正中3年、嘉暦元年(1326年)
第27話 長子の誕生と文観の暗躍
年が変わり正中3年、嘉暦元年(1326年)、懐妊していた滋子は無事に健やかな男子を産んだ。
滋子自身の健康にも問題はない。
寺社への喜捨だの安産祈願などと非科学的と言われてもこういったことは最後は運だ。
だからやれることはやっておいたし、結果として母子ともに健康であれば其れに越したことはない。
産屋にしつらえた床で滋子は体を起こして赤子に乳をやっていた。
「もう体を起こしても大丈夫なのか?」
「はい、元気な男の子でございます。
私もほっといたしました」
この時代、まずは男を生むことが女には望まれる。
土地の管理などはまだ妻の役目だが家を次ぐのは男だからな。
「その子に乳母もつけてやらねばな」
「私だけでは不安ですか?」
「赤子というのは二六時中常に泣くものと聞く。
一人ではろくに寝れなくなってしまうであろう」
「……そうでございますね」
出産を祝って村の者たちが集まってきて、とれたての野菜や魚、鶏肉などをおいていく。
男連中が屋敷に上がって、女衆は料理を行い酒盛りも始まった。
「その子を抱いてもよいか?」
俺は滋子に訪ねた。
「はい、どうぞ構いませんわ」
俺は滋子から子を受け取り抱いた。
おもったよりずっと軽く暖かかった。
「この子の名はどうするかな……」
「多聞丸ではいかがですか?」
「ふむ、俺と同じではこの子が苦労しそうな気がするのだがな」
「いえ、あなた様と同じく知勇に優れた男子になること間違いありません」
「そうか、ではお前の名は多聞丸だ」
俺は赤子にそういった。
意味はわかっていないだろうが、赤子はフット笑ったような気がした。
「うふふ、良い名だと思いますわ。
あなた似たきっと凛々しい男子に育つことでしょう」
「凛々しい……か」
ふいに多聞丸が泣き出した。
「お、おう、どうした多聞丸?」
俺はぎこちなくあやしてみたが、泣き声が強くなるだけだった。
「うふふ、貴方様でもなく子には勝てませんわね」
滋子がひょいと多聞丸を抱き寄せてあやすとピタリと泣き止んだ。
「うむ、どうもそのようだな。
ではすまないが後は頼むぞ」
「はい、おまかせください」
できうることならばこの子が元服し嫁を持つようになる頃には平和になっていてほしいものだ。
そして俺は乳母を募ることにした。
俺の下にいる豪族から何人かの希望があったのでそのもの達を乳母として採用した。
妻の家である万里小路家と軍学の師匠である大江家からも躾や教育のためと乳母が派遣された。
「おいおい、乳児の時点から教育か……」
きっと、公家としての作法や軍学などを叩き込まれるのだろうな。
まあ、乳母子で俺にとっての神宮寺のような、幼少の頃から一緒に育った気心の知れた友のような家臣というのがいれば、息子にとっても心強いことだろう。
一方そのころ文観は後醍醐天皇の中宮藤原禧子の御産祈願と称して怪しい祈祷を行っているらしい。
そして、正中3年3月20日(1326年4月23日)
邦良親王の天皇即位を夢見て仕えていた人々は、自分の人生もこれで終りだとおもったらしい。
千種忠顕の父である六条有忠は、鎌倉で親王の死去の報を受け、その場で剃髪してしまったと聞く。
そのほか、邦良親王の近臣や女房など三十余人が出家したらしい。
邦良親王についた公家たちは、後宇多天皇の譲り状と文保の和談によって将来的には邦良親王が大覚寺統の嫡流として皇位につき、荘園も継承すると考えており、後醍醐方とは敵対していた。
それ故正中の変以後、後醍醐天皇を退位させ邦良親王を即させることをおし進め、そのために鎌倉幕府に働きかけたりしていた。
この時対立する持明院統も、邦良が践祚すれば、自統からの立坊も早くなるので、邦良親王を支援していた。
こんな状況で主である邦良親王を失った近臣らは、よほど抜群の才覚を持たないかぎり、二度と政界での活躍はできなかった。
それ故に多くのものはもはや出世の望みなしと、出家して政治の世界から離れざるを得なかったのだろう。
「仕える主が死んだら将来がなくなっていうのも大変だな」
鎌倉幕府を打倒した、後醍醐天皇やその側近貴族が増長した理由もわからなくもない。
しかし、六波羅にとどめを刺したのは足利高氏だし、鎌倉にとどめを刺したのは新田義貞であって、公家の力ではない。
そのあたりを勘違いしたがために南北朝以降は朝廷には何も権限がなく、最終的には困窮のあまり五位どころか三位の位すら武家の大名に売らざるを得なくなったのは自業自得というものだろう。
それはともかくもともと病弱なところがあったとは言えこんな上手いタイミングで邦良親王が病死するというのは話がうますぎる。
文観が手下を使って毒殺したと言っても俺は驚かないが、本当に呪があるのではないかという気にすらなるから怖いものだな。
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