29.カフェインほろ酔い

 私と白崎の戦いは――あれはもう一方的な惨殺ではあったけど、頑張れば五分くらいには勝負できたと思う。あんなふうに怪我をすることもなかったはずだ。

 ただそうしようと思わなかったのは腹が立ったから。

 彼女と彼の曖昧な関係を知ったことが原因だと思う。


 一方的な思いやりのないアプローチをする彼女が気に入らない。

 優しさと特別扱いを併せ持つ彼が気に入らない。

 二人の眼中にない私が気に入らない。


 ただの仕事仲間だと言われれば、それまで。

 悪魔というのは頑丈で喉が潰されても心臓を貫かれても死に至る怪我にもならない。こうして怪我をすれば二人の仲を引き裂けるのではないか、そんな邪な考えが私の中であった。

 悪魔殺しの彼女は最後まで私を庇う彼をどう思うのだろう。

 優しい彼は一人の友人を殺しかける彼女を見てどう思うのだろう。

 常に彼女が正しく神性であるように、私は陰鬱で見苦しかった。

まあ良い曲は書けそう、楽しい取材だった。

「ふわあ…」

 目にかかるうざい黒髪をはらい、あくびを出す。

 薄く開いた視界は見知った天井を映している、真夜中の明るい部屋。錬村んちのリビングだ。

 今度はソファではなく、布団の上。私が寝ている隣には二つ布団が並んでいる。

 なにこれ、意味分からない。

 白崎は隣の布団の上に座り、いくつかお菓子とペットボトルのジュースをトレイの上に置いている。だぼだぼのTシャツにショートパンツ、ラフな格好。

テレビを見ている彼女はちらとこちらに視線をやる。

「起きたんだ。永遠に寝てても良かったのに」

 混乱する頭に隣から聞こえてくる嫌味な声。自分の胸元と喉をさする。

 心臓も喉もとっくに治っていた、違和感はない、丈夫で良かった。


「これはなに?なんで私たちはひとつ屋根の下で寝てるの?」

「……それは、なんというか…………その」

「お泊り会だよ」

「「うわっ!?」」

 私の白崎の声が揃う。錬村が少し困った表情で、キッチンからこちらに歩いてくる。

 彼の手には二つのマグカップが持たれていた。

「驚きすぎだろ」

 片方のカップを手渡される、中身は甘い匂いのする黄みがかった紅茶……温かくておいしい。


 もう一つ向こう隣の布団に座り、もう片方のカップは手に持ったまま話す。

「白崎の提案、というか言い出しっぺは土井か。名案だと思って採用した」

「本当にしたんだ」

「嘘だったの!?」

「……半分」

「もー本気にした私が馬鹿みたいじゃん!!じゃあなに!?まんまと騙されたの?嘘つきばっかだよこの空間!!嘘つきのバーカ!!」

 彼女は倒れこみ、恥ずかしそうにじたばたと手足を動かし始めた。

 数時間前まで私を殺そうとしていたようには見えない。

「でも仲良くしたいのは本当だよ」

 ぴたりと動きを止めて、目を背ける。

「本当に?」

「本当本当」

「FPS始める?私から誘われたらどんなに忙しくても参加できる?」

「えっ嫌だ」

「えー!やだやだリア友と遊びたいネトゲやりたい!ネ友から誘われたときに『今日はリア友とするので……』って断りたい!匂わせたい!」

 雑味の多いお願いだなあ、と紅茶を飲みながら思う。

「錬村にやってもらいなよ」

「あいつ見る専だからしないって。というか土井と仲良くなりたいって話でしょ?」

「まあ、まずは今仲良くなろうよ。お菓子食べていい?」

「あからさまに話を逸らした!……いいけど、諦めないからね」


 ポテトチップスの袋に手を伸ばそうとして、それは白崎に奪い取られてしまう。

 大きめの一枚を取り出して、なにを思ったのかこちらに突き出した。

「あーん」

「……どういうつもり?」

「えっ仲良くなるには食べ合いっこが一番じゃない?違うの?」

 きょとんとする彼女の後ろでは錬村が爆笑している。

 少なくとも彼が知る文化圏の話ではないらしい。

 だんだん恥ずかしくなってきたのか、顔を赤くしてその大きなポテチを自分で食べてしまう。

「あっ」

「なに……ほしかったの?じゃあ早くしてよ」

 今度は小ぶりなものを口元に押し付ける。口を頑張って大きく開き、そのポテチを咥えた。

 白崎の手からそれは離れて、自分の手が汚れるのが嫌で使わず、上手くかじり続けた。

 彼女の後ろで錬村が手加減された威力の羽に虐められている。笑い過ぎたらしい。


「ごちそうさま」

「も、もう一枚あげてもいい?」

 キラキラとした目でポテチの袋をごそごそと探り、一枚を差し出す。

「餌付けしようとしてる?」

「してる、だって可愛いもん」

「か、かわ!?」

 予想外の言葉にたじろいでいるうちに素早く口の中に一枚滑り込まれる。

 もぐもぐ、おいしい。

「ほら仲良くなれた」

 白崎は嬉しそうに、目を細めて告げる。

 その姿にどきりと胸が苦しくなる――彼女は良く猫を被っている、そのときの表情に似ていた。ただこれは偽物ではない気がする。

「だから友達が多いのか」

 後ろめたくて、彼女が聞き逃しそうな声で私は呟く。

 あのおとぎ話を渡され、秘密の共有をされて、私はすべてを知った気になっていた。

 敵対種族の天使ではなく、おとぎ話の天使でもなく、目の前の白崎を見るべきだったのに。

 空になったカップをトレイの上に置く。

「私の目は節穴だったのかもしれない」

「急になに!?」

「体をずたずたにしたこと、許すね。錬村を殺しかけたことも謝るわ、ごめんなさい」

「……私こそつい激高して、あんなこと言ってごめんなさい。痛かったでしょ?」

「全然。じゃあこれで仲直りね」

 ポテチではなく白崎は片手を差し出して、悪手の体制を取る。

 まじまじと見ながらその手を取ろうとして――じゅるり。


「おいしそうだね、手ちょっとかじっていい?」

「なに言ってるの?その獲物に狙いをすますような目はなに?ち、ちょっと腕掴まないで。くっこのっ力強い!?い、いや土井に食べられる!?」

「おー効いてるなあ」

「効いてる……?はっあんたまさか!この子にコーヒーを盛ったの!?」

「さすがにコーヒーは収拾がつかなくなるからしてない」

「じゃあなんで!」

「知ってるか、紅茶のカフェイン含有量はだいたいドリップコーヒーの半分らしい。つまり彼女はいまほろ酔いだ」

「錬村汚い!こんなことしていいと思ってるの!?最低!!」

「ふはははなんとでも言うがいい。ほーら仲良くなりたいんだろう?さて僕は部屋に戻って優雅に編集でもしますかね」

「あっ馬鹿!逃げるな!!いつも編集ありがとう!私を助けろ!ねえ助けて?本当に?嘘でしょこのまま置いておくとかそんなことしないよね!?ねえ!?」

「あーむ」

「ぎゃあああああああああ!?」

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