19 黒刀の剣士

「——で、なんでオレが宿なんだよ!」


 ゼノは宿にいた。

 ミツバと分かれたあと——いや、正確には数歩歩いてすぐのことだった。


〝じゃあ、あたしがお前の部屋に泊まるから、お前は近くの宿に行きなさい〞


 こうして宿を探し、いまに至る。


「あいつ。金だけせっしめて、勝手に人の家に泊まりやがったよ」


 ここの宿代くらいはくれたものの、明日の朝食を買える金は無い。

 理不尽な扱いに、天井を見てぼやく。

 夜光石がぼんやりと淡く光っている。


「王族って、みんなあぁなのか?」


 王子しかり、ミツバしかり。シオンはそこまででもないが、強引なところは同じだ。


「いーや、なんか食ってこよう」


 言っても仕方がないことに諦め、部屋から出て階段を降りた。

 すでに宿での食事の提供時間は終わっている。


「適当に屋台でなにか買うか」


 祭りの時期だから、深夜を過ぎても、まだ屋台は出ているだろう。

 ゼノは外へ出ると、広場の方角へ歩いて行った。

 やはり夜は静かでいい。遠くから祭りの喧騒けんそうが聞こえるものの、この安らぐ空気が好きだなと歩いていると、ちりんと音が響いた。


(鈴の音……?)


 ちりん、ちりんと、まるでこちらへこいと言わんばかりに鳴る鈴音は、間違いない。王子が誘拐された際に聞こえた音だ。

 急いであとを追う。まるで音にまねかれるように疾々とうとうと走る。

 立ち並ぶ建物を抜け、右に左にと走った。そして——



 男がいた。朧月おぼろづきに照らされ、笛を吹いている。

 貧民街のひらけた場所。

 崩れた瓦礫がれきのうえに座り、薄墨色の髪をした男が、なにかの曲を奏でていた。

 年は、五十、六十、そのくらいか。男は異国の服をまとい、すぐそばには刀が置かれている。


(サクラナの民……か?)


 その姿はかの巫国かんなぎこくのものだ。国を失った彼らは、流浪の民として、各地を渡り歩いていると聞く。もっとも、生き残った者など極めて少ないから、ゼノの知る限り、このユーハルドでも見かけることは滅多にない。

 それにしても。


 ——あれは、何という曲だろうか?


 心にスッと入ってくるような、温かく、それでいてどこか寂しい。懐かしくも感じる曲。

 つい、曲に聴き入っていると、おもむろに男が顔をあげた。


「ほう、まさかこんな老いぼれの曲に、足をとめる者がいるとは」


「え? あぁ、ごめん。邪魔だったか?」


「いや、構わんよ」


 ゼノの言葉に男は頭を振って答えると、少ししゃがれた声で言った。


「それよりお前さんは、この曲を聴いてどう思う?」


「どうって……いい曲だと思うけど」


「いい曲か」


「うん。なんかこう、聞いてると温かいというか、アウル……オレを拾って育ててくれた義父さんと義母さんを思い出す」


「なるほど。郷愁きょうしゅうの情というやつか」


「あぁ、そんな感じ。だけど、なんとなく少し寂しい感じもした」


「ふむ……そうか」


 男はぽつりとつぶやくと、瓦礫からおりた。


「そうさな。この曲は、鎮魂歌。悲しく、そして温かい曲よ」


「そう、なんだ?」


 よくわからない、といった顔でゼノが見れば、男は微かに笑い、すぐそばの刀を腰に差した。


「さて、儂はもう行こう。坊主も早く家に帰るといい。最近は人斬りも出る。夜に出歩かぬほうがよいぞ」


「あぁ……うん、オレもすぐに帰るよ」


 男はゼノのわきを通りすぎ、暗い路地へと歩いていった。

 だが、男はすぐに足をとめた。


「ほう、ここまで追ってきたか」


 男の声に、殺気じみた気配が、闇の中から伝わってくる。

 そこから現れたのは、


「ミツバ?」


 建物のかげから、ミツバが顔を出した。

 その顔は獲物を狙うような好戦的な表情だ。さらに、怒りのようなものも混じっている。


「見つけたわ! 笛泥棒!」


(笛……?)


 ミツバが叫ぶと、男はふところから笛を出した。


「笛? はて、これのことかな」


 それはさきほど、男が吹いていた茶色の笛だ。

 長い横笛。それを見た彼女は、男をきつく睨んだ。


「とぼけるな。白い笛よ。あたしの母様が大切にしていた笛! 返しなさい!」


 言葉と同時に、ミツバが動いた。


「————!」


 ミツバの拳が、男の頬をかすめる。

 しかし、男は予測していたとばかりに避け、刀の柄で彼女の腹を打った。


「がは——っ」


「ミツバ!」


 ミツバが崩れ落ちる。ゼノは急いで彼女のもとへと駆け寄った。


「おい、大丈夫か!」


「だい……じょうぶ」


 腹をおさえ、ミツバは立ち上がる。すぐに地を蹴り、男に殴りかかった。


「バカ! 待て——っ」


「うっさい! お前も見てないで、コイツるの手伝え!」


「オレ関係ないだろ!」


「——ほう、ふたりがかりでくるか。では、慎んでお相手をしよう」


 男が刀を抜いた。黒く、闇夜に溶ける黒刀。


「黒い剣……まさか、クラウスピルか⁉」


 それは、ゼノが探していた黒剣に近い姿をしていた。


(いや、でも。あれは刀……剣とは形が……)


 刀身は背が反り返り、片刃しかない。本に描かれていたものは、両刃だった。一般的な長剣のそれだ。色はともかく、あれは違う。しかし——


「あら、ちょうどじゃないの。あれ、お前が探している剣かもしれないわよ?」


 ミツバが不敵な笑みをみせる。これで手伝うしかないわね、という心の声が聞こえてきそうな表情だ。


「あたしが、前に出るわ。お前、どうせ弱っちいし、こっちでひきつけるから、隙を見てアイツを殺して」


「殺すのは流石に……」


「なに、甘いこと言ってるのよ。あれは相当の手練れよ、殺す気でかからないと、逆にこっちが死ぬわよ!」


「そうさな。無駄口を叩いているのなら、生きのびることを考えることだ」


 男が、ゼノとミツバの間に刀を振り下ろす。


「————っ」


 風圧とともに、砂煙があがる。


 とっさに後ろに飛び、いまいた地点をみれば、地割れのように大きなひびが見えた。


(こわっ!)


 男はめり込んだ刀を引き抜き、地を蹴った。


「つっ——」


 刃が頬をかすめる。熱い。斬られる寸前で避けたとはいえ、一秒遅ければ顔の中心に穴が開いていた。その恐怖に足がすくむ。


「遅い!」


 横から迫りくる刃。槍ではじき、軌道をそらす。足に力をこめ、男の腹へ槍を突き出すも、みごとに避けられ、空いた背に刃が落ちてくる。まずい。

 とっさにゼノは手を地面にかざし、風を出した。


「———っなに⁉」


 男が驚き、ゼノから離れる。

 いましがた男がいた場所に、風の塊が現れた。びゅうびゅうと、渦巻く。それを見て、男がつぶやいた。


「……呪言じゅごんか。坊主、まさか妖術使いとはな」


 警戒した男が、さらに一歩さがる。

 そこをミツバが襲い掛かった。しかし、男は予測済みだったのか、手刀をよけ、ミツバに蹴りを入れた。それを片手で易々と受けとめるミツバ。掴んだ男の足を持ち上げ、瓦礫へと放り投げる。そのまま流れるように跳躍し、よろめき立つ男へ、拳を叩きこむ。


「……っ!」


 すんでのところで男が転がりよけた。

 男の後方。瓦礫が音を立てて、吹っ飛ぶ。


「これはこれは……なかなかに怪力な娘よ。まるで猛獣のそれだ」


 ミツバと十分に距離を取り、男はしゃがれた声で笑った。


「ふん。武を極めている、と言ってほしいわね」


 ミツバはぺろりと血のついた拳をなめると、「はやく終わしましょう」と言った。


 男がうなづき、天を見る。


「……そうさな、美しい月も隠れてしまった。そろそろ、儂も退散しよう」


 男はぱちんとさやに刀を納めた。


「……?」


「なによ、降参でもするわけ?」


 ゼノとミツバが当惑した表情で男をみる。男が目をとじ、息を深く吸った。

 刹那。


「——えっ」


 気がつけば、地面に倒れていた。

 

 ゼノは何が起きたのか理解できなかった。

 それほどまでに、男は速かった。神速しんそくと言ってもいい。

 勝負はついた。それだけが解ったあと、強烈な痛みがおそってきた。


「うがっ——」


「痛むか。だが、殺さぬよう加減はしてやった。なに、鞘で少し小突いた程度よ。運が悪くなければ、骨が折れることもなかろうよ」


 言って、男はきびすをかえした。


 ミツバが倒れながらに、男へと手を伸ばす。


「待っ——」


 がぐんと落ちる手。意識を失ったらしい。


「……っつ」


 ゼノはよろめきながら、上体を起こす。

 口の中を切ったのか。鉄の味が広がり、気持ちが悪い。

 おまけに呼吸がうまくできない。


「ごほっ……ごほ……ひゅぅ……」


 横で倒れるミツバに、ぼやけた視界を合わせる。

 目立った外傷はなさそうだ。

 コイツはもともと頑丈だから、このくらいは平気だろう。

 とはいえ、早く治療したほうがいい。


(病院……)


 いや、こんな時間に開いているところはない。ではどこに。

 ならば家。家ならば、薬が揃っているから、診てやれることができる。

 だけど——


「参ったな。かついでいくことなんて、とても——」


 そこで意識がぶつりと途絶えた。

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