07 シオン

 ──シオン・ソラス・ユーハルド。



 それはユーハルド王国、第三王子の名だ。

 ライアス王子の二つ上の兄で、その懐かしい名に彼の姿を思い出す。


 友人だった。


 夜空のような黒髪に、春空のようにあたたかなスカイブルーの瞳は、いつも優しく自分をうつしていた。


「お前は元々、第三王子、シオン様付きの補佐官候補だった。それもシオン様自らの推薦で、お前はあの方に選ばれた」


 そうだ。アイツが王となり、自らはそれを支える王佐になる。

 そんな約束だった。

 だから五年前、騎士学校を辞め、面倒な教育を城で受けたのだ。

 シオンを支える補佐官に、ゆくゆくは王を支える王佐になるために。


「なぜだ、ゼノ」


 エドルがぽつりと言った。


「──騎士と文官。形は違えど、自身を必要とする主君が現れ、主に忠誠を捧げる。そんな、物語のような騎士の姿に、当時の俺はお前を羨ましいと思っていた」


 無機質な声が続く。


「だから、お前の行動が理解できない。ユーハルドの騎士にとって、主は生涯でただひとりのみ。たとえ主君を亡くしても、別の者へ仕えることなどありえない。だというのに、なぜお前はここにいる? なぜライアス様のもとへ来た」


 独白に近い、エドルの心情。その声は次第に怒りをはらんだ声へと変わっていく。

 そして──


「そんなにも、王佐の地位が欲しいのか?」


 苦しそうな顔で、コイツは言葉を吐いた。

 そんなエドルの言葉を、ゼノは静かに聞いていた。


 あぁ、そうか。コイツは騎士に強すぎるほどの幻想を抱いていたっけ。


 剣は二星につかず。

 剣とは騎士を表し、星とは光輝く王のこと。つまり、騎士はふたりの王にはつかない。

 古い、もう廃れたユーハルドの騎士の教えだった。


「……はぁ」


 くだらない。

 何を言っているのやら。

 そもそも自分は騎士じゃない。

 だからそんな大層な騎士道なんてものも、持ち合わせてはいない。


 さらにいえば、騎士学校で習った教官の言葉を、それもそんな古い教えを、いまどき忠実に守る騎士なんかいないだろう。

 それを真面目にとらえるとか、やっぱり馬鹿だコイツは。


 ゼノは目を閉じ、口を開いた。


「…………約束を守るため」


 地をう手に、ぐっと力をこめる。


「約束?」


 なんだそれは、と言いかけて、エドルは言葉をのみこんだ。

 ゼノが彼の剣を掴み、そのまま立ち上がったからだろう。


「おい────っ!」


 血が、ぼたぼたと足元へ落ちていく。

 あぁ熱い。

 刃を握った左手が、ジクジクと痛みを叫んでいる。


「馬鹿か、お前……!」


 エドルの焦った声を聞き流し、そっと剣から手を放す。

 正直に白状すれば、こんな男にいちいち説明をするのは面倒だ。誤解されたところで別に構わない。だけど。


 ゼノは流れる血を見ながら、静かに言った。


「エドル。オレは騎士じゃないから、騎士道だとか言われてもよくわからない。それからお前が言う、忠誠なんてものも持っていないよ」


 シオンは主君じゃなくて友人だ。


「それと王佐の地位が欲しいかだって? いいや。どうでもいいね、そんなもの」


 地位かざりなんてどうでもいい。


「面倒だからな。政なんて結局は、貴族様どもの権力の見せ合いだ。それにいちいち振り回されるのはごめんだし、そもそもオレに腹芸とかは向いていない」


 苦笑する。

 そうだ。出来ることなら、王宮のごたごたなんかに関わらず普通の生活がしたい。

 いつだってそう思っている。それでも。


「ならばなぜ。お前はここにいる?」


 エドルの問い。

 それに、だらだらと流れる血を握り締め、ゼノは応えた。


「誓ったからだよ。いい国を作るって」


「いい国だと?」


「そう。馬鹿な話だろ? アイツ、民全員が笑って暮らせる国が見たいんだって。そんなこと無理に決まってるのにな」


 そもそもの話だ。現王が治世をひくこの国は、すでに『いい国』だ。


 苛烈を極めた戦乱は、随分も前に終わり、いまはこうして穏やかな御代が続いている。確かにときおり、各地で小競合いは起こるが、それでも争いがあったという事実を、誰も彼もが忘れつつあるほどに平和な国なのだ。


 ──だけど。


「前に、アイツが言ってた。ユーハルドは強者の国だと」


「強者?」


「あぁ。オレはユーハルドは豊かでいい国だって思うし、シオンじゃないから、よくわからない。だけど、この国に住む連中が、誰も彼も幸せかと聞かれれば、そうじゃない」


「……それは当然だろう。なにを当たり前なことを……」


 エドルが眉間にしわをよせる。


「そう、当たり前だ。でも、アイツはそれが嫌だと言ったんだ。日陰のない国がいいと、そう言っていた」


「………………」


 本当に馬鹿な話だ。

 国である以上、光もあれば闇もある。ましてや『全員が幸せ』という結果は土台無理な話だろう。

 しかし、シオンはそれでは嫌だと言った。


 当然だけれど、本人だって夢物語だということはわかっているはず。

 なにせ賢い奴だった。

 だからそんな風に言っていたのは、きっとアイツなりに、国の闇をはらいたかったのだろうなと思う。


 そんなシオンが、ひどくまぶしかった。


「そんなわけで。オレは死んだアイツの夢を叶えたい。だからここにいる」


 シオンのいう、馬鹿な夢を叶えるため、こうして面倒な文官をやっている。

 そうじゃなかったら、面倒な城なんかにあがらない。


 ほんの少しの間。風がすり抜けて、エドルが息を吐いた。


「……なるほど。言い分は理解した。だがシオン様はもういない。仮にお前がそれを実現したところで、の御方が喜ばれる姿を見ることはできないと思うが……それでも、お前はその夢を叶えるというのか?」


 当たり前だ。


「当然だろ。だって友人との、約束なんだから」


 そう笑って言って、思い出す。あの日の言葉を。

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