第1章③ 魔石騒動

20 姫との気まずい時間

 目を開けると、光が飛び込んできた。


「…………」


 ぼやけた頭で、ゼノは思い出す。

 そしてはっとして、勢いよく体をおこした。


「そうだ! って痛ぅ————」


「ひゃうっ!」


 ひゃう?

 悲鳴のような声。ゼノは声が聞こえてきた方向を見た。

 すると、がぐがぐと震えながら、カーテンにしがみつく、少女の姿があった。


「………王子の妹姫……あ、リフィリア姫?」


 ゼノは至って冷静に状況を判断した。

 よくわからないが、震えている姫君がいる。彼女はカーテンにしがみつくも、その手には白いタオルを持っており、すぐそばの机の上には水桶みずおけが置かれていた。


 つまり、そこから導き出される回答は——


「はっ! す、すみません。リフィリア姫。看病をなさってくれていたんですね?」


 こくこくと、首が取れそうな勢いで頷く姫君。

 以前、挨拶をしたら、それはもう疾風のごとく逃げられてしまったから、ゼノにはとっては軽いトラウマだった。


「……む。目が覚めたのかゼノ」


 ややあって、王子が部屋へと入ってきた。その後ろにはフィーがいる。

 ここはフローラ宮の一室だろうか。窓から美しい庭園が見えた。カーテン横で震える姫君の姿がなければ、綺麗だなと外を眺めていたかもしれない。


「あの、どうしてオレはここに」


「それはの——」


「ゼノ!」


 王子が何か言いかけたところで、赤い髪の女が入ってきた。ミツバだ。


「あれ? なんでお前がここにいんの?」


「なんでって、おまえが骨折って、肺に穴が開いたから、看病してあげてたんでしょ! 感謝なさい」


「うそ……」


 ゼノは自身の胸部に手をあてた。包帯が巻かれている。血こそにじんではいないが、確かに強い痛みを感じる。骨はともかく、まさか肺に穴が開いていたとは思いもよらなかった。


 しかし、それでよく生きていたな、と思ったところで、王子が言った。


「姉上、流石にそこまでの重症ではありません。そもそも肺が傷ついていたら、死んでおります」


「だよね……」


 王子の言葉に、ゼノは安心した。


「——ち、恩を着せて手足にしようと思ったのに」


「おい、心の声が漏れてんぞ」


 ミツバのつぶやきに、ゼノは呆れ顔で返した。


「まぁ、ともかくだ。事情は姉上から聞いた。いまは安静にしていろ。骨が折れているのは事実だからの、治るまで休みをやろう」


「ありがとうございます」


 そういって、王子は部屋から出て行った。入れ替わりに、水桶を持ったメイドが入ってくる。胸元についたオレンジ色のリボンと、太い一本の三つ編みが印象的な女性だ。


「姫様、こちらを」


「あ、エリィ。こっちにちょうだい」


 カーテンからおずおずと離れ、メイドに手を伸ばす姫。エリィと呼ばれたメイドは、姫に水桶を渡してから、古いほうの桶を持っていった。


(ベルルーク家の血縁かな……)


 とくべつ鮮やかではないが、灰がかったオリーブ色の髪をしていた。一瞬、かの同僚を思い出して、なんとなく嫌な気分になった。


「ゼノ、平気」


 フィーに菓子を渡された。否、口につっこまれた。


「あ……ありがとう」


 到底菓子など食べる気力などないが、心配してくれているのだろう。

 礼を言えば、フィーはわずかに嬉しそうにうなづき、すぐに王子のもとへ駆けていった。


 よって、この場には自分と姫君、ミツバがいる。ミツバはともかく、姫の視線が気になるところだ。


「あの、リフィリア姫」


「————っ!」


(あぁ……)


 ゼノの声に、びくりと肩を震わせ、警戒するように自分をみている。

 本当に猫のようだ。少し声をかけただけで、これなのだ。もしかして自分は嫌われているのだろうかと落胆する。


「リフィリア」


「————ひゃいっ!」


(噛んだ)


 なるほど。

 どうやら自分だけではないらしい。


(そういえば前に、人見知りがどうだとか、王子が言ってたな)


 きっと彼女は、慣れていない相手には、こんな感じなのだろう。

 しかしそれは、姉であるミツバに対して警戒している、ということにもなる。まぁ、大人しそうな姫だから、獣のような姉を怖がるのもわかる気がする……とふたりを観察すること数分。

 

 カーテンに隠れる姫に、ため息を落としたミツバが、鬱陶しそうに口を開いた。


「あたし、ちょっとロイドのところに顔出してくるから、ゼノのこと頼むわね」


「わ、わかりました。姉様」


「じゃあね、ゼノ。あとでまた来るわ」


 長い髪を揺らし、ミツバは部屋からでていった。

 その結果、姫とふたりきりになった。気まずい。


「…………」


「…………」


「…………」


「…………」


 気まずい。無言の時間が過ぎていく。


(何か話題を……)


 と考えて、ゼノは困った。


 お姫様が喜ぶような話など、持ち合わせてはいない。なにを話せば、彼女がおびえないで済むのか、カーテンから手を離れてくれるのか。

 悩んで、口を開こうとして、先に姫が動いた。


「あ、あの! 熱……その、気分とかは! 大丈夫、ですか⁉」


 かなり張りつめた声。うわずった音調トーンに、はくはくと口を動かしている。おそらく彼女もこの空間に耐え兼ね、話かけてくれたとみえる。


(気を使わせてしまった……)


 見れば姫はカーテンから離れ、少しだけ前へ出てきた。手をそわそわと、落ち着かない様子でまごついている。

 これは、なにか答えないと。


「大丈夫です。心配していただき、ありがとうございます」


 困惑して、出てきた言葉は、非常につまらない事務的な礼だった。


(違う……! もっとこう何かあるだろオレ!)


 ほんとうは、嫌味な同僚のように笑顔のひとつでも浮かべて、対応したかったのに。


(ほらみろ!)


 そんな自分に、やはりというべきか、姫はうつむいて「いえ……」とつぶやいたきり、その場に立ちつくしていた。しゅんと肩を落とす姿には、心が痛む。


 ごめん。気の利いたことが言えなくて。


 その後も再び、静かな時間が過ぎていった。

 気まずかった。

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