05 街道にて
ユーハルドの西街道。
「おら! さっさと急げ!」
「す、すんません」
柄の悪そうな男が、白髪の
後ろの木箱へ座る男は、時折こうして蹴りを入れてくる。
がらがらと回る車輪と、鈍い痛みから意識をそらすように、ゼノは思考の泉へと沈んだ。
(潜入はうまく出来たけど……)
いまいる荷馬車は、
幾つもの木箱が荷台に乗せられ、馬車が揺れるたびに、じゃらじゃらと高い音が響いている。これだけあれば、かなり贅沢な暮らしができるだろうなと、他人事のように思いながら、髪を触る。
やたらぼさっとした白いカツラに、白く長いつけひげ。そして薄汚れたマント。
それがいまの自分の姿だ。
あのあと、フィーの犬並みの嗅覚が役に立ち、王子を乗せた荷車を運よく見つけ、様子を窺ってみれば、どうも通貨商の役人が一枚かんでいるらしい。
ならばその場で捕えることは危険だ。そう判断し、そのまま耳を澄ませていると、いつもの馭者がまだ来ていないとのことだった。
これは使える。
そう思って、近くの店からカツラやらを調達し、こうして乗り込んだわけだが──
(肩が……壊れる……)
さきほどから容赦なく肩を襲う痛みに、失敗だったかなと重い息を吐く。
「やめておけ。苛ついたところで、馬の速度は変わらない」
もうひとりの乗合人の声だ。青年──エドルが男をとめた。
そう。コイツは自分たちを裏切っていたのだ。
(まさかのこいつが……)
エドルの不在を、ゼノは「あれ?」くらいにしか思っていなかった。だから、この馬車にエドルが乗り込んできた時は流石に目を疑った。
うっかり声を出しそうになって、口を押さえたことは記憶に新しい。
(ぐっ──)
男が最後に一撃、特大な蹴りをかました。その後、渋々といった様子でゼノから足をどけると、そのままエドルと会話を始めた。
その様子に、ひとまず安堵の息を落とし、ちらりと後方を盗み見る。
片目がつぶれた厳つい風貌。いかにもな悪人顔の男に対し、エドルは思わず呆れるような恰好をしていた。
(あいつ馬鹿なのか? なんで、護衛の制服着てんの)
騎士のような軍服に、銀の蝶が刺繍された短いマント。
銀の蝶はライアス王子を象徴する紋章だ。それを堂々と
ちなみにゼノはまだもらっていない。『仮』の補佐官だから。
「このまま街道を抜ければ指定の村へ着くだろう」
エドルが次第に遠くなる王都を眺めながら言った。
「へへ。今回の仕事が成功すりゃあ、俺たちゃ、金持ちになれる。盗人家業からも足が抜けられるってもんよ。協力してくれたあんたには感謝するぜ!」
男がポンとエドルの肩を叩いた。
不快そうに眉をよせたエドルが口を開く。
「……いや。俺も今の待遇には不満があった。単に利が一致しただけのこと。気にするな」
「待遇? あぁ、そういや兄ちゃん。騎士団に入りてぇんだっけか」
フケの多そうな頭をボリボリとかきながら、男は思い出したように言った。
「安心しな。あの依頼人、ありゃあ、かなり高ぇ身分の使いだぜ? なんたって、提示された額がよ、もう高いってのなんの……きっと王の騎士団くらい、たやすく推薦してくれるだろうさ」
男が、うひひと、気持ち悪い笑みを浮かべた。
(赤竜騎士団か……)
王の騎士団といえば、養父が所属していた王の親衛隊のことだ。
恰好よく騎士団などと呼ばれているが、まぁただの護衛で、一般兵たちからは『騎士の中の騎士』と崇められる存在だった。
(そろそろか)
ゼノは前方に向き直る。もうすぐフィーとの合流地点に着く。集中しておこう。
(それにしても、本当に大丈夫なんかな)
フィーの役目は応援部隊を連れてくることだ。自身がこうして馬車を先導し、この先のフィーが幾ばかの兵を率いて、この馬車を追尾する。そんな作戦だ。フィーはぐっと親指を立てて、任せろと言っていたが、やはり不安しかない。
「お、お頭ぁ!」
「んだよ、騒がしいな」
とつぜん、馬車の周りを並走していた誰かが叫んだ。
男の部下だろうひとりが、馬上から男へ報告する。
「前方! 狼の群れです!」
「あん? 狼? 森狼か」
男は筒状のスコープを目にあて、前方をみた。
こちらの頭に片手を乗せ、馭者台に身を乗り出している。
(カツラがずれる……! しかも痛い!)
馬の手綱を握る手に、じんわりと汗が滲む。
「ひぃふぅみぃ……あー、結構な数いんな」
「どうします? 迂回します?」
「ちっ。面倒だな。軍どもはなにしてやがる。ここは西の本街道だろ? なんで駆除してねぇんだよ!」
苛ついた様子で、男とその部下たちが言葉を交わしている。
そこにエドルの声が重なった。
「貸せ!」
エドルが男からスコープを奪い取った。
右をみると、ひどく青ざめたエドルの顔がみえた。
(……? 狼なんて大したことないだろ)
顔は怖いが、そこまで脅威になる存在じゃない。
種別にもよるが、このあたりに出るものは比較的に大人しいものが多い。
「お、おい!」
急なエドルのようすに、男が焦り声を出した。
だが、エドルは食い入るように前方を見ている。
(森狼……馬車の食い物を狙ってるのかな)
ここには金しか積まれていないから、襲ったところで意味はないだろうに。
狼たちに目を向ける。
この距離だからよくは見えないが、大群らしき形がぼんやりと目にうつった。
「──フィネージュ殿か」
「あん? フィネー…?」
エドルの呟きに男が間抜けな声をあげた。
ゼノも「フィー?」と内心で首をかしげる。
「おい、馭者。すぐに進路を変え、最速で駆けろ。それから、お前達も弓を用意しろ」
エドルは荷台の弓を取ると、弦をひとつ弾いた。
弦の張り具合を確認しているらしい。
「お、おい。別に森狼ごとき馬で蹴り飛ばしちまえば……」
「無理だ。奴らの中に鎖鎌を持った少女がいる」
(鎖鎌?)
「あれだ」
エドルが男にスコープを投げた。男は再度、前方をみた。
息を呑みこむ音が、風に乗って伝わってくる。
「な! なんだありゃ⁉ 狼どもを従えている……のか?」
(え?)
「あれはライアス様の親衛隊長だ」
(詳しくは護衛長だけど)
「は⁉ あんな小せぇ嬢ちゃんが?」
驚く男とエドルの会話。
内容がいまひとつ理解できないが、つまりフィーが狼をつれて、この先の街道に立っているらしい。
なぜ、フィーが狼と?
「おい、はやくしろ」
「は、はい」
エドルに言われた通り、急いで馬車の進路を変える。
(南にっと……)
車体がぐるり大きく左へと曲がる。行き先は南街道だ。
「おい! 急に曲がったら危ねぇだろ!」
男の怒鳴り声に、「すんませんっ」としゃがれた声でやり過ごす。
「後ろか」
エドルは荷台の後方に立った。
弓を構える音がして、ゼノも後ろへ首を向ける。
いまさっき前方にいた狼の群れは、進路を変えたことで、今度は馬車の後方にいる。
じりじりと詰められる距離にエドルが矢を向けた。
ビュン──と風を斬る音がひとつ鳴る。
(すごっ!)
すさまじい剛弓だ。
数百は離れているだろう。狼の頭蓋を打ち抜いたらしい。
男がぴゅうと口笛を鳴らした。
エドルはそのまま二射ほど弓をひき、狼たちを狙った。ゼノも馭者台に置いてあるスコープを手に取り、そのようすを観察した。
(見えにくいな……って、え……)
思わず絶句した。
フィーが先導するように、狼たちの先頭を走っている。
彼女の脚、そのもので。
「おいおい……あの嬢ちゃんマジかよ……どんな足してんだ?」
男が素っ頓狂な声で言った。
同感だ。なにせ彼女は狼に乗るわけでもなく、自らの脚で、獣と同じ速さで走っているのだから。
(ええええええええええええええ!)
確かに応援を連れてくるとは言っていたけれども。
(なんで狼? しかも、え? フィーの脚がおかしくないか)
人間離れの速度で駆ける少女に、ゼノは口をぽかんと開けたままだった。
「まぁ。ガキひとりだ。大したことはねぇよ。おい、てめぇら! 弓で足止めしろ!」
「「へい!」」
馬車のまわりの男の部下たちが、その場に留まり追いかけてくる狼へ矢を放つ。
「おーい! 油断して喰われんなよー!」
男の声に、彼の部下たちが「へーい!」と笑って答えた。
(喰われ……ないとはオレも思うけど……)
森狼は賢い狼だ。身体はそこまで大きくはなく、気性も穏やかではある。だから人に危害をくわえるといっても、大群で小さな家畜を襲ったり、食料を積んだ積み荷を奪ったりする程度だ。人を襲っても、その肉を好むという話はあまり聞かない。
──そう、『あまり』聞かないだけ。
だから油断していたのだろう。
「ぎゃっ⁉」
足止めをした男の部下のひとりが、その腕を森狼に噛みちぎられる。
続いて、もうひとり。首元に噛みつかれる。
最後。今度は少女の鎌の餌食となった。
計三人いた男の部下たちは全員、追ってきた彼女らに一瞬で潰された。
(うわ……)
背筋の凍る瞬間を見てしまった。
今夜夢に出てきそうな光景に、思わず頬がひきつる。
「ひっ! あの森狼……人を喰うのか……?」
男が悲鳴をあげた。一方でエドルはひどく冷静に弓を引き続けている。
一射、二射。
「…………矢が当たらない」
(…………?)
あたっているように見えるけれど。
「あん? 矢なら当たってんだろ? ほら」
男もそう思ったらしく、倒れた狼を指でさした。
間違いなく当たっている。
だというのに、エドルは「違う。そうじゃない」と言った。
それで理解した。
(なるほど、フィーを狙ったのか)
言われてみればそうだ。エドルが放った矢は、途中までは真っすぐ飛ぶ。
だが、ある地点を
それは風による壁であり、彼女の周囲には強い風が吹き荒れていた。
フィーの右腕には銀色に光る腕輪がついている。あれはゼノの養父の形見で、使用者の周りに風の渦を吹き出す腕輪だ。それをフィーに貸したのは作戦開始前のことだった。
(よし、この辺でオレも動こう)
ゼノは事前に用意していたものを馬に設置した。音を立てないよう、馭者台から離れ、そっと荷台へ移動する。
「────っ」
エドルの息を呑む音が聞こえる。
距離として百メートル。五〇メートル。
まるで、嵐が近づくように土埃があがっているのが肉眼でも見える。
フィーに釘付けになっている彼は、まだこちらに気づいていない。
「あれは風の魔法……」
何か気づいたように呟くエドルの背後で、右手に短剣を構える。
「……やってくれたなゼノ」
半歩後ろへ足を引くエドル。
振り向く動きに合わせるように、ゼノはその後頭部へと短剣をあてた。
「──おっと、動くなよ? 残念だがこれで
がらがらと駆ける荷台のうえ、ゼノは勝利を確信した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます