建武3年、延元元年(1336年)
第42話 京の都の攻防戦
さて、新田義貞と洞院実世の建武新政軍の敗走の情報はすぐに諸国の武士へ伝わった。
それにより朝廷から現時点ではまだ朝敵である足利へ寝返る武士らが続々と出てきた。
近江の京極、美濃の土岐、播磨の赤松、中国の細川、九州の大友・少弐・島津などだな。
後醍醐天皇は陸奥国の北畠顕家に尊氏追討のために即座に上京するようにを命じ、また、義貞に従軍していた比叡山の僧・宥覚が、尊氏の入京を近江国で阻止すべく琵琶湖東岸の
そして俺に出陣の下知が来た。
「帝を守るために出陣するのですかな?」
万里小路藤房が言った、彼には無駄なことをするものだという思いがあったのだろう。
「ああ、今はまだ帝に従っておくさ、今はな」
そして俺は大和・河内・和泉・紀伊の軍勢五千を率い上京すると帝により宇治方面の守りを任された。
俺は兵に指示した。
「皆の者の渡河を防ぐ為に橋を落とし川の中に大石を積み逆茂木を植えよ」
兵たちが俺の指示に従って、渡河の妨害のための障害物を設置し東岸を切立てた。
また左岸に敵陣設置のできぬ様に橘の小島・槇の島・平等院の辺を焼払った。
「いいのですか?このようなことを行って」
兵が心配そうに聞いてきたが俺ははっきり言った。
「生身で襲い掛かってくる敵兵のほうが問題だ。
寺社は生きていれば再建することもできよう」
とな。
その他に京を守る建武新政軍は
「そもそも京は東西南北から侵攻できるから守備には向いていないんだがな……
木曽義仲が義経や範頼に破れたのもそのせいなんだが……」
本来ならもっと防衛しやすい場所へ陣を引いて食い止めるべきだったのだが、まあ、今更言っても遅いな。
足利尊氏の率いる1万の主力は、俺の守る宇治を攻撃してきた。
「一斉に矢を放て!」
が、渡河に失敗し矢で落馬し川に転落するするものが相次いだことで戦況は膠着状態に陥り、尊氏は、防衛戦で俺を相手にすることの愚かさに気が付き宇治攻撃を一日で諦めた。
しかし、山崎に向った赤松と細川の軍勢が、脇屋義助が守っていた地点を突破した。
赤松にしてみれば、山崎は地元で地理もよくわかって居たからな。
脇屋軍には東から回った千種忠顕軍が合流し、防衛したが、西からの全軍が総攻撃してきたため、守りきれず総崩れになって、脇屋軍の敗走部隊が新田義貞軍になだれこんで混乱したため新田軍は統制力を失い、ここを突破口として足利軍は京の市街へなだれこんでいった。
なんとしても後醍醐天皇を敵に奪われてはならないと新田義貞は、天皇に伴って近江の東坂本まで落ち延びて行き帝は後醍醐は叡山に行幸、宮方も坂本に集結、俺もすでに宇治を守備する意味もないから坂本に兵を退いた。
この時に結城親光が戦死した。
降伏を装って尊氏暗殺を狙ったのだが、あと一歩と言うところで果たせなかったようだ。
ここで、後醍醐天皇の要請を受けて、前年に陸奥国を発向していた北畠顕家・
奥州勢の到着で戦力が倍増し気勢の上がった建武新政軍は、比叡山衆徒等の兵力を加え、まず足利方が陣を張った園城寺への攻撃を開始した一方、尊氏から園城寺駐屯隊の指揮を任されていた
園城寺の合戦に勝利し、北畠顕家は人馬を休めるため坂本に引き返した。
新田義貞も同じく坂本に引き返そうとしたが、執事の船田経政が追い討ちを勧め、義貞は同意して直ちに追撃に移り、足利軍を散々にうちまかしたが細川定禅の反撃にあい船田義昌・大館蔵人などを討たれる損害を出して坂本に退却した。
ここで洞院実世の東山道軍が遅れて到着した。
とは言え兵馬が疲れていて動けない状態であったのでまずは休養を取らせた。
そして俺は「懸金柵」と呼ぶ千早で考案した新兵器で、敵の騎馬の足を止め歩兵で撃退することに成功していた。
これは牛皮を張った軽い楯の両端の鉤を結んで長い柵を作り、これを三重に横に並べて城の「かい盾」のようにして敵が攻めてきたときは盾の陰から矢で射て、接近されたら槍を揃えて突き出し突進を防ぐものだ。
そして全軍総攻撃を決行し賀茂川三条河原の合戦で足利軍を打ち破った。
尊氏は、丹波国篠村へと撤退し、摂津へと至ってここから京都奪還を試みるも、 勝手知ったる摂津の地形を知り尽くした俺は、間道を縦横無尽に移動しつつゲリラ戦を仕掛けて足利本隊を足止めし、京の周辺の残敵を掃討した義貞と顕家が、官軍主力を率いて豊島河原で決戦。
俺が間道を迂回機動して足利軍の側面をつき、西国の大友・厚東などの尊氏側の水軍と、伊予の土居・得能とこちら側につく水軍がやってきたが、尊氏側は、これまで戦ってきた兵は、新手の軍勢に戦わせようと休み、新手の厚東・大友の軍も自分たちの戦いではないと、まともに戦わず。
こちら側の新手の得能・土居の兵は、この一戦に功名を上げなければ河野一党の名誉に関わると猛烈に攻撃を行った。
足利軍はまたもや大敗を喫し、室津泊から海路九州へ敗走した。
しかし尊氏はこの途中で、「朝敵」の汚名を雪ぐために備後国の鞆でその院宣を得て上皇軍としての地位を確立してしまった。
さらに貴族共は俺は新田義貞の指揮下に入りその指示に従って戦うべきだとか言い出した。
「やれやれ、やっぱりそろそろ潮時かね……」
俺は呟いた。
河野や村上の水軍は新田ではなく俺の援護に来ただけだ。
年号が「建武」は公家の為に不吉である、として「延元」に改められた。
俺は足利方の降伏したものの自軍への再編成にかかりきりになっている新田義貞や奥羽に帰る北畠顕家を尻目に得能・土居の水軍を堺に向かわせ俺は河内へ戻った。
赤坂村には大塔宮、万里小路藤房、北畠具行、四条隆資などが集まっていた。
「さて、九州にて武家の名門との決戦と行こうか」
大塔宮が頷いた。
「ああ、我らとこの国の未来はこの一戦にありだ」
残りの者たちも強く頷いた。
俺は弟の正季に声をかけた。
「この地の領民は任せたぞ」
「ええ、任せておいてください。
兄上が九州よりこちらへ戻られるまで守ってみせますよ」
「戦の腕では俺にまさるとも劣らぬお前であればこそ無理はするなよ」
「ええ、兄上こそ」
こうして俺は正季にあとを任せ、兵のうち選りすぐった1000を選ぶと堺へ向かい大塔宮、万里小路藤房、北畠具行、四条隆資、河野や村上の水軍などとともに瀬戸内海を西に向かった。
まずは壱岐に立ち寄ろう。
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