22 療養を経て

 夢をみた。

 森の中で、誰かが追ってきている。


「————! ————っ!」


 さざ波混じりのうるさい雑音だ。心臓が熱くてよく聞こえない。

 必死に走り、そして足がもつれる。

 一瞬、柔らかな緑の絹糸が見えて、鋭い爪が振り下ろされた——


◇◇◇◇◇


「ゼノくん!」


「——っ!」


 意識が浮上する。目を開けると、心配するようにこちらを覗く少女がいた。


「リフィリア……姫?」


「だ……大丈夫ですか。その……とてもうなされていたので……」


「うなされ……」


 ゼノは首に手をあてる。息が苦しい。整えようにも、どくどくと落ち着かない。

 額には嫌な汗を感じる。


「夢……か」


 大きく息をすって吐く。繰り返すこと三度。

 胸の苦しさが収まってきた。

 しかしまだ体の硬直が取れないのか、指先が冷たい。


(いやな……夢だった)


 どんな夢かは覚えていない。それでも、死が迫りくる感覚をいまだ覚えている。


「あの……お水を」


「あぁ、ありがとうございます」


 グラスを渡して、ぱっと離れる姫。


(慣れない子だなぁ……)


 あれからひと月以上が経ち、怪我もほとんど良くなった。

 包帯もとれたから、もう普通通りに動いても問題ないだろう。

 しかし油断は禁物だ。あれだけの傷だ。無理をすればまた折れかねない。


「お体はどうですか」


 姫が距離を取りながら聞いてくる。


「順調です。ときおり身体も動かしたりしてましたし、もう通常業務に戻れます」


 笑顔でそういえば、安心したように姫もふにゃっと笑った。


「良かったです。本当は怪我を治せる魔導師様がいてくれたら、よかったのですが……」


「流石にそれは難しいでしょう」


「はい……」


 残念そうにしゅんと肩を落とす姫君に、どう言葉をかけていいものか悩む。


(怪我を治す魔法か……)


 戦闘に特化した魔法はあっても、治癒魔法なんてものは存在しない。

 手をかざし、傷がみるみるうちに治っていく。

 そんな夢のような魔法など、所詮はおとぎ話の中だけだ。

 大衆向けの書物には出てきても、実際にはない。だからこうして怪我をすれば、治療が必要であり、なによりも薬が一番重要になる。


「あ……、そういえばルナの葉……」


「ルナ?」


 薬で思い出した。

 ルナの葉が欲しいとロイドが言っていたのはいつだったか。

 確か怪我をする前に言われていたから、ひと月以上は経つ。


(しまった!)


 ゼノは頭を抱えた。


「あの……」


 姫がおろおろとしたようすで、心配そうに見てくる。


「あ、いえ。ちょっと王妃様の薬の材料が……。ロイディール様に頼まれてたんだけど忘れてて……」


 これはロイドに怒られる。

 温厚な彼のことだから、怒鳴ることはないだろうが、あれで痛いところを突く怒り方をする。何度かアウルが怒らせて、返り討ちにされていた。だから正直、対峙したくない。


(いや、でもこの前、見舞いに来てくれたときは、何も言ってこなかったし……)


 あちらも忘れていたのか、もしくは葉が手に入ったのか。

 いずれにしても次に会ったとき、それとなく聞いてみるか。

 見つめてくる姫をよそに、ゼノは内心で頷いた。

 そこへ王子がやってきた。後ろにはフィーの姿もある。


「そろそろ動けるか」


「王子」


 手土産だろうか。王子が苺のタルトを渡してきた。

 赤く光る鮮やかな苺が、一面に敷き詰められたホールのやつだ。


(食えってか……)


 確かにうまそうではあるけれど。

 朝から摂るものじゃないだろ、と思いながら受けとり、ゼノは横の机に置いた。


「実はの、先週から城下で不穏な動きがあるらしい」


「不穏……? もしかしてまた辻斬りですか?」


 王子が首を振った。


「いや、違う。ピナートの連中だ」


「ピナート?」


 この前、ペリードと話したあれだ。豚肉の美味しい辺境村のことだ。


「ピナート村が、どうかしたんですか?」


「うむ。どうも旧小国の復興を求める演説が、王都の広場でたびたび行われているらしくての。演説くらいなら、まだ良いのだが……。やつらは演説に来たものへ、魔石を配り歩いているらしい」


「魔石? なんでそんなものを」


「おおかた賄賂みたいなものだろう。品質は粗悪品ばかりで、到底実用には使えんものらしいが、磨けば宝石代わりになる。売るなり、装飾するなりはできるからの」


「つまり、金品撒いて民を買収しようと……」


「そうだの」


 考えることが、王宮内のそれだ。ゼノ自身もよく目撃したことがある。

 思い出して呆れた。


「それってあれでしょ? 魔石を貧民街に持っていくと、高く買い取ってくれるってやつ」


「ミツバ」


 ミツバが部屋に入ってきた。

 あれ以来、彼女もこのフローラ宮に出入りしている。王からはリーナイツ領へ戻るように言われたそうだが、無視して居座っている。それで見かねたロイドが、城内に一室部屋を用意した。が、王宮は雰囲気が嫌だとか言って、たびたびこちらに来ている。


(自由すぎるだろ)


 普通は他の離宮へ遊びにはいかないし、各王子同士の交流はなるべく控える。命を狙われる危険が高いからだ。それは継承順位が高い順で警戒するが、彼女の場合は王女という立場上、あまり気にしないのだろう。


(でも国王の宣言で、いちおう王位争いの渦中に入ってるんだけどな、コイツも)


 本人にその気があるかは分からないけど……と、ミツバとその後ろで恐々している姫を見る。


(この子はどうなんだろう)


 大人しそうな姫だから、自分が、ということはなさそうだが、まわりが担ぎあげる場合もある。そうなったとき、王子はどんな判断をするのだろうか?


「——聞いておるのか、ゼノ」


「え?」


 王子に呼ばれて、話に意識を戻す。


「で、奴らを捕らえ行く。お前ももう動けるであろう?」


「動けますけど……」


 なぜそうなる。

 話を半分聞いていなかった自分も悪いが、ピナートのことならば、王やロイドが対応するだろう。きっとサフィールあたりに命じて、警戒態勢を敷くはずだ。そこに自分たちが出る幕はない。


「そういう大事は、サフィール殿下がやるのでは?」


「それがの。サフィー兄上はいま、ビスホープのところへ訪問しておるのだ。数日すれば帰ってくるであろうが、ここは余が対応せよとロイドに言われての」


「なるほどそれで」


 ひと月近く、休んでいたものだから外の状況を知り得なかった。

 ルベリウス、サフィール両殿下がいないのであれば、こちらに回ってくるのも頷ける。


「と、いうわけだ。さっさと行くぞ」


「あ、はい」


 ベッドから立ち上がり、王子たちのあとをついていくところで、か細い声が耳に入った。


「あの……ローブ……」


 ふりかえると、姫が自分のローブを持っていてくれたようだ。

 ゼノがありがとうございますといって受け取ると、なにやら視線を感じた。


「…………?」


 何か言いたそうにまごつく姫。やがて口を開くと、


「あまり、無理をしないよう気をつけてください。治りかけが一番危険だと聞きました」


 危険?


(肝心、と言いたいのかな)


 言葉の選びはあれだが、純粋に心配してくれているのだろう。

 療養中、何度か食事を運んでもらった。ひと月半という短い間ではあったが、少しは慣れてくれたのかもしれない。


「ゼノ、はやくいくぞ」


「はーい! ただいま」


 王子が呼んでいる。急いで追いかけなければ。しかし、心配してくれたことは嬉しい。何か礼が言いたいなと思い、手を伸ばす。


「リフィリア様」


「…………?」


 その頭にぽんっと手をおく。少し熱いような気がする。


(熱……今日もあるのかな)


 彼女は身体があまり丈夫ではないらしく、日頃からよく熱を出すのだと、姫の侍女から話を聞いた。実は先日も高熱を出して床に伏せていたが、あれは見ていて可哀想だった。


「——ありがとう。だけど大丈夫です。王子たちもついていますから」


 笑ってそう伝える。不安なときはこうするといい。

 むかし養母がよくこうしてくれた。

 アウルが死んでから、墓の前に座る自分に何も言わず、そっと笑って励ましてくれたのだ。

 きっと養母のほうが辛いだろうに。

 今度グランポーンに行くときは、土産でも買っていこうなどと考えながら手を離す。


「あ、じゃあオレ行きます」


 姫に一礼し、急いで王子を追いかける。

 また勝手に外へ出て誘拐でもされたら非常に困る。ゼノは足を早めた。


 その後ろで、しばらくぽかんとしていた姫が、そっと自身の頭に手をおいた。


「————っ!」


 ぽぽぽっと朱に色づく頬。わたわたとする姫。

 そこへ、ゼノと入れ替わりでやってきたエレノアが姫を見て首をかしげた。


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