第22話 蝦夷大乱と俺の結婚
さて、俺が畿内の南方の制圧を行っているこの時期、蝦夷大乱が起ってっている。
安藤氏の乱とも呼ばれるこれは、蝦夷つまり現代の北海道や東北などの先住民族であるアイヌなどの反乱蜂起と安藤氏の内紛が関係して起こった内乱だ。
安藤氏はこの頃の陸奥、出羽国北部を支配している氏族で、先祖は前九年の役に活躍した安倍貞任だと言われている。
天然の良港として栄えている十三湊は蝦夷のアイヌと本土の和人、さらには朝鮮半島の高麗、中国の元など交易の拠点として栄えている。
北条氏は安藤氏を得宗被官(御内人)として、代々蝦夷管領(代官)に任じることで、鎌倉幕府の支配下に置いていた。
しかし、文永5年(1268年)に津軽でエゾの蜂起があり、蝦夷代官の安藤五郎が殺害される事件がおこった。
この原因については、はっきりは分からないが安藤氏の不平等な交易にアイヌが怒ったのが大きいだろう、その他には日持という僧侶がアイヌに仏教を強制したと言う話もある。
更にかなり以前から続いていたと見られている蝦夷代官の安藤又太郎と従兄弟の安藤五郎三郎との間の内紛に、元応2年(1320年)出羽のエゾの再蜂起が加わり、陸奥や出羽は混乱していた。
その所要をめぐる紛争は元亨2年(1322年)に得宗家公文所の裁定にかけられたが、内管領の長崎高資が対立する2家の安藤氏双方から賄賂を受けとるなど腐敗の極みにたっしていた。
そして、畿内や西国では北条氏に非協力的な御家人が増え、悪党や海賊などの武装商人の活動が激しくなり、この鎮圧に六波羅は追われている。
京都や鎮西では寺社の強訴が頻発し、僧兵や山伏が狼藉を働くと言う事態に至っている。
この時代はすでに平和とは程遠い状況になり平安時代末期の治承・寿永の乱のまえに近い状況になっている。
しかし、それぞれの行動は追い詰められた御家人や不満を持った悪党海賊や寺社は夫々かってに行動を起こしているだけで、まとまるような気配はなく謀反を起こした御家人や悪党は各個に鎮圧されている。
しかし、鎮圧させられる側にとっては金と食料を消費するだけで恩賞を与えられることは少なく、其れも幕府への不満を高めるきっかけとなっていった。
そんな中俺は正式に妻を持つことになった。
相手は万里小路藤房の妹・滋子だ。
万里小路藤房はすでに正四位上右大弁相模権守となっていた、五位以上なら十分貴族に入るわけだが、万里小路藤房という男はただの貴族のお坊ちゃんではない。
官職のない若い頃はかなり苦労をしていたようだ。
其れこそ経済的には俺のほうが苦労知らずで生きてきたろうな。
「というわけで、これからよろしくお願い致します」
滋子が俺に頭を下げる、俺もそれに応じて頭を下げた。
「あ、ああ、よろしく頼む。
しかし、いいのか?
京の都にいればそれなりに良いところのお坊ちゃんと結婚できるだろうに」
滋子は口元に手を当ててほほと笑った。
「所詮貧乏貴族が婚姻を結べるのは貧乏貴族。
暖を取るにも炭がないなどということもよくあることでございますよ。
しかし、あなた様のもとであればそのようなことはありませんでしょう?
河内や摂津はとても活気に満ちております
少々騒がしいのは事実でございますが、沈鬱に沈滞しているよりはるかにましでございましょう。
花の都と呼ばれた平安の都も今は人の数も少なく静まり返っている有様ですよ」
「なるほど、そういうことでもあるか。
まあ、経済的に苦労させるつもりはないが無駄遣いをさせるつもりもないぞ」
「心得ておりますよ」
兄に似てなかなか頭が良いようだ。
それなりに血筋も良いのに驕り高ぶるような様子はないのは、兄と同じく幼少は貧乏だったからなのだろうな。
しかし、もし俺が死んでも南朝のために命がけで戦えなどという教育を息子はしないでほしいものだ。
無論自害するのは止めた方がいいが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます