03 城下町

 それから一週間が経った。

 目の前では、青髪の王子と銀髪の少女がゲームをしている。


「フィー! 今日はゴモクをやるぞ。勝ったほうが机のうえの菓子を口にできる」


「──! フィー、負けない」


「眠い……」


 大きな窓の側であくびを噛みしめ、腕を組み、ゼノは背中を壁に預けていた。

 いまいるここは王子の執務室だ。


 間取りや調度品こそ、ごく普通のものではあるが、執務をとるべき机には菓子が置かれており、あたり一帯には遊具が散乱している。

 現にいまも、升目上の盤に、赤と白の石を置いて戦う、ゴモクという陣取りゲームをふたりはしている。


(ひまだ……)


 眠気に負けそうになりつつも、ゼノは独創的な絵画を眺めた。

 どういう感性をしたら、あんな絵になるのだろうか。

 ある意味、目を奪われる絵画にわずかながら引いていると、どんっと足に何かがぶつかった。


「わふっ!」


「わ!」


 ちょうど腰のあたり、書簡をくわえて自分を見上げる狼がいる。どうやら書簡を渡そうとしているらしい。鼻先で、足にぐいぐいと書簡を押しつけてくる。


「ひっ、なんで狼?」


 鋭い犬歯に、いかつい顔。

 非常に怖いその容貌に、ゼノが戦慄せんりつしていると、フィーがすくっと立ち上がり、狼から書簡を受け取った。


 助かった。


 しかし、ほっとしたのも束の間で、今度は開いていた窓から鳩が入ってきた。こちらは足に手紙がついている。小さく折りたたまれた紙を、やはりフィーが回収した。


(鳩……はポッポ便か)


 ポッポ便は大陸全土で使われる連絡手段のひとつだ。

 運営はくだんのフィーティアであり、名前の安直さには触れてはいけない。

 それよりも。

 いったい、警備は何をしているのか。城内に狼の侵入を許しているあたり、職務怠慢だろうと、ゼノが呆れていると、窓の外を数人の兵たちが慌ただしく通り過ぎた。


「そうか、豊穣祭……」


 一年の実り、つまりはその年の豊作祈願をする祭りが、いま王都で行われている。


「──さて、そろそろ出かけるとするかの」


 王子がソファーから立ち上がり、上着を羽織った。

 ゲームはどうやらフィーが勝ったようだ。嬉しそうに菓子を食べている。

 まぁ、わざと負けたのだろう。

 ゼノの目から見ても、王子は明らかに手を抜いていた。


「出かける? そんなご予定は無かったかと……」


「言ってないからな」


 いや、言えよ。

 口に出しそうになるのを押し留め、ゼノは王子をとめた。


「王子。予定は事前に仰っていただきませんと。警備の手配もありますし、今日出掛けるのは、やめたほうがよろしいかと……」


「……? なぜわざわざ言わねばならんのだ。その程度、仮とはいえ補佐官ならば察してみせよ」


「………………」


 殴りたかった。


「えーとそれで、どちらに向かうのですか?」


「祭り。分かりきったことを聞くな」


「……はい」


 ゼノは重い足取りで、王子のあとをついていった。



 ◇◇◇◇◇



 ユーハルド王国。

 エール大陸の西側に位置する国家であり、大陸で最も古い歴史を持つ小国だ。


 自然豊かな緑に囲まれ、農牧が盛んなこの国では作物の恵みに祈りを捧げる。それが、いま王都で開催されている豊穣祭だが、相変わらず盛況ぶりにゼノも目がくらんだ。


「人混みすご……頭が痛くなってきた……」


 ぐらぐらと視界が揺れる。文字通りめまいがする。

 広場には多くの屋台や見世物が出ており、おかげで人がごった返しになっていた。

 額に手をあて歩くゼノに、隣を歩く王子の護衛官が声をかけた。


「大丈夫か? 顔色が悪いようだが」


「いや、うん……。人混みが、ちょっとね」


 自分より頭ひとつぶん高い青年を見上げれば、心配そうに眉を寄せている。

 さっぱりとした茶髪に淡い緑の瞳。エドルという名前の彼は、むかしゼノが通っていた騎士学校の同期だ。こうして王子のもとで再会した際は、お互いに驚いたものだった。


「……なるほど。たしかに今年は例年よりも混雑しているからな。まぁ祭りなのだから、仕方がないともいえるが……それでもここは、まだマシなほうだろう」


「そうか?」


「あぁ。正門のほうはもっと混みあっている」


「正門……あぁ、たしかに」


 エドルが目を細め、正門がある遠くを見た。つられてそちらを見る。


(この時期の検問は混むからなぁ)


 毒物や、禁制品きんせいひんの出入りを検分しているのだ。

 おかげで普段は穏やかな正門には長蛇の列ができ、役人も兵士も大慌てで対応している。


「どうせ、混むんだから入口固定しなきゃいいのに」


 この王都はぐるりと分厚い城壁に囲まれている。東に正門が位置し、西のほうに青を基調とした、美しい城がある。城門は三つ。いつもならば南の大門が開いているし、北側の小門も必要に応じて開く。いまは警備強化のために交通規制を敷いていた。


「フィー。串焼きでも食べるか?」


 王子が足をとめた。


(はやく帰りたい……)


 目の前を歩く王子の護衛には、フィーとエドル、そしてゼノの三人だけだった。

 なんでも、新人が入ってもすぐに辞めてしまうらしい。

 エドルがこの前ぼやいていた。


「よし、ゼノ。これで串焼きを買ってくるのだ」


 王子が財布を投げた。


「……はい」


 財布を受け取り、串焼き屋へと向かう。豚の丸焼きが大きく目を引く店だ。


「いや!」


(いや?)


 とつぜん小さな悲鳴が聞こえた。思わず足をとめる。


「黙れ! このガキ!」


 今度は野太い男の声。

 不審に思って横を見れば、大通り脇の細い路地裏で、大柄の男が幼い少女の手を強く引っ張っていた。手には大きな麻袋。そこに少女を入れようとしているらしい。


(人さらい……!)


 こんな白昼堂々、よくもやる。


「おい──」


 ゼノは男をとめようとして声を出したが、すぐに王子の声に遮られた。


「そこの! 何をしておる!」


 同時に、ゼノの後ろから勢いよく『何か』が飛んできた。風を切る音の中に、わずかな金属音が聞こえる。ジャラっとした音。鎖だ。

 飛んできた鎖は、男の身体にぐるぐると巻きつくと、瞬時にその動きを封じた。


「なにが……?」


 ゼノは後ろへ振り向く。そこにはフィーがいた。


 彼女の右手には鎖。左手には小さな鎌。鎌と鎖は繋がっており、いわゆる鎖鎌というやつを持っていた。


「──なっ! くそ、外れろ!」


 男が鎖を外そうと身をよじる。

 だが、びくともしない。その背後から、


「動くな」


 男の首すじに剣があたる。王子の剣だ。

 腰に下げている剣を抜き、男へ向けていた。男の顔が、一気に青ざめる。


「──くそっ。だ、誰だ貴様!」


「誰でもよい。それより人さらいとは下衆なことを」


「うるせぇな! いい商品がいたから捕まえようとしただけだ! 悪いか!」


「商品?」


 ゼノは子供を見た。


「桃色……」


 よく見るとその子供は、珍しい桃色の髪をしていた。


(あぁなるほど、異郷の血が混じっているのか)


 その血を持つ人間は、信仰の裏で一部のバカが集めたがるものだ。

 助けた子供は、震えながら泣いていた。


「悪い。人は商品ではないし、売り買いすること自体間違っている」


 王子がエドルに指示を出す。


「巡回兵に渡せ」


「はっ」


 王子の命令に、エドルが男を連行し、フィーが桃髪の少女の頭をなでた。


(……噂とだいぶ違うな)


 第四王子はわがままで手がつけられない。


 それは有名な話だ。

 先日も、話が長くて嫌味な緑髪の同僚が、勝手にぺらぺらと喋っていた。突然補佐官を殴っただとか、難癖をつけて辞めさせただとか、結構ひどい話だったが。


 どうも噂とは違う。


 確かに王子の態度は冷たい。言い方にもきついところがある。

 しかし、子供を助けた。意外と正義心に厚い人なのかもしれない。


 そんなことを漠然と考えていると、いつのまにか子供の手を引き、王子が路地裏から出ていこうとしていた。


「大丈夫か、そこの子供。迷子なら余も母を探してやろう」


「あ! ちょっと待ってくださ──」


 その直後。ちりん、と鈴の音がした。

 一瞬だった。王子と子供が路地裏を出た瞬間。


「────なっ!」


 見知らぬ女が現れ、王子をさらっていったのだ。

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