16 血花の少女
「酒場、酒場……とあった」
ロシェの雑貨店を出て、少し歩いた場所に酒場はあった。
「……ってあれ? 開いてない?」
扉に手をかけ、押すも開かない。いちおう扉には『営業中』という看板があるから、やってはいるはずだが。
「なんだろ、昼休憩とか? いやでも、もう結構過ぎてるよな」
「ゼノ。引く」
「え、あぁそっちか」
今度は、押していた扉を引いてみる。すると、カランという音とともに、なにかが倒れてきた。
「わっ! って人か……」
酔っ払いだろうか。酒瓶を持った男が、足元へ倒れてきた。
「おい、おっさん! 大丈夫か」
扉から
「……いっぱい、死んでる」
「え?」
フィーの言葉に、酒場の中をみれば、数人の男たちが血を吹き出して転がっていた。さらにその奥。ゆらりと動く影がある。
「——っ! フィー! さがれ!」
自身の前に立つフィーの腕を引き、同時に右へと倒れる。
刹那。影は陽の下に照らされ、その姿がはっきりと視認できた。
(人……なのか?)
それはまるで獣だった。逆立った髪は白く、血走った瞳はギラギラと赤い。脈動が浮き出る肢体は不自然なまでに隆起しており、肌が雪のように白い。四つ足で構えるその姿は、まさに白き狂犬といえる。
それが、
「——どこだ!」
口に出して、そのまま息がつまった。
「——ゼノ!」
フィーの声が聞こえる。その頃にはもう、肋骨と背骨が同時に悲鳴をあげた。
「がはっ——」
そこで初めて、自分は蹴られたのだと気がつく。さらに数メートル飛ばされ、どこかの柱にぶつかったらしい。
「ぐ……」
胸元をおさえ、きしむ痛みに耐える。右手を地につけ、前をみれば、フィーが獣の男と戦っていた。
(くそ……油断した)
大柄な男だ。いくらフィーが腕に覚えがあるといっても、あの体格差では不利だ。
男の突き出す
「フィー! オレがひきつける、その隙に!」
「ん!」
ゼノは羽ペンを槍へと転じ、男のもとへと走る。男はすぐにこちらに気づき、槍ごとゼノは地へと叩きつけられた。そのまま叫ぶ。
「——っつ! フィー!」
「任せる」
ひらりとフィーが舞う。ぶつりと肉を絶つ音。
男の背後に回った彼女が、その首をかき切った。
飛び散る鮮血。男の首から勢いよく噴きあがるそれは、ボトボトと地面を汚すと、やがてぐらりと男が倒れた。
「……やったか」
「ん」
身体を起こし、ほっと息を吐く。
するとフィーが隣に立ち、頭を撫でてきた。
「あの、フィー?」
「いい子。ゼノ、頑張った」
「……うん……。それやめて」
さりげなく頭からフィーの手をどかし、立ち上がる。
「……っつ」
まだ身体が痛い。あれだけ、強く蹴られ、叩きつけられたのだから当たり前ではあるが、早く城へ戻って医務官に診てもらったほうがいいかもしれない。
「フィー、いったん戻ろうか」
「ん」
「ひとまず、傷の手当して剣は後日に——」
そこまでいって、フィーに手を強く引かれる。
「へっ?」
「ゼノ、逃げる!」
「ちょっと!」
土煙をあげながらフィーが走る。それに軽く体が浮きそうになりながらも、なんとかついていく。
「待っ……フィー! オレそんな早く走れないって!」
その最中、背後から重い音が聞こえる。走りながら振り返る。
「うそだろ……」
そこにいたのは先ほどの男。
首から血を流し、追いかけてきている。
おかしな光景だ。
首はフィーがかき切ったはず。
骨で刃が止まったとしても、あれだけの血を流したら普通は死ぬだろう。
その狂気な光景に、ゼノの顔は引きつった。
そのときだった。
「——避けなさい!」
「——っ⁉」
声がしたのは頭上。
見上げれば屋根から落ちてくる女の姿があった。
とっさにその場から前へと転がる。
「ぐぎぇ!」
妙な声をあげ、男の動きがとまった。
その胸部には腕が貫通している。
女の腕だ。
女が男の胸部からずるりと手を引き抜く。今度こそ男はばたりと倒れた。
「なにこれ。思わず
「………………」
ゼノは言葉を失った。
そして、そのあとすぐばたばたと複数の足音が聞こえた。
「いたぞ! てめぇ、よくも腕をへし折ってくれたな!」
「ちょっと美人だからってお高くとまりやがって! このクソアマ!」
「言っとくけどなぁ、今更謝ったって許さねぇぞ。こちとら仲間呼んだんだ。ひん剝いて思う存分遊んでやるぜ!」
見るからに柄の悪そうな連中が、これまたよく聞く台詞で現れた。
数にして五人。
内二人は腕を押さえ、頬が腫れている。
「ふん! このあたしをお茶に誘うなんて分を
「自分で言うんかい!」
「——っち、やるぜ、おまえら!」
男たちは「おう!」と掛け合い、剣を取り出す者、拳を構える者がいた。
内ひとりが、女を捕らえようと走りだした。
それを。
流れるようにかわし、他の男たちも次々と殴り倒していく。
その姿はまるで獣。
先ほどの妙な男が狂犬なら、こちらは猛獣だ。それも獅子の類だろう。
(こわ……)
女は、白と青が特徴の、フィーティアの巫女服を着ている。
しかしその服は、大胆に改造されたもののようで、本来の制服とはかけ離れていた。
長くまっすぐな赤い髪。
好戦的な瞳で、楽しそうに男たちを蹴り飛ばしている。
そんな猛獣に、男たちはやっと自らの間違いに気がついたのか、悲鳴を上げ、逃げようと慌てはじめた。
男がふたり、ゼノの横を通り過ぎる。が、逃亡は許さないとばかりに、女は近くに転がる
「ぎゃっ!」
槍のように投げられた煉瓦は、逃げる者の背を強く打ち据えた。
つづいて、もう
(——ひっ!)
ヒュンッと風を切る音。
ゼノの顔の真横を通り、後方、逃げた者の頭部をとらえる。
それが最後だった。
すべてを倒したあと、女がふっと顔をあげ、不機嫌そうな声で言う。
「あぁ、もう。逃げようとするからそうなるのよ。大人しくしていれば軽い気絶だけで済んだのに」
急所は外したから大丈夫よね、と小さくつぶやき、そしてこちらを見た。
「奇遇ね、ゼノ。助けてあげたんだから感謝なさい」
血のように深い紅の髪をたなびかせ、頬に返り血を。
シオンの姉——ミツバは笑った。
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