楠木正成・悪党と呼ばれた男

水源

第1話 プロローグ

 《プロローグ》


 俺は平成の時代の零細企業の社員だった。


 だったというのはいまはすでに解雇されたからだが……。


 ベンチャー企業というのはだいたいブラックなものだが、俺の働いていたところもそうだった。


 しかし、人数は少ないながら社員みんなで夢を追うという幻想はかなり無茶な労働環境でも楽しく感じるもので、給料が安いこともボーナスが出ないことも休みが少ないことも別に気にならなかった、趣味と実益を兼ねているようなものだったからな。


 しかし、成功するとたいてい人や組織は悪い方に変わるものだ、会社が成長し上場したあとは、上層部のコネで幹部の地位につくやつ、外部から優良企業の幻想をいだいて入ってくるたいして仕事をする気がないやつ、甘い汁を吸おうとするやつに会社は食い荒らされ、挙句に倒産寸前に追い込まれた。


 そういう時に先に首を斬られるのは高給取りではなく下っ端からだ。


 で、俺は高卒の下っ端だったからな、首を切られてフラフラ街をさまよってるわけだ。


 更にもう金もつきてきて、ろくなもんを食ってない、いや元々いいもんは食ってなかったが。


 そして、歩道橋をを渡って階段を降りようとした時に、ふらっとめまいがして俺は下まで転がり落ちていった。

 ・・・

 目が覚めた俺は見知らぬ家の畳の上に寝ていた。


「ん、ここはどこだ?」


 なんとか思い出してみよう、俺は首をひねって考えていた、そんなことをしていると一人の男がやってきた。


「おお、起きたか多聞丸たもんまる


 その言葉に少し思い出した、俺の名前は確かに多聞丸と言う。


 将来の俺は楠木正成くすのきまさしげというわけか。


「申し訳ありません兄上、しかし、父上が亡くなられたというのは確かでしょうか?」


 そう確か父親の楠木正遠くすのきまさとおの死の話を聞いて俺は倒れたようなきがする。


 何しろ俺はまだ数え11歳の元服前である。


 俺たち楠木氏はもともとは駿河国の荘園の入江荘の楠木村に住んでいたらしい。


 その村の名前を持って楠木を名乗った。


 俺の母は信貴阿門律師金剛別当・橘盛仲の娘だ。


 つまるところ金剛山との結びつきはこれによるものだな。


 母は父と結婚した後、信貴山朝護孫子寺の毘沙門堂に百日間詣でを行なっって、その時に夢で鎧を着た人物が口の中に飛びこんだあと、妊娠し男子が産まれたので、俺は毘沙門天の生まれ変わりとされ毘沙門の別名の多聞天から俺の幼名はつけられたらしい。


 そして幼い頃から文武に秀で相撲も強かったはずだな、それについては感謝しよう。

 元服は16歳(1309年)だったはずだ。


 さて、観心寺荘の地頭は元は安達泰盛だったが、泰盛は霜月騒動で1285年に滅ぼされた。


 そして、滅ぼしたのは鎌倉幕府の有力得宗被官の長崎氏で、長崎氏に命じられて、俺が生まれるまえに一族は得宗被官つまり代官として観心寺荘に移った。


 得宗被官というのは子の頃の鎌倉幕府の権力を握っていた北条氏の本家の直接の家来のことだ。

 要するに俺たちは北条の家来の家来ということだ。


 そして、其ののち、父は摂津から大和への交通の要衝の荘園の玉櫛荘の橘氏と婚姻し、兄妹や子供を通じて周辺の豪族や悪党と縁を結ぶことでこの地を実質的に支配した、近隣の和田にぎた氏、橋本氏らは同族だ。


 楠木は一応得宗被官として河内の荘園経営もしているが、実際は南都と京や播磨などの陸運や水運を手がけることで財を成している、商業の未発達な東国と違い河内を含んだ畿内は商いがとても盛んな地域だ、これは港町や門前町のような人口密度の大きな都市が多いせいもあるな。


 そして赤坂村にて産出する朱砂しゅさ、硫化水銀はとても高く売れる。


 そして俺の妹は伊賀の観世家の服部元成はっとりもとなりに嫁いで猿楽や能で有名な観阿弥かんあみの母親となったと言われている。


 現在の楠木氏は摂津から伊賀にいたる土豪と商業や婚姻によって結びついているが、流石俺達がこの年では父が死ぬには早すぎた。


 俺の心配そうな表情に兄が言った。


「まあ、大丈夫だ、俺達には母上がいらっしゃる」


「そう……ですな」


 事実ここで楠木家が潰れていたら後の南北朝と呼ばれる時代もだいぶ変わっただろう。


 だが幸いなことに 叔父の楠木正玄くすのきまさはるが俺たちを養い続けてくれたので、生活に困窮することもなく済んだ。


 実にありがたいことだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る