21 アップルパイと妖精姫


「まさか、ここまで派手な怪我を負うとはね」


 眼鏡に中指を押し当て、ゼノを見下ろす彼は、いつもの嫌味な同僚だ。


「うるさい、緑」


「緑っていうな!」


(なんでコイツ、離宮ここに見舞いに来てんの?)


 怪我をしてからというもの、ゼノはこのフローラ離宮にて療養生活を送っていた。別に家でも大丈夫ですと、王子には伝えたが、ここで過ごせと言われ、こうして離宮の一室に部屋を借りている。


 そして目の前にいる彼は、どうやら自分の見舞いに来てくれたらしい。甘いシナモンが香る、バスケットを渡された。中身はアップルパイだ。おそらく嫌がらせに違いない。


「はー、なんでもいいけど。大声出すな。リフィリア姫が怖ってんだろ」


「なに?」


 とこから上体を起こし、ゼノは横に視線を投げる。

 その先にはいつもお馴染みの、カーテンを握りしめた姫の姿がある。


「…………っ」


 息をのむ音。ペリードの怒り声に驚いたのだろう。

 姫が恐々とゼノと彼を交互に見ている。


「う……ごほんっ」


 ペリードが気まずそうに咳払いをした。


「まぁ、いい。ともかく元気そうでよかったよ。これは見舞いの品だ。離宮の方々と食べてほしい」


「いやいらないけど」


「大丈夫さ。毒ならば入っていないよ。なにせ僕が作ったものだからね、結構いい出来だと思うんだ」


 ほら、と言ってペリードがバスケットの布をめくった。

 つやつや照りの美しい網目に、そこから覗くりんごの甘煮。

 やはり嫌がらせだろう。二重の意味で、そう思う。


「……これお前が作ったの?」


「そうだとも」


「へ……へぇ……」


 見舞いの品が男の手料理。そのうえ嫌いな果物ときた。

 ゼノの口元が引きつった。


「味は保障しよう。うちの兄上たちにも評判はいいんだ。実は僕の趣味は菓子作りでね、もし城にあがっていなかったら、菓子店を開こうと思っていたくらいなんだ」


「あ、そう………………………ありがとう」


 ひとまず、貰った迷惑品をベッドわきの机に置いた。


「で、なに? 何か用?」


「用? とくにはないが」


(ないのかよ)


 ならさっさと帰ってほしいなと思いながら、ゼノは姫に声をかける。


「リフィリア姫。ここは大丈夫ですので、どうぞ部屋にお戻りください」


「い、いえ……そういうわけには……」


 か細い声で姫がつづける。


「今日はエリィもお休みで……兄様もお城にいるので……」


「あー……」


 つまりは、こういうことだ。

 この離宮には人がいない。確かに給仕の数人は出入りしているし、警備を任される兵もいる。しかし、最低限の人数しかおらず、みな持ち場で忙しい。だからこうして姫が直々に看病してくれているというわけだ。


(つっても、こうも怯えられるとなぁ)


 医務官に治療してもらい、もう半月が経つ。その間、姫の侍女──エレノアやフィー、ときには離宮へ遊び来るミツバが、食事などを運んでくれる。

 今日は誰もいないからと、姫が昼食を持ってきてくれた。ちょうどそこにペリードが現れたというわけだ。おおかた、昼休憩だからと見舞いにきたのだろう。


(まぁ……いいや)


 姫のことはさておき、昼食に手を伸ばす。今日はシチューだ。ごろっとした豚肉と、とろりとした野菜。ふわりとした温かな香りに、つい食欲が刺激される。


「いただきます」


 ぱくりとひとくち。口のなかに入れた瞬間、ジャガイモがほろりと崩れた。ふたくちめ。豚肉を噛んだ瞬間に、じゅわりと広がると汁気。うまい。文句なしの味だ。


(普段、家じゃ適当だからなぁ)


 大抵はパンか、店で食べるか。基本的には食事に頓着とんちゃくしないゼノでさえ、この微妙に居づらい離宮のなか、唯一の楽しみが三度のこれだった。


「うまい」


 しみじみとシチューを堪能する。そこで、ペリードが口を開いた。


「君。ひとがこうして見舞いに来ているというのに、なぜ食事を始める」


「だって冷めるだろシチュー」


「そうだけれど……僕だって昼はまだだというのに……」


「そうなんだ」


 じゃあ早く帰れよと思いながら、ペリードの話に耳を傾ける。


「先日の辻斬りの件だけれど」


「あぁ、どうなった?」


「あれからぱったりと、とまったよ」


「だろうな。犯人はミツバ様が殺ったし」


「なに? そうなのか? そんな報告はなかったが……」


「……? ちゃんと軍に伝えたけど」


 とつぜん襲ってきた、全身の白い男。おそらくあの男が、例の辻斬りとやらの犯人だろう。そのあと出会った黒い刀を持つ男は……まぁあの姿だ。目立つ服装のうえ、異国の客人となれば何かしらの誤報も飛び交う。


(どうせ、剣を持ったサクラナの民が暴れてる、とかそんな感じだろ)


 なにせあの民たちは、シオンの母親のこともある。ごくまれに、本当に恨みを持って、高官らを襲う連中もいるのだから。


「恨み……。そういえば、前にレオニクス王を暗殺しようとした奴らもいたな……」


 ふと思い出す。あれはいつだったか。

 確かシオンに連れられ、夏の祭りを見た時だ。

 祭りの最中、王が民衆の前で祝いの言葉をのべた。人々の視線が一点に集まる。その中を、剣を片手に近づく不審人物ばかがいた。それにシオンがいち早く気づき、付き添いのアウルが未然に防いだのだ。


「暗殺……もしかしてピナートの連中のことかい?」


 ゼノのぼやきに、ペリードが眉をよせた。


「あぁ、それそれ。確か昔、ユーハルドうちの領地になった小国……だっけ?」


「そうだね。ピナート辺境村。四十年前の大陸戦争時にユーハルドの領土となった旧小国で、いまはグランポーン領内に位置する広い村だよ。主な産業は牧畜。ピナート豚といえば、国内でも高い値がつくもので、いま君が食べているその肉も、おそらくピナート豚だろう」


「これが?」


 ゼノはシチューの中から豚肉をすくった。

 ほんのりと淡いローズ色の豚肉が、スプーンのうえに乗っている。


「ピナートか……そういえば、最近彼らが貧民地区に集まっていると、殿下が仰っていたよ」


「そうなんだ?」


「うん。あの村の出身は、レオニクス王に少々攻撃的だからね。殿下が注意を促していた」


「ふーん」


 歴史に興味がないから、詳しくは知らないが、当時は色々とあったらしい。レオニクス王も大変だなとぼんやりと思いながら、豚肉を口に運ぶ。


(うまい)


 口いっぱいに広がる肉汁に、幸福感を感じているところで、ペリードががたりと椅子から立ち上がった。


「僕は戻る。君と違って、午後も仕事があるからね」


「あ、そう」


 相変わらずの嫌味を言ってから、彼は姫に向かって優雅に一礼した。

 そのまま扉へ向かうペリードに、ゼノは声をかける。


「見舞い、どうも」


「あぁ、また来るよ。今度はもっと大きな菓子を期待してくれたまえ」


「結構です」


 部屋を出たペリードから、ゼノはバスケットに視線を移す。

 彼は離宮の皆で食べろと言っていたが、流石に王子や姫に渡すわけにはいかない。 

 自分も食べはしないからどうしようか。


「とりあえずフィーか、姫の侍女にでも渡すか」


 そう思ったときだった。

 どさりと音がした。


「……?」


 音の方向を見る。そこには、赤い顔で倒れる姫がいた——



 ◇◇◇◇◇



「すまぬの。リーアを看てくれたと聞いた」


「いえ……医務官が来るまで、熱さましを渡しだけですから」


 姫が倒れ、すぐに王子が離宮へ戻ってきた。その際連れてきたらしい医務官が、いまは姫を診ている。


「風邪か何かですかね」


「いや、違う。リーアは身体が弱いのだ」


「身体が……?」


 そういえば、聞いたことがある。

 第二王女リフィリア。

 大層美しい少女ではあるが、身体があまり丈夫ではないと。だから臣下たちの前にも、ほとんど姿を現わすことがなく、たまに見かける彼女は、まるで姿なき妖精だ。ゆえに妖精姫。そんな話だったような気がする。


「まぁ、寝ていれば良くなる。お前ももう休んで構わない」


 まだ骨がくっつかぬであろうからの、と言って王子は姫の部屋に入っていった。


「確かに、肺のあたりが痛い……」


 うずく肋骨うえに手をあて、ゼノはそのまま寝床へと戻った。

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