元亨元年(1321年)
第20話 後醍醐天皇の親政開始と荼枳尼天の影
さて、時は流れて元亨元年(1321年)、後宇多院が院政を停止して後醍醐天皇が親政をスタートさせた。
後醍醐天皇は建武の新政の失敗で無能と思われがちだが、この当時は畿内の経済や土地の訴訟の改革に力を入れて京都周辺の商業勢力を保護しそれなりに成功していた。
それ故に畿内の商人や武装商人である悪党は後醍醐天皇に期待をしていたわけで、これより以降悪党の活動もより活発になっていく。
この当時の後醍醐天皇の親政で最も有名な政策が
新関停止令は大津の関、樟葉の関以外の今後新しい関所は全て廃止するというもので、関所が人や文物の往来を不便にさせている事を緩和するは確かだったから、特に俺たちにような陸運や水運に関わる通運事業者にはありがたい法令だ。
そこで京の経済活動を活発化させるために新しい関所をこれ以上増やさせないようにする為の法令だ。
関所というのは実は幕府や朝廷と言った公権力が作ったわけではなく、その大半は寺社や御家人、地頭が通行人から利益を収奪するために勝手に作ったものだ、だからこれ以後は禁止するとしたわけだな。
もっともこの新関停止令は東大寺の強訴によって挫折することになる。
今も昔も坊主は私利私欲を貪ることしか考えていないんだな。
また後醍醐天皇は米、酒、塩、衣類などの日常の生活に深く関わる日用品の価格の定価を定め物価を安定させて、飢饉のときに商人が価格を釣り上げたり、売り惜しみをすることを禁止したり、検非違使別当に命じて粟を貧民に恵んだりもしたし、さらに地口銭賦課を行い土地に面する道路の尺度によって地税を取り朝廷の経済を潤すことも試みた。
他にも後醍醐天皇は、自ら
もっとも朝廷内の自派閥の領地訴訟を有利なように進めたから完全に公正とは言えなかったが。
しかし後三条天皇の死後には消滅し、何度か復活したものの、後白河法皇、後鳥羽上皇の院政開始とともにその院庁に吸収され消滅した。
その儀後嵯峨天皇の時代に再置されてからは常設化され、1293年(正応6年・永仁元年)には伏見天皇が充実化させ、これによってその権限が拡大され、寺社・公務・所領争いなど、訴訟の分野ごとに担当する日付や班が定められた、後の建武の新政における雑訴決断所の分離・設置にも大きな影響を与えたんだな、後のこれもまた院政開始に伴い消滅したが。
さらに、後醍醐天皇は自分が取り立てた中級もしくは下級貴族を検非違使別当に命じることによって、都における警察権を手に入れ、京の治安回復を目指した。
こうして行われた政策はそれなりに成果を上げ朝廷は多少潤うようになり、治安も多少回復した。
しかし、保守的な上級貴族は、後醍醐天皇に反発した、自分の権限が奪われるとでも思ったのだろう。
しかし、天皇は「朕が実行する改革は未来になれば先例となるものよ」といって制度改革を断行させた。
貴族にとっては誰が天皇であろうと関係ないが、後醍醐天皇は自分が天皇の座を降りればすべて失われるのだから必死だったわけだ。
さて、正和2年(1313年)、当時皇太子尊治親王であったのちの後醍醐天皇は
禧子は正和4年(1315年)に第二皇女である懽子内親王(のちの光厳上皇妃、宣政門院)を出産している。
天皇はしばしば中宮御産の祈祷を行ったが、これは関東申次として幕府にも強い影響力をもっている西園寺家を外戚とする男子の親王が誕生すれば、将来の皇位継承に後醍醐天皇の皇子が加われる可能性があるからだったようだ。
この時に祈祷を行ったのが文観や円観らの真言密教の僧侶だな。
文観は、播磨国北条寺の僧・道順から真言密教立川流を学んだ。
立川流というのは、智者・行者・国王・将軍・大臣・長者・父母などの髑髏を本尊としてその魂を呼び戻すことで、全世界の知識が得られるとされ、そのために取られる手段が男女の性行為だ。
髑髏に漆を塗り歯を付け、予め打合せた美女と交わり、そしてその際の「和合水」を髑髏に120回塗付け、壇上に据えて山海の珍物を備えて子丑に反魂香を焚いて祀り、真言を千回唱え、更に「和合水」で髑髏に曼荼羅を描き、卯の時に錦の袋を七重にし、以降は開いてはいけない。その上で夜は行者の肌で温め、昼は壇上に据えて祭祀を行うのを七年間続ける。そうすれば魂が呼び戻され真理を告げるというのである。
さらに、狐の精でタントラにおける性の女神である荼吉尼天を崇拝し呪術を行ったともいう。
立川流は隆盛を極め真言宗の大半を席巻し、比叡山延暦寺の天台宗にも玄旨帰命檀と呼ばれる摩多羅神を祀っての性的信仰が広まっていた。
そして立川流は文観らによって急速に広められ、庶民や豪族などに熱狂的に信仰されることになる。
しかし、男児はなかなか生まれず、記録に残るだけでも18人の妻を持った後醍醐天皇はその後西園寺禧子の上臈であった安野中将公廉の娘の阿野廉子を見初めて寵姫とした。
「文観と阿野廉子なぁ、どうも臭うんだよな」
後醍醐天皇の建武の新政にも深く関わったこいつらだが、どうも国を混乱させる方向へ進めているようにしか見えないのだ。
そんなことを考えているうちに、弟の正季がやってきて僧がやってきてことを告げた。
「どうなさいますか?」
なぜ、俺のところに今来たのかはよくわからないがまあ、会ってみよう。
俺と対面したその僧は慈空と名乗った、結構な年齢の老僧だ。
「拙僧は高野山の阿闍梨にて慈空と申す」
こいつとは初めて会ったはずだが、どこかであったような気がするのはなぜだ?
「ん、どこかであったことが会ったか?」
「ほっほ、なるほど、魂は覚えておるようじゃ。
久方ぶりじゃの、そなたが死した時に出会ったのはワシじゃよ」
「な、なんだと?」
「正確には拙僧の守護仏である三面大黒のお力じゃがな」
三面大黒とは大暗黒天が毘沙門天・弁才天と習合した仏で比叡山や高野山に祀られている最高仏の一つだな。
どうやら俺をこの時代に連れてきたのはこいつらしい。
「其れでこちらに来た目的は何なんだ?」
俺は慈空の目を見て聞いた。
「そろそろ、本来の役目を思い出してもらわぬとともうてな。
夜を乱さんとする荼枳尼天の使いを打つべくそなたは呼び寄せられたのじゃ」
そんな理由があったのか……。
「だが、そいつらはすでに後醍醐天皇の懐に入り込んでるんじゃないのか?」
俺がそう言うと慈空は表情を暗くした。
「うむ、残念ながらその通りじゃ、じゃが貴狐天皇を調伏せねば
この国は長きに渡る混乱に巻き込まれるじゃろう」
「で、俺はどうすればいいんだ」
「破戒僧である文観や阿野廉子に力を与えておる貴狐天皇の調伏に
力を貸してほしいのじゃよ」
「其れは構わないが、俺は陰陽師でも呪禁道師でもないし
僧でもないが?」
「かって源頼光や源頼政は太刀にて怪異を滅ぼした。
その時の童子切がこれじゃ」
「なんと?
これを俺に使えと」
「そうじゃ、うまく使ってくれ」
「まあ、わかった、混乱が続くのは俺にとっても好まざる状況だからな」
「ではよろしく頼むぞ」
そう言って慈空は立ち去った。
やれやれ、なんとも面倒なことに巻き込まれつつあるようだ。
まあ、やるしかあるまいな。
高野山の真言密教正統派と真言密教立川流はこの後に対立し高野山は文観を異端視し立川流を弾圧、1335年(建武2年)に僧侶を殺害し経書を焼くなどしたしな。
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