06 ゼノ

 街道を走り去る馬車のうえ。ゼノはつけヒゲとカツラを取った。

 まだ少年といっても差しつかえない、やわらかな顔立ちに、やや長めの白髪。

 その下には、限りなく赤に近い太陽石ヘリオドール双眸そうぼう

 薄汚れていたマントを脱ぎ捨てると、ユーハルドの文官服が現れた。


「白髪の馭者。なるほど気づかなかった。どうりで妙な服装だったわけだ。あのように みすぼらしい恰好など、役人が雇うはずがない」


 それに役所の車ならば専属の者がいるからな、と後ろを振り向くこともなく、エドルが言った。


「ちょっと変わってもらったんだよ。案外適当な変装でもいけるもんだな」


 ゼノはエドルに向けた短剣を強く握りしめた。

 足場が揺れる馬車のうえ。ここで戦いとなれば、正直が悪い。


「なっ! じじいがガキ⁉ どういうことだ!」


 男が喚きだした。

 剣も抜くも、だいぶ混乱した様子だ。


「うるさいな。見ればわかるだろ? それから、オレはガキじゃない。今年で十八の大人です」


(まだ十七だけど)


 とはいえ自分の正確な年はわからない。

 養父に拾われたときに十才前後だろうということだったから。


「十八ぃ? おいおい嘘だろ、どうみても成人じゅうごくれぇのガ──」


 ゼノは左手でナイフを投げる。


「いてぇぇぇぇぇ!」


 見事、男の腕に命中し、握られている長剣が、からんと音を立て荷台に転がった。


「──ふ、オレは大人だからな。その程度の挑発には乗らない……!」


 ひくひくと口元が引きつるのを感じつつ、ゼノはエドルに視線を戻す。


「それで? 理由を聞こうか。なぜ裏切ったエドル」


「裏切り……か」


 エドルがふっと息をもらす。


「単純なこと。ライアス様では未来がないからだ」


 そして不敬な呼び名を、彼は告げた。



『出来損ないの青豚王子』



「………………」


「──我らが、レオニクス王はいまだ王太子を定めていない。よって未来の王座は空席のまま。つまり、現状すべての王子や姫が次の国王になりうるわけだ。しかし、お前も知っているだろう? あのかたの宮廷内での評価を」


 知っている。


 『出来損ない』、それは他の兄弟にくらべ、王子が劣っているということ。

 『青豚』、それは彼の体型と髪色にかけた侮蔑の呼び名だ。


「智も勇も、他の兄弟に比べ劣っている。そんな方がこの先、王座につけるとは思えない」


「……だから裏切ったと?」


 そう問えば、数秒のあとにエドルがはっきりと言った。


「ライアス様に己が主君としての器を見いだせない」


 そのどうしようもない理由に、思わず深い息が出た。


「お前、相変わらず騎士馬鹿だよな。そうまでして騎士団に入りたいのか? そのひと売ってまでさ」


「…………」


 エドルは答えない。

 がらがらと車輪がまわる音と、駆ける馬の足音のみがこの場に響く。

 突如そこにガタっという音が追加された。


 ゼノの後方、おそらくは木箱が開いた音。そこから出てきたのは王子だろう、エドルの隣で腕を押さえ、しゃがみこんでいる男がゼノの後方をみて「ちっ」と舌打ちをした。


「王子、下がっていてください。できれば剣の当たらない位置まで」


 ゼノの言葉を聞き、王子はなにも言わず、後ろへと下がったようだ。わずかにあとずさる靴の音が耳に届いた。


「この先に、サフィール殿下が率いる兵たちがいる。悪いが誘拐は諦めてもらう」


「サフィール殿下……南街道……そうかそれで……」


 どうやらすべて理解したらしい。エドルがつぶやいた。


「そ。フィーの狼襲撃はこの馬車の進路を変えるため。オレは馭者として潜入。なかなかいい作戦だろ?」


 流石に狼は想定外だったが、あとはこのまま馬車を走らせるだけだ。

 そうすればあちらの兵にぶつかるだろう。

 しかし。この状況がつづくとは思えない。

 なぜならこの騎士馬鹿が、そう簡単に捕まってくれるはずがない。


 ゼノはエドルに投降を求めた。


「そういうわけだから、大人しく捕まってくれる?」


「…………断る」


 その瞬間、ぱっとゼノの視界からエドルが消えた。


「────っ!」


 下だ。瞬時に下に目をやれば、エドルがしゃがみこみ、体をこちらに向け、ゼノの足を払いのけようとしていた。


(させるかっ!)


 後ろへ飛び、エドルの攻撃を避ける。が、着地するところで一撃。いつのまにか剣を抜いていたエドルが、ゼノの短剣を弾き飛ばした。


「──しまっ……!」


「ふ、相変わらず剣が苦手なようだな、ゼノ!」


 崩れた防御。そこにエドルの剣が迫る。斬られるその寸前。


「──なんてな☆」


「なにっ──⁉」


 ゼノの手から槍が飛び出し、エドルの剣を受けとめる。

 じゃぎりと金属が擦れる音を鳴らし、軌道を右にそらす。

 その後すぐに槍を反転。持ち手でエドルの腹を突く。


「がはっ!」


 エドルは腹部をおさえ、がくりとひざから腰を落した。

 思わぬ攻撃に避けきれなかったのだろう。彼は苦しそうに言葉をあえいだ。


「……槍……いや槍杖……魔導品か」


「あたり。これだよ」


 そう言って、エドルの前で槍を元の形に戻した。

 その姿はごく普通の羽ペンで、紙と一緒に置いてあってもおかしくはない。ただし、素材は金属で、軽いが硬く丈夫に出来ている。


「オレは剣も弓も駄目だけど、槍だけは得意だから」


 ゼノは左から右に羽ペンをひるがえし、再度武器へと変えた。


「さて。勝負はついた。街道まで大人しくしてもらおうか」


 エドルに近づき、ゼノはその辺に落ちていた縄を拾いあげる。

 そのときだった。

 がたん! と大きな音が鳴り、馬車が揺れ、この場にいる全員が足場を崩した。


「なんだ⁉」


 急に馬車が蛇行しはじめた。積み荷が右へ左へと滑り流れている。

 ゼノは必死に手すりにしがみつき、前方を見る。

 そこには、この荷馬車の馬たちがいる。


 どうやら、彼らが暴走したらしい。速度をあげ、二頭が互いにぶつかりあいながら走っている。

 いったい、何が起こったのか。


「ちょ、馬! もっと大人しく走って‼」


 がくがくと脳が揺さぶられる。手すりから振り落とされそうになりながらも、なんとか耐え抜く。


 そこで、木箱にしがみつくエドルがぽつりと呟いた。


「…………なんの冗談だ?」


「なにが!」


 エドルが困惑顔で前方を見ている。

 視線を追って、もう一度馬たちを見れば、彼らの背には木の棒がくくりつけてある。そして棒の先端には糸。

 さらにその糸からはニンジンが、ちょうど馬たちの鼻先にぶつかるよう、つるされていた。


 とうぜん、仕掛けたのは自分である。さきほど、馭者台から離れる際に仕込んだ。


(……ぐ、まさかあの本、ガセだったのか⁉)


 馬の鼻先に餌をぶら下げるとなんとやら。


 そう書いてあったはずなのに。


(これまずいかも……)


 自分は失態を冒したのかもしれない。


 さーっと血の気が引く中、エドルが何かを悟ったかのように、荷台のうえを走っていった。その際、まるで馬鹿を見るような目で自分を見ていったが、気のせいだと思いたい。

 エドルが馭者台に到着し、馬の手綱を握る。


「くそっ」


 苦悶した声が聞こえる。

 確かにそうだ。

 この身は荷台に立っていた。馭者にふんしていたのだから、手綱を握るものがいなくなれば、こうはなる。


 荷台に馭者ゼノが立つ間、馬たちはいったい誰が走らせていたのか?


 当然の結果に全員の悲鳴があがり、馬車が転倒した。



 ◇◇◇◇◇



「いつっ……」


 草がわずかに生えた、土のうえで、ゼノは頭を抱えて起き上がった。

 そのすぐ横でエドルも体を起こし、呆れ顔で言った。


「馬鹿なのか、お前は」


「や……馬の鼻先に人参がどうたらって、この前本で読んだから、実践してみたんだけど……」


「それは作り話だ。それで走る馬はいない」


「…………」


「…………」


 両者しばしの沈黙。ゼノは気まずくなり横を向いた。そんなゼノの耳にエドルの吐息が聞こえてきた。


「──まぁ、いい。とりあえずは生きている。それだけでも運がよかっ──」


「動くな!」


 低音の、野太い声が響いた。

 立ち上がろうとしたエドルと、ゼノはぴたりと動きをとめる。

 声の主、王子の首に剣をつきつけた男がいる。


「王子!」


 まずい。失敗した。安全を確保してからにすべきだった!

 ゼノは内心焦る。

 もちろん相手に焦りを悟られないよう、手を握りしめながら。


「おい。傷を負わせずにつれていくのが条件ではなかったのか?」


 エドルがわずかに顔をしかめながら、男に問うた。


「うるせぇな! 少しくらい平気っつーか、すでにボロボロなんだよ! それよりさっさとそのガキ、始末しやがれっ」


 その言葉に、エドルはそばに落ちていた剣を拾い、ゼノの首に剣をあてた。


「投降しろ。そうすれば、命までは取らない」


「…………」


 どうやら殺す気はないらしい。だが。

 男が叫ぶ。


「馬鹿野郎! さっさと殺しちまえ! んなガキ、生かしといても邪魔なだけだろーが!」


「──だ、そうだ。死ぬ気はあるか?」


「ない」


「だろうな。流石に俺も同志を斬るのはごめんだ。できることなら殺したくはない」


「同志?」


 同志とはなんのことだろうか。

 思い浮かぶとすれば、騎士学校時代のことくらいか。


「騎士学校のことか?」


「違う」


 エドルは短く答え、


「──シオン様」と、だけ言った。

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