14 貧民地区

「相変わらずにごった空気」


 貧民地区の入口。

 ここは他の地区と比べてどんよりとした空気に包まれている。

 あちこち建物は壊れているし、すれ違う人々の瞳には活気がない。


 噂に聞くような他国ほど酷い有様ではないだろうが、それでも、そう頻繁には来たくないなと思うほどに、この地区は荒れている。

 いまも祭りの時期だというのに、ここだけは物悲しい雰囲気がただよっていた。


「王子、連れてこないで正解だな」


 ペリードの情報を王子に伝えたところ、一緒に行くと言われたが、昨日の今日だ。

 流石に連れてくるわけにはいかず、ゼノはこうして銀髪の少女と肩を並べて歩いている。


「フィー。この辺の治安良くないし、戻ったほうがいいんじゃないのか?」


「んーん。ゼノの護衛。フィーの、今日の仕事。ライアスのお願い」


「………………そっか」


 こんな幼い少女に守られるとは。

 心中はひどく複雑だった。


(貧民地区かぁ、昔はよく、シオンのお忍びに付き合わされたっけ)


 懐かしい記憶だ。

 王宮は退屈だからと町へ連れてこられ、こういう治安のよくない場所にも出入りした。勝手に動き回る彼と、その姉にはよく振り回された。


 そうして決まって最後に、シオンは悲しそうな顔をする。それがなぜなのかは当時理解できなかった。今なら少しはわかる。


「ゼノ。顔、変」


「え……」


 とつぜんフィーにけなされた。

 彼女はゼノの顔をじーっと見ると、首をかしげた。


「むずかしい顔、してる」


「あぁ、そっち……」


 そういうことか。安心した。


「ほら、あれ」


 ゼノは崩れた塀を指して言った。

 そこには地べたに座り、光の無い目で空を見つめる男がいた。そのすぐ近くでは瘦せこけた女が、なにかの荷物を抱えふらふらと歩いている。


「ユーハルドは比較的豊かな国だ。食い物もうまいし、治安もまぁ……地区によるけど、そこまで悪いわけじゃない」


「ん」


「だけど、みんながマトモな生活を出来ているのかと聞かれたら、やっぱり違う。多くの人たちが、『普通』の暮らしをする影で、飢える者や、生きることが難しい連中はいる。誰もかれもが、幸せを享受きょうじゅしているわけじゃない」


 どうしてもこういった、いわゆる貧民街というものは存在する。

 治安も悪く、窃盗などが日常化しており、食事は満足に行き届かず、病も流行りやすい。


 国から見捨てられた、いや、対処が回らない場所は出てくる。

 それになにより。


「『王のように強くあれ』っていうのがウチの方針だから、いろいろと厳しいんだよ」


「王……?」


「レオニクス王。ずっと前にピナートっていう、昔小国だった場所で内乱があったの、知ってるか?」


「知らない」


「そっか。オレも詳しくは知らないけど、どうもその時から、強者に固執する政策になったらしいな」


「ん……」


「だから、こういう場所の救済は行われない。国庫の問題もあるんだろうけど、それによくシオンが怒っていたよ」


 歩きながら、建物をみれば相変わらず老朽化が進んでいる。

 いまにも倒壊とうかいしそうなものも多い。


(ロイドのおっさんも、この辺りちゃんとすればいいのにな)


 灰色髪の王佐を思い出す。彼ほど聡明な人ならば、こういった問題も容易たやすく解決できるだろうに。それをやらないのは、やはり金銭的の問題か。もやもやと考えていると、自身の横を薄汚れた幼子たちが走り去っていった。


 彼らは皆元気そうだ。

 おそらくこの地区で、元気な者は子供くらいなのだろう。


「まぁ、言っても仕方ないけど——って」


「…………」


 ふと視線を感じ、横をみれば、相変わらず読めない表情で、フィーがゼノを見上げていた。


 つまらない話をしたから、機嫌でも悪くしたのだろうか。

 無表情の中にも、ややムッとした表情が入り混じっている。


「あー……ごめんな? 難しかったな」


 ゼノが困ったように笑うと、フィーは首を振って口を開いた。


「ゼノ、盗られた」


「え⁉」


「財布、盗られた」


 少ない少女の言葉に、ゼノはローブのポケットを確認する。そして理解した。


「…………ない」


 財布が無い。

 厳密にいえば硬貨袋が。

 さらにばたばたと服を叩けば、金色の羽ペンも消えていた。


「さっき、子供……盗ってた」


「言ってよ!」


「………………」


 無言で見つめられた。何も言わないところが、逆に怖い。


(……まったく、気づかなかった!)


 いつ盗られたのだろうか? 


 先ほど子供とすれ違ったときだろうか? それともそれよりも前か?


 状況を整理しつつ、ゼノは肩を落とした。


「……あー、財布……は無理だけど羽ペンはまぁ、盗品屋に行けばあるかな……えーと、こっち」


 いまだ、じーっと見つめるフィーに対し、気まずくなり、ゼノは少し先の道を指で示した。歩き出す自分の後ろを、フィーがついてくる。


 ときおり後ろを見つめながら。


(…………?)

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