26 変な少年との出会い

 暫く歩くと、ひらけた部屋に出た。


「ここは——」


 天窓から陽が差しこみ、ひらひらと光蝶スピルが舞う、古びた庭園だった。

 四方の壁は木の根に覆われ、他の部屋と同様にさびれているが、最近まで整備されていた、という表現がきっと正しい。その証拠に、枯れてしまった植物の中に鮮やかな花が揺れている。


「風……」


 空がむき出しの天窓からは、そよそよと風がふきこんでいる。

 その風に乗るように、ふわりと甘い香りがした。


「蜂蜜の匂い……」


 不思議に思い、身体を後ろへひねると、花壇かだんの中で眠る小さな猫がいた。

 淡い金色の柔らかな毛並みに、上下する腹。集中しなければ聞こえないほどに静かな寝息。


(まったく気づかなかった)


 近づいて、猫の側にしゃがみこむ。


「どこからか迷い込んできたのか?」


 愛らしい猫の頭をひと撫ですれば、さらりとした感触が手に伝わってくる。毛並みは上々。腹の毛なんかはふわふわと心地がよい。しかし、温かくもなく冷たくもない妙な感覚に、ゼノは首を傾げた。


「変な感じ……」


 猫から手をどけ、立ち上がる。

 さらに奥へ行けそうな場所を探す。だが、どうやらここで行き止まりのようだった。


「あー、これは戻るようか。面倒だな」


 そのときだった。


「こっちだ!」


「——っ!」


 まずい。足音が近づいてくる。兵士だ。

 数は数人か。やや重い走音から、鎧でも着こんできたとみえる。


「やばい……この先逃げ場がない」


 この状況はつみだ。いくらなんでも、ひとりで数人を相手にする実力は自分にはない。いくら槍術そうじゅつが得意だといっても、所詮は兵士にもなれない程度の実力だ。

 ゼノはあたりを見て、隠れそうな場所を探した。幸いここは、木々が生い茂っている。太い幹の一角にでも隠れればいい、と思ったが。


「ぎゃ!」


 走ろうとして、花壇かだんにつまずき転んだ。


「いたぞ! 捕まえろ」


(あ、やばい)


 見つかってしまった。仕方がないので、立ち上がった拍子に羽ペンを槍へと変えた。


 敵の数は三人。これくらいならば、倒せることはできなくとも、切り抜けることはできる。


「観念してもらおう! 第四王子の補佐官殿……と、そっちの奴は誰だ?」


(そっち?)


 いぶかしそうにこちらを見る兵に、ふと横をみれば、


「やっほー」


 金と銀の瞳が目を引く、少年が立っていた。


「ひっ! 誰⁉」


「リィグだよー。それより、なんか増えたけど大丈夫?」


「え、あ——」


 少年が指さす方向をみれば、ぞろぞろと兵たちが部屋の中へ入ってきている。

 ざっと十人近く。驚いているうちに囲まれてしまった。


「う……これは流石に……」


 キリキリと弓を構える者、抜身の剣をこちらへ向けるもの。おまけに魔導師だろうか。後方で杖を構えているものが見える。声の出ない状況に、少年がのんびりとした声でいった。


「なに? 君、追われてるの?」


「え、あぁ、あいつらサフィール……いや、敵だよ。そいつらに捕まりそうになって逃げてるところ」


「ふーん、なにか悪いことでもしたの?」


 見た感じ、どっかの国の騎士っぽいけれど、と少年が兵を見てつぶやく。


「違う。濡れ衣だ! 別に何も——」


「ええい! なにをごちゃごちゃと!」


 こちらのやり取りにしびれを切らしたらしい、兵の誰かが叫んだ。

 その声を合図に矢が飛んでくる。


「——あぶなっ!」


 間一髪。槍ではじき、矢を避ける。


「とりあえず、出口まで走るか。おい、そこのお前も!」


 そういったところで、ふと、頬にひやりと冷たいものがかすめた。


(な——⁉)


 自身の横には、氷の弓を構える少年がいる。

 少年はおもむろに一射放つと、矢は三つに分裂し、兵士たちを射抜いた。それを繰り返すこと三回。この場に立っている敵は、兵士一名だけとなった。


「残りひとりだけど、どうする?」


 何事も無かったかのように、こちらへ問いかけてくる。


「どうするって言われても……」


「……? 殺していいなら殺すけど。敵だっていうなら、情報とか吐かせたほうがいいんじゃないの?」


「……それはそうだけど」


 残ったひとりを見る。

 なにが起こったのかわからない、といった様子で呆然ぼうぜんとしている。


「……まぁいいや。じゃあちょっと待ってて」


 少年はぴょんと祭壇さいだんから降りると、兵士の前へ立った。


「ねぇ」


「ひっ!」


 兵士は驚き、後ろへあとずさって足を滑らせて、転んだ。


「くるな!」


「ねぇ……ってあれ、なに聞けばいいんだろ。うーん、とりあえず人数とか聞いておこうかな。お兄さんたち何人で来たの?」


「うわわわわわ!」


「あっ」


 兵士は勢いよく立ち上がり、逃げてしまった。


「行っちゃった」


 少年は兵士が走りさっていった方向をみて呟いた。


(いまの、魔法……だよな?)


 ゼノは少年をみる。

 金と青銀せいぎんのオッドアイ。柔らかな星明りの髪。

 さらさらと肩につくやや長めの髪は、なぜか上のほうでくりんと両側の外へはねている。


 年齢はフィーよりもうえか。麻の服に、膝うえまでのハーフズボン。村の子供たちのような服装で、特殊な魔導品は見当たらなかった。


「ごめんね。取り逃がしちゃった」


 そういう少年の周りには、いくつもの死体が転がっている。凍りついた矢傷からは、血が流れることもなく、ただただ矢が深く肉に刺さっていた。


「いや……むしろ助かったよ。ありがとう」


「いえいえ、どーいたしまして」


 少年はあくびをしながら、こちらへ戻ってきた。


「そうだ。後片付け……って、そうか今はカーくんいないんだった」


「カーくん?」


「うん、黒い毛並みで火を……って誰だっけ? カーくんて」


「いや、オレに聞かれても」


 うーん、とうなって少年は小首をかしげている。


「……まぁいっか。そういえば君は?」


「オレ? オレはゼノ。ゼノ・ペンブレード。えっと……リーグ? だっけ」


「リィグ」


「そっか。改めて礼を言うよ、リィグ」


「なんのなんの」


 手をひらひらと振って少年——リィグは笑った。


「ところで君さ。男にこんなこと言うのはアレなんだけど……僕とどこかで会ったことある?」


「へ? ないと思うけど……」


「そっかぁ」


 リィグは「だよねぇ」と言いながら、頭のうしろに手を組んだ。


(多分、会ったことあったら覚えてるはず)


 こんな変わった子供、一度あったら忘れるはずがない。

 だって、オッドアイの人間なんて初めて見る。

 異郷の血を引く子だろうか?


「——って、そうだった。あれだけ兵が来たってことは、王子たちが危ない!」


 おそらくサフィールは小隊規模の人数を差し向けているとみた。

 急いで合流地点へ向かわなければ。

 この少年のことも気になるが、いまはやることがある。


 その場でリィグとは別れ、ゼノは先を急いだ。


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