第14話 楠木の情報源は芸能と商人と僧侶
さて、大陸との貿易や船に搭載する大砲の見込みはある程度ついたので、俺は河内に戻ってきた。
どんな時代にどんな状況でも情報収集は大切だからな。
「神宮寺、日本の状況はどうだ?」
やつは肩をすくめていった
「今のところ大きい変化はないな。
鎌倉は相変わらず小さな内輪もめは起こしてるようだが、それはそれとして組織はちゃんと動いてる。
このあたりで御家人の土地を横領した悪党は六波羅の武力で潰されてるな」
俺は腕組みをしてため息を付いた。
「やはり六波羅の武力は侮れんなぁ……。
治安維持に役立つならそれはそれで頼もしいが」
神宮寺はもう一度肩をすくめてみせた。
「それはそうだ、所詮悪党がそれなりに力を持ったとは言え、そもそも訓練の度合いや武装、それにやる気が違う」
俺はため息を付いた
「まあ、金で雇われてるだけの足軽が中心の悪党と先祖代々の武士じゃそうなるだろうな」
足軽はこの時代ではそれなりに存在していたが、ろくな鎧を着ずに、弓矢や太刀で武装してるだけの雑兵だ。
まあ俺が船の上で使ってる戦闘員も同じような格好だが。
船の上では大鎧など着ていたら動きづらくてしょうがないし、海に落ちたら致命傷だ。
まあ、源平合戦のころの平家や元寇の時の武士なんかは大鎧を着つつ普通に海を泳げたらしいが化物だな。
実際日本に攻め込んできた連中もそう思ったらしい。
”日本人は全身甲冑を着て海を普通に泳げる狂った連中だ”とな。
さて、情報収集だが俺が師匠から習った孫子でもこう書かれていた。
それは第十三の用間篇ですなわち”孫子曰く、凡そ師を興すこと十万、師を出だすこと千里なれば、百姓の費、公家の奉、日に千金を費やし、内外騒動して事を操るを得ざる者、七十万家。相守ること数年にして、以て一日の勝を争う。而るに爵禄百金を愛んで敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり。
人の将に非ざるなり。主の佐に非ざるなり。勝の主に非ざるなり。故に明主賢将の動きて人に勝ち、成功の衆に出ずる所以の者は、先知なり。先知なる者は鬼神に取るべからず。事に象るべからず。度に験すべからず。必ず人に取りて敵の情を知る者なり。”とある。
ようするに、大軍を率いて遠くに遠征すれば、その負担や出費は莫大だが、最終的には一日の決戦で勝敗が決する。
だから、諜報員への褒美を惜しんで、結果として敵の情勢を知らずに負けるのは、あほだ。
だから諜報員は大切にして、ちゃんと褒美をあたえよということだな。
このあたりは父や養父もすでにいろいろ考えていて、伊賀の服部や藤林と言った力の大きな家と縁を結んでいるし、河原の周辺に住んだ河原者、坂や峠に住んだ坂の者、雑芸能に携わった
伊賀は伊賀忍者の住む場所として有名だが、そういった諜報活動を行うことで生計をたてないといけないほど、農作に向かない場所でも有った。
理由は伊賀は、昔琵琶湖が有った関係上、粘土質の土が多くて非常に水はけが悪く、耕すにも苦労する場所だったからだな。
甲賀や雑賀も同じような理由で農作に向かなかったので傭兵や諜報を請け負うことで出稼ぎするしかなかったわけだ。
そのかわりこれらの土地の土は土鍋にすると空焚きしても割れないとても良い土鍋になる。
俺は陶磁器を焼ける職人を伊賀などに紹介して性能の良い焼き物を作らせてそれを買い受けてカネを落とすことで、伊賀や甲賀、雑賀などの信頼を深めた。
金があれば生きていけるわけではないが、金があれば生活に余裕ができるのは事実だ。
さて話を戻して彼ら河原者たちは、道の清掃や死体の処理、牛などの屠殺、犯罪人の逮捕、河原での人間の処刑など、ケガレに関わることをやらされていたゆえに河原者同士の横のつながりも強かった。
また、声聞師の行う猿楽や田楽は後に能と狂言に発展するが、そういった芸事を行う芸能者は、寺社や豪族などの金を持ってる土地の有力者に招かれその前で芸を披露する機会が多く、そのまま宴席にも侍ることが多かったので諜報員としてうってつけだった。
操り人形を用いた人形芝居を行う傀儡子の集団は街角でそういった芸を行い街角の噂を拾い集め、それに付随して渡り巫女と呼ばれる占いと売春を行う遊女は裕福な豪族などと一夜をともにして内情を聞き入ることもできた。
そういったものが持ち帰る情報は俺や俺が居ないときは神宮寺などの家人に伝えられた。
その他にも京の都や鎌倉、長門や博多、堺などに固定した店を構える商人を送り込み、品物を届ける行商人とも組み合わせて情報を収集させた。
そしてもう一つの諜報網が山伏や修験者のつながりだ。
彼らは全国の霊山を巡り歩き独自の情報網を持っているか、金剛山もその一つだ。
京では古くからある比叡山の天台宗と高野山の真言宗はまだまだ重用されていた。
鎌倉幕府は禅宗である臨済宗と曹洞宗を支持したので、武家の間で信仰され勢力を伸ばしていた。
浄土宗は天台宗や真言宗と対立したうえに、法然が入滅つまり死んだ後、弟子たちが様々に解釈をして法然の門下が立てた五流儀、すなわち聖光房弁長の鎮西流、善慧房証空の西山流、皆空房隆寛の長楽寺流、覚明房長西の九品寺流、成覚房幸西の一念義に分裂し、鎮西流と西山流の2派以外は早くに途絶え、鎮西流がその後の浄土宗の主流となった。
また、浄土五流のうちの一念義から親鸞によって浄土真宗が生まれ、一遍の全国を遊行する布教活動から時宗が生まれた。
浄土真宗も開祖である親鸞の死後は目立たなかった。
日蓮宗は元寇の折に排斥され、この時代ではなんとか命脈を保っているに過ぎなかった。
嘉元元年(1303年)には鎌倉幕府が専修念仏を禁止するにいたって、浄土宗や日蓮宗は弾圧されていた。
これらが栄えるのは応仁の乱以降の戦乱の時代だな。
だからこの時代には一向一揆は存在しない。
さて、俺はこうした諜報活動を行っている者で、少しでも役に立つ情報を得て俺に伝えたものには、砂金や銅銭をそれぞれの情報の重要度に応じて必ず与えた。
平常時からの信頼関係というのは大事だからな。
こういった諜報網の構築にはカネがかかるから千早の水銀鉱山はとても重要だ。
これがなかったら他に交易の元手になるものを探すのに苦労しただろう。
しかし、この水銀鉱山の存在が正成をこの地にとどめ、湊川の戦いにて戦死させることになった理由の一つでもあったのだろう。
俺は本拠をいつでも壱岐に移すことができるようにしておくこともできるように計画中だ。
水銀のかわりは真珠を用いればいい。
椎茸などの人口栽培も壱岐の島でできないこともないとおもうが、これは難しいかな。
茸は環境に大きく左右されるからな。
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