第18話 壱岐対馬の復興と鉛筆の作成、そして堺の湊の発展の手伝い

 博多での3ヶ月間の異国警固番役を終えた俺は、九州の守護や御家人に俺が壱岐や対馬などの元の住人を探し、希望するものは俺が島に連れて行っていることを伝えた。


 それにより九州各地よりの帰島希望者を集め、俺は壱岐にわたった。


 島から逃げ出したものの土地もなく賤民として暮らしていたものも結構多かったようで、結構な数の人間が集まった。


 俺は九州各地から船を壱岐や対馬に向かわせてそれらの人間を島まで送り届けた。


 お陰で壱岐の島民数は1万近くまで回復した。


 そして最後に金沢政顕から言われたことがある。


「お前の今回の働きを鑑みて、私より楠木を壱岐対馬の守護職に推薦しておく。

 期待していてくれ」


「は、ありがたく存じます」


 まあ、鎮西探題としては俺に壱岐対馬の防備を押し付けたいだけかもしれないが、まあ推薦が通ったら、ありがたく受けておくとしよう。


 そして後日正式に壱岐対馬の守護に俺は任じられた。


 さて、島に渡った俺を島の長役をしている老人が迎えてくれた。


「この島もだいぶ復興してきたみたいだな」


「はい、それもこれも貴方様のおかげです」


 島の水田には稲が青々と実り、畑は鋤をつけた牛によって耕されている。


 のどかな田園風景がそこには有った。


「もしかしたらここの守護に俺がなるかもしれないが

 まあ今まで通りよろしく頼む」


「こちらこそよろしく頼みます」


 壱岐は農業に適した土地がそれなりにあり、試した真珠の養殖も現在のところうまくいっている。


 さらにその副産物としてアコヤ貝やヒオウギ貝などの貝殻も装飾用の品として大陸ではそれなりに高く売れている。


 まあ、成分的には真珠と同じものだからな。


 もちろん身は食用にできるから捨てるところのないありがたい海産物だ。


 そして壱岐の川を使っての水車工場では大陸や日本の各地から仕入れてきた鉄を鍛冶職人が様々な製品に加工している。


 農業用の鍬や鋤、鉱業用の玄能や楔、鶴嘴、家庭用の鉄鍋や薬缶など。


 もちろん槍や刀などの冷兵器や銃や大砲の火器の試作品も作らせている。


 しかし、大砲に関してはあまりうまくいっていない。


 日本は銅は豊富なので素直に青銅を使うことにしよう。


 燃料は釧路の炭鉱から石炭を取ってきて運んでいるので木材の資源枯渇も今のところは起きていない。


 殆どの材料を他所から持ってくるというのは強みにも弱みにもなるが、今のところはうまく行っている。


 そしていつものように船団を率いて俺は朝鮮半島の沿岸の都市に攻撃を仕掛けていた。


 あくまでも防備の薄いとこに仕掛け、さらわれた日本人を探し、見つかればそいつらを連れてかえり、人が乗っていない軍船があればそれに火矢を放って沈め、そのついでに稲や牛などもかっさらい守備隊が出張ってくる前には撤収する。


 あくまでも最大の目的は元寇の時に拉致された何千人もの壱岐や対馬などの島民の奪還だ。


 高麗の正規軍とまともに戦えば少なくない被害が出るだろう。


 俺の目的は高麗と戦うことではないからな。


 連れ戻した島民を島に連れ帰り家族と引き合わせると彼らは俺にとても感謝していた。


「まさか生きて日の本に戻りまた家族と一緒に過ごせるとは思っていませんでした。

 本当に有難うございます。」


「いや、本当に良かったな」


 こうして俺が家族を救うことで俺は俺に従う人間の数を少しずつ増やしていた。


 河内で1000人、壱岐対馬で合わせて2000人ほどの人間が俺の号令に従って動いてくれるだろう。


 俺は真珠や貝殻を大陸で生糸や紙、筆、硯などに変えて日本へ戻ってきた。


 その時に黒鉛と粘土も手に入れてきた。


 そして島に戻り、金槌で砕いて粉々にした黒鉛と粘土に水を加え、よく混ぜ練り合わせたあと、よく混ぜられた原料をさらに臼で細かくすりつぶし、練り合わせ、其れをところてんを押し出すあれのようなやつに入れて押し出し、適当な長さに切りそろえ、よく乾かした後、焼き固め、すべりを良くするために芯に熱い油をしみこませ、ゆっくり冷ます。


 これで鉛筆の芯が完成だ。


 さらに鉛筆の軸に使う木を加工する。


 杉の板材を薄い板にしたあと、芯を入れる半円の溝を削り、そこに膠を薄く塗って、芯を入れた後、其れを貼り合わせ、重しを載せて接着し、切り揃えた後六角に削る。


 これで鉛筆の完成だ。


 小刀で先を削ってかけるようにした後、俺は紙に鉛筆を使って設計図を書いてみた。


「やっぱり筆より全然書きやすいな」


 まあ、書きやすい代わりに消えやすいので可能なら万年筆を作りたいところだ。


 やる事をやった俺は壱岐から河内にかえることにした。


 ・・・


 さて、河内に帰ってきた俺は堺の様子を見に来ていた。


 俺の影響力の範囲は河内だけでなく和泉にもすでに及んでいた。


 主に海賊川賊の討伐の過程で俺に従ったほうが理があると見た武装海運水運業者は俺の下についていたし、俺に逆らうものは討ち取った、その結果大和川流域はほぼ俺の影響下に置けたし、その様子を見て馬借のたぐいも俺の下についたものが多かった。


 堺というと戦国時代には日本有数の港湾商業都市として発達し、明との貿易船が行き来し、信長の庇護のもとで栄えていた。


もともとは平安時代、この地が摂津・河内・和泉の3国の境に位置しているところから「さかいのまち」と呼ばれるようになり、熊野詣の際の宿場や養生の場所として機能していたが、決して大きな街ではなかった。


 鎌倉時代にはまだ漁港としての役割が主で、港湾都市としては遊女で有名な淀川の河口の江口や神埼、平家が整備した福原のほうが規模が大きかった。


「いつまでも神崎や福原の下に甘んじているわけにもいかんな」


 俺は大型の船が接岸できるように湊の工事を勧め、俺が大陸から買い付けてきた異国の珍しい品や壱岐で作った鉄製品を並べるとともに、俺の下に入った海運業者や水運業者に商店を開かせ、俺が庇護している芸能民や遊女が安心して働けるような芸能会館兼遊女宿を建てさせて、堺の発展を促せていた。


 効果は徐々にでてきており、市が常設され人々で賑わうようになっていた。


 船着き場だけではなく造船や船の保守点検ができる設備も整備することで、俺は大阪湾の港湾都市の中でも堺を抜きん出た場所にすることに成功したと思う。


 もちろん人が集まるところには情報も集まる。


 商人や芸人、遊女たちからだけではなく乞食の格好をさせた者たちもまた有用な情報源だ。


 まあ、それらのあがりを北条にごっそり持っていかれるのは納得がいかないが、いまの俺は北条の代官にすぎないし仕方あるまい。

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