになる。


 まずは清酒に削った鰹節と梅干しを入れ弱火でとろとろと煮詰めた煎酒いりざけ


 醤油代わりに色々使われていたものだ。


 それから、煮貫にぬき


 煮貫は現代のようなしょうゆ風味の麺つゆが普及する前に使われていた調味料で、味噌に水とカツオブシを加えて煮詰め、布袋に入れて漉したものだ。


 いわば味噌のめんつゆだな。


 両方共カツオブシが必要なところが共通しているな。


 そして師匠の大江時親や観心寺の学僧龍覚にも持っていったが非常に好評だった。


「まあ、うまいものが食えて怒るやつはいないな」


 大江時親には実際にこの辺りで戦うにはどうすればいいかを歩きながら教えてもらっていた。


 そういったことが将来役に立つだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る