35 地下水道

「あれ? オレたちだけ?」


 先の会議室へ着いて、開口一番かいこういちばんに出た言葉はそれだった。

 室内には王佐であるロイドと、ゼノたちしかいなかった。


「さきほどの件、急ぎ調べた結果。ライアス様の仰る通り、フィーティアの証言が取れた。魔石を買い集めていたのはサフィール殿下で間違いない」


「兄上はどうした」


「逃亡なされた」


「逃亡⁉」


 開いた口がふさがらなかった。


「いま、ローズクイン候の指揮のもと、かの足取りを追っている最中だ」


(まさか逃げるとか!)


 なにかしでかしそうだとは身構えていたが、そう来るとは思わなかった。


「まぁ、予想はしておったが……ではゼノ。お前行ってこい」


「オレですか⁉」


「うむ。兄上のことだ。うまく軍を掌握しょうあくして逃げ切りかねない。適当に魔法でもなんでもぶつけて捕えてこい。もう夜も深い。余は眠る。フィーもすでに寝ておるから、お前だけになるが検討を祈る」


 そういって、うつらうつらついてくフィーととも、王子は部屋を出て行った。


「えぇ…………」


 言葉を失い立ち尽くすゼノ。そこに、のんきな声がかかる。


「まぁまぁ。僕も一緒に行ってあげるから」


「うん……ありがとう」


 リィグの気づかいが嬉しかった。


「ローズクイン侯は正門前で指揮を執っている。殿下が向かった場所は彼にきいてほしい」


「了解しました。行くぞリィグ」


「はーい」


 ゼノはリィグをつれて外へ出て行った。

 その後ろを、正確にはリィグにむけてロイドが目を細めて見ていた。


 ◇◇◇


「すみません! ライアス王子の命で、サフィール殿下の捜索にきました」


 正門前。慌ただしく、松明を持った兵たちが馬に武器を積んでいる。

 その中心あたりで、暗がりでも目立つ真っ白なマントを羽織った騎士がいた。ローズクイン候だ。


「おや、君は……アウルの」


 振り向いたローズクイン候は少しばかり驚いた顔をみせたあと、きらりと白い歯を光らせた。


「君のことはアウルから聞いている。私はユーハルド軍、総師団長を任されているラバグルドだ。よろしく、ゼノくん」


「どうも」


 ゼノはぺこりと会釈をした。

 ローズクイン候はユーハルド軍の総師団長を務めている。

 暗がりでもわかるほどに、肩幅の広い体格に精悍せいかんな顔つきの彼は、軍を率いている者だけあって、一種のカリスマ性のようなものを感じる。その身にまとう雰囲気は、歴戦の勇者然を思わせるが、その反面、人懐っこさも感じる男だった。


「サフィール殿下はどちらに」


「それがねぇ。どうやらこの暗がりに乗じて足取りを見失ってしまったんだよ」


「見失った……ですか」


「あぁ。ロイディール殿の命で、殿下の私室まで向かったら、窓から逃亡されたご様子でね。実際に数人の親衛隊を連れて、この正門を通ったと証言もある。おそらくは、いくつかある殿下の私邸にお逃げあそばされたのだと思うのだが」


 ローズクイン候は腕を組み、難しい顔で唸った。


「まぁ夜ですからね」


「そうなんだよ。ひとまず、日が昇ってから捜索隊を派遣して近隣の村や山をあたろうと思っていてね」


(どうするかな……こんな暗闇じゃ探すのも困難だし)


 空に視線をあげる。雲ひとつない星空。

 月も出ているから、探しやすいほうではあるけれど。


「ねぇ」


「うん?」


「そのサフィールってひと、ほんとにこんな広野に出たの?」


「それはどういうことだい?」


 リィグの言葉にローズクイン候が不思議そう言った。


「だってさ。こんな暗がりだよ? 足取りを見失ったというけれど、無理でしょ。夜は獣に夜盗も出るだろうし、城育ちのお坊ちゃんなんかがそんなハードな選択しないって」


「お前、サフィールのこと嫌いなの?」


 いまひとつ棘のある言い方に、ユーハルド侯も苦笑している。


「でも一理あるね。あのかたはとても聡明な御人だ。こんな暗闇で外に出るなど無謀なことするとは思えないな」


「すると……あれか? 門を出たのはおとりで、本物はまだ王都内にいるってことかな」


「そーじゃない? 王都っていうか、城内かも知れないし、そこはわかんないけど」


「城か……そうだね。脱出したと見せかけて——ということはあり得る。わかった。城内にも兵を向かわせよう」


 ローズクイン侯は待機する兵たちのもとへ歩いていった。


「僕たちはどーするの?」


「そうだな……」


 リィグが言うように情報自体が偽りで、本物がどこかに隠れている可能性。

 その場合、サフィールはいったいどこへ行く?


「地下水路……」


 そうだった。城へ入る際に自分たちが使った水路がある。

 もしもサフィールが外へ出るとすれば、一度水路に身を隠し、日が昇ってから移動するのではないか?


 ゼノは走った。


「ちょ、どこ行くの! マスター」


「地下水路だ! 行くぞリィグ」


 ◇◇◇


「ほんとにここにいるの?」


「おそらくは」


 ゼノとリィグは地下水路へと潜った。

 中央に通る浅い水路を挟むように、大人ふたりが歩けるだけの通路が両端から伸びている。

 思った通り中は入り組んでいるようで、途中で細い小路がいくつも走っていた。

 そこをこつこつと歩いていく。


「でもさ、お城の抜け道っていくつもあるんでしょ? どこに逃げたか分かるの?」


 リィグがランプを持ち上げながら、ゼノに問いかけた。

 夜光石の淡い輝きが、暗い足元を照らす。


「そりゃあまぁ……オレだって全部把握してるわけじゃないけど。多分、サフィールが逃げるとしたら、ビスホープ領方面だと思うんだよ」


 ゼノはローズクイン候から借りた水路の地図を眺める。

 とつぜん駆けだしたゼノに、地下水路へ行くのならと、ローズクイン候が渡してくれたものだった。とはいえ単なる水路の地図であり、隠し通路の記載はない。結局リィグとともに、水路内を彷徨さまよう形となっていた。


「ビスホープ?」


「あぁ。会議室で派手なスカーフしてたやつ。あいつ、サフィールの後見人だから、逃げるとしたらそっちに行くと思う。で、ビスホープ領へ抜ける道がひとつあるはずなんだ」


「ふーん。それであのふたりが共謀してたってわけ」


「そう」


「じゃあ、その派手なおじさんと一緒に逃げてるのかな」


「さぁな。一緒に逃げてんのか、しら切って関係ないと言い張っているのか。どっちかだろ」


「僕はしらを切るほうに一票」


「オレも」


「えー、それじゃあ賭けにならないよ」


「これ賭けだったの?」


 かつん。


(かつん?)


 水の流れとともに、かつかつとわずかに響く靴の音が耳にかすめた。


「し———リィグ静かに」


 ゼノは人差し指を唇に立てて、リィグに合図を送る。

 ぴたりと足をとめ、灯りを消し、息をひそめる。

 壁を背に奥の様子をうかがうように、その場に留まった。

 かつん。かつん。かつん。

 足音がだんだんと近づいてくる。次第に人の気配を感じ、身体の右半分にわずかな光を感じた。


「——まったく! なぜ僕がライアスごときに後れを取らなければならないんだ!」


「殿下……お静かに」


「分かっている」


 サフィールとビスホープ候の声だ。

 ゼノの位置から斜め後方。足音からして四人か。暗くて姿はよく見えないが、おそらく内ふたりは親衛隊だろう。

 だいぶ苛立ちを抱えた声だ。以前の丁寧な口ぶりとは全く違う。


「大丈夫です。殿下。ライアス様の証言など誰も信じますまい。フィーティアにはわたくしのほうから手を回しておきましょう」


「果たしてそれは上手くいくのかな」


 刺々しく問うサフィールに「問題ありませんよ」と答えるビスホープ候の笑い声。


「いくら、フィーティアとて金を積まれれば、首を縦に振りますよ」


「だといいけれどね」


 そのままこちらにくるかと思い、服の中で羽ペンを握るも、どうやらそのまま横道を行ったらしい。灯りが徐々に遠ざかっていった。


「曲がったか」


 声を絞って言う。


「マスター、耳いいね」


「おま、声おさえろ」


 普通の調子で喋るリィグに内心焦る。

 ここで見つかっても水路の中では戦闘に不利だ。ひとまずここは応援を呼んでこよう。

 ゼノはきびすを返し、声を細めて言った。


「いったん、戻ってローズクイン候に——」


 その刹那。鋭い悲鳴があがった。

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