第1章② 失われた宝剣を探して

10 妖精姫

「……首が痛い」


 首に手を回しながら、左右にひねる。

 窓を見れば、いつの間にか朝を迎えていたようだ。太陽の光が目にささった。


「ふあ……眠い……」


 昨晩は日記をつけているうちに寝落ちしたらしい。机には書きかけの日記とペンが投げ出されてあった。

 それをぼんやりと手に取る。物語風に近い日記。昨日の見事な王子救出劇。意外とうまく書けたなと自賛しながら、ゼノは立ち上がった。


「あ、そうだ! 今日から王子迎えに行くんだった!」


 早く出なければ。

 やっと正式な補佐官になれたからと、王子が住まう離宮へ出入りが許されたのだった。万が一、遅刻でもして、そうそうに首にでもされたら困る。

 

 ゼノは急いでローブを羽織り、外へ出た。


「さて、行くか!」


 ——王都の第二区、商業通り。

 ここはその名の通り商業が盛んな区画であり、ゼノはその一角に住んでいた。一階は雑貨店で、その二階に部屋がある。ひとりで暮らすには少し広めの部屋だが、家賃は安く、城まで通いやすいからと気に入っていた。


「今日も休みか」


 階段を下りてすぐの雑貨店。ここは金持ちの道楽でやっているらしく、月に数回しか開いていない。この間もインクが切れて買いに行ったら、売り子の女性に「納品は半年後です」と言われた。流石に冗談だろうと思ったら、事実だったようで、うっかり取り寄せを頼んでしまうところだった。


 その店の扉に、なにやら手書きの紙が貼ってあった。


「閉店しました。ご愛好ありがとうございました……?」


 潰れている。


(確かに対応とか最悪だったもんなぁ、この店)


 日頃のようすをかんがみれば、当然といえば当然だが、ここは珍しい薬草も取り寄せてくれるからと実は重宝していた。それだけに残念だ。新しい店を見つけないとな、などと考えているうちに城へついた。


「えーと、執務室……じゃなくてフローラ宮か」


 ライアス王子が住むフローラ離宮。

 城の正門入口から入り右手側。

 廊下を歩いて庭を越え、さらにもうひとつ。庭を越えたところに建っている。


 なぜ、王子なのに城内へ住んでいないのか?


 それは単純に、現王レオニクスには三人の妃がいて、それぞれが住まう場所が分かれているからだ。正妃である第一妃は城に部屋を持っているが、第二妃と第三妃は離宮をあたえられている。だから、第三妃を母親に持つライアス王子も離宮住まいだった。


(つっても、詳しくは知らないけど……)


 あくまでシオンから聞いた話であり、もっとも、彼のいたリミュエル宮はもうない。


「ついた」


 離宮の入り口には、ふたりの警備兵が立っていた。

 ゼノは軽く会釈をし、事前に教えてもらった王子の部屋へ向かった。


「花だ……」


 歩いていると、美しい庭園が見えた。


(なんの花だろ)


 大小、色とりどりの草花。ふわりと鼻腔びこうをくすぐる柔らかな香り。

 あたたかな陽気と、透明な陽射し。


 瑞々みずみずしい花びらのうえを、光蝶スピルたちがひらひらと舞い踊る。そんな幻想的な光景に、つい、庭へ足を踏み入れてしまった。


「見事なもんだな」


 いまは春の時期であり、多くの花が見頃をむかえている。

 よく手入れが届いているな、と関心していたら誰かの声が耳に届いた。


「あの……」


 鈴のような声。声のもとを辿れば、ひとりの少女がそこにいた。


(女の子? それも身なりがいい……)


 瑠璃るり色の瞳に青い髪。太陽石ヘリオドールをあしらった印象的な花飾りと、柔らかなドレス。


 まだあどけない容貌ようぼうの少女は、不安そうに瞳を揺らして自分を見ている。そんな彼女の周りには、多くの光蝶スピルたちが飛んでいて、花園の中に座っているからだろうか、その姿はまるで、花の妖精を連想させた——


「どなた……ですか?」


 少女の言葉にハッとする。

 しまった。

 ぼんやりとしていたが、ゼノは彼女の姿に見覚えがあった。


「こ、これは大変失礼いたしました! リフィリア王女殿下」


 すぐさまその場にひざをつく。


(リフィリア・フィロウ・ユーハルド……! 王子の妹姫か)


 王子の一つ年下の姫だ。母親が同じで、ふたりとも『フィロウ』の名がついている。

 はじめて見るが、容姿からして間違いない。目元が王子とよく似ていた。


「…………」


(…………?)


 反応がない。

 不審に思い、顔をあげれば、姫は赤い頬でうつむいていた。


「あの———」


「どうした、ゼノ」


「——っ! 王子」


 言いかけて、後ろから声をかけられた。振り返ると、こちらに歩いてくる王子と、フィーの姿がみえた。


「おはようございます。迎えにきました。さっそく城へ向かい——」


 刹那、ぴゅんっと耳元で風が鳴った。

 すべて言い終わらないうちに、音速おんそくで何かが、横を通り過ぎた。


「——え?」


 驚いて、風の先をみれば、その『何か』の正体は姫だった。王子の背に、ぴったりとくっつき隠れている。ドレスのすそが、王子の両脇からはみ出していた。


「えぇっと……リフィリア様?」


 姫は警戒した面持ちで、王子の背からこちらをうかがっている。


「どうした、リーア」


 王子が姫をがそうとその肩をつかむ。が、服がのびるだけで姫はまったく離れなかった。そのようすから、どうやら姫は自分を怖がっているらしいと判断し、同時に思った。


 猫みたいだな、と。


 猫は警戒心が強いから、人のことをじっと見ては、ぱっと逃げてしまう。しかし、遠くまでは逃げない。比較的に近い物陰から、こちらを観察してくるものだ。そんな様がよく似ていて、現に姫も、王子のうしろからおずおずと顔を出している。


「ふむ……相変わらずの人見知りだの、お前は」


 そう言うと王子は、妹の頭をひと撫でしてから、べりっと勢いよく剥がした。


 反動で姫がよろめく。その細い背に、フィーが手を置いて支えた。


「さて行くぞ。ゼノ」


(この状況で?)


「に、兄様……」


「お前は寝ていろ」


 か細い声をあげる妹に、ひとことだけ言い、王子は廊下へ歩いて行った。


(仲、悪いのかな……)


 その場に取り残されたゼノは、王子を追いかけながら、後ろを見た。

 顔を赤くしながら、花をぼんやりとみつめている姫の姿は、とても儚かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る