33.助からない

 土井は壁面に人払いの呪文を書く。

するとそのビルからはぞろぞろと多くの人が外に出てゆき、その場を去った。操られている感じではない、自分の意思でそのビルにはいられなくなったという感じ。

 つまり気に病む必要はないということ。

「悪い奴」

「悪魔なので」

 そんな会話をして、無人の建物の中に入る。


 昼をファストフードの店で食べて、目の前の高層ビルに最後の撮影場所とあたりを付けた。

 三人でエレベーターに乗り込み、最上階のボタンを押す。扉が閉まり、僅かに地面に押し付けられるような感覚が体に走って、動き出す。

「で、ここではなにを撮るんだっけ」

「屋上に行って、飛び降りるところを私と錬村で撮影。二カメで錬村は地上から白崎がいなくなるところを、私は頭から真っ逆さまに落ちる白崎を撮る」

「よく見るあれか」

「よく見るあれだね」

「発想が陳腐で悪かったわね」

 不貞腐れる白崎に、首を振る。

「よく見るってことは外れの演出じゃないから。奇を衒わずに王道に書くのは勇気のいること」

 憧れのアーティストに褒められたからか彼女の頬が少し赤みを帯びる。

「わ、分かったか錬村!私は間違ってない!」

「一言もけなしてねえよ」


「手伝って良かったって思えるくらい、良い作品が撮れると嬉しいね」

「もう十分だと私は思ってるけど。違うの?」

「違わない、錬村はどう思ってる?」

「あ僕にも話振られるのね」

「ハブるわけないじゃん」

「いや全然うすぺどの壁してたから気にならなかったわ……マジな話もう満足してる。けどこの満足をみんなに伝えるまでは終われないな」


 ガコンと体にかかる重力が一瞬の浮遊感に代わり、フラットに戻る。

 開けた視界、建物が煩雑に並び、さっきまでいた繁華街がずいぶんと小さく見える。都会の空よりずいぶんと広い、田舎の景色。ぞっと背中に冷たいものが通る。

 とんと押されて地上150メートルから真っ逆さまに落ち、六秒も経たないうちに地面に激突しかけたあの感覚。大丈夫だ、僕は死なない、殺されない。

 前を向いて自分の頬を叩く。

「よしっ」

 手すりで四方が囲われた屋上の側面、他人が見たら自殺志願者にしか見えないところに白崎は立つ。背中から生えた大きな羽が彼女を包み、それが剥がされると白崎は――臼裂になってしまう。瀟洒なドレス、頭の上のヘイロー、なによりその天使足り得る存在感。

 どれだけ離れていても釘付けになってしまいそう。

 目を外した隙に悪魔化した土井は自分の腕に呪文のようなものを書いていた。

「それなに?」

「人払いの呪文」

「自分の体に書いていいもんなのか?」

「応用、こうすると私がカメラに映らないし、みんなこっちを見ない」

 スマホ越しに見るよう促されて構えると、

「でしょ?」

 確かに土井の体は透けて、その奥の景色が見える。


 土井の指示で白崎は大通り方面に立ち、僕は対面に、その中間地点に土井、自前のスマホで撮影準備をする。

「じゃあ撮るよ。天気がこれ以上崩れると大変」

 手を振りその言葉に答え、録画ボタンを押す。


 画角には曇り空と寂しい屋上、そこにぽつんと立つ天使がいる。

手すりにもたれる彼女は靴を脱いで、羽を折り畳み、背中から空に飛び込んだ。

追いかけるように悪魔が落ちる。

手にはスマホが持たれていて、彼女の落下する様を撮影しようと真剣だった。

 画面から二人とも消えて、誰もいない空間を映していた。

 ……あれ。

「なんでスマホ越しに映ってるんだ」

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