44.噓つきの天使
「じ、じゃあ投稿するよ。もうやれることは全部やったよね!?他にすることないよね!?」
『うん。例えくのらが天界に帰ることになっても悔いはないよ』
「おのれ……無関係だからって適当言いやがって。この場にいたら掴みかかってたわ」
「まあまあ喧嘩は駄目なのじゃ。ちなみに動画を出してからもやることはたんまりあるぞ」
「聞きたくなかった……よし、後のことは後で考えよう。投稿ボタン押すよ」
近くから声がする。
いつの間にかタオルケットで覆われた体をもぞもぞと動かし、眠くてぼやけた視線を越えの方向へ――二人分の影がある。
桃髪の幼女と、白髪の少女。
しかし声は三人分。
なにかしてるのか?
思考を巡らせるが、割り込むように大きなあくびをしてしまう……何考えてたっけ。
まだ眠い。瞼を閉じると数分も経たずにまた意識は途絶える――
――よく寝たぁ」
大きな欠伸をして目をこする。
アラーム無しでこんなに長く寝たのはいつ振りだろうか。
開けっ放しの分厚いカーテン、内側のレースからは白い光が差し込んでおり気持ちの良い朝の景色が広がっている。
すずめたちのさえずり、学生の元気な笑い声……いつものせわしない平日だ。
普段は六時間睡眠だから倍の十二時間くらい寝てもおかしくはないな。
そう思いながら部屋の壁掛け時計を見る。
『八時』
寝ぼけた頭が一気に覚醒する。
「スゥ……少し考える時間が欲しい」
まだ疲れが残ってるのか虚空に向かって制止する。
僕が寝たのは確か八時前だ。
そして時計は、八時。
何度見ても時刻は変わらない。動いている秒針を見ながら「時計壊れたのかなあ?」と、とぼけてみる。
い、いやまだだ。
夜の八時である可能性もある……!
チュンチュン。
「なー今日の給食なにか覚えてるー?」
「カレーだったよ!」
「まじか!?サイコー!」
外からは朝を感じさせる爽やかな音が聞こえている。
僕の現実逃避は虚しく砕かれた。
寝る前とは段違いの体調の良さ、あれだけ痛かった肩と腰が復活していることを鑑みるに、数分だけしか寝てないなんてことは有り得ない。
つまり、
「終わった……」
二十四時間睡眠をかましてしまった。
あれだけ寝坊するなと白崎を叱っていた僕が肝心な場面で、こんなやらかしをしでかしてしまうとは。
深く溜息をついて、頭をくしゃくしゃと掻く。
いや、落ち込んでいても仕方がない。
一刻も早くこの睡眠で失った進捗を取り返さないと。
「えっと、一週間のうち初日の昼から三日目の朝まで作業してて、三日目の朝から今日――四日目の八時まで寝てた。七日目が決戦日だとすると、今日含め三日しかないのか……」
あと三日!?
たった三日で一曲バズらせないといけないの!?
改めて作戦の現実味の無さに顔が引きつる。
ともかく誰かの目に留まるよう何か作業をしなければ、ベッドから立ち、パソコン前の椅子に座ろうとして、
コンコン。
ノックの音がして、僕の返事を待つより先に扉が開かれる。
「おはよう。やっと起きたんだ」
それは扉にもたれかかるドヤ顔の白崎だった。
寝癖は無く、だぼだぼの寝巻から普段着に着替えた彼女。
いつもならこの時間は寝ているはず、明らかに早い起床に親心か、僕は嬉しくなっていた。
「そういうお前は早いな。とうとう僕離れか?」
「馬鹿にしないでくれる?本気出したらこのくらい楽勝よ」
「じゃあ毎朝本気を出してくれよ」
中途半端だった体勢、椅子に腰を落ち着かせて、白崎は対面のベッドに深く座った。
僕と彼女が向き合う形。
「大事なことを聞くんだが……もう投稿した?」
「したよ。昨日の昼くらい」
「昼か、寝てる時間だな。お披露目配信とか、予告とか告知とかした?大丈夫?」
「うるさいなあーそのくらいしたって。私VTuberだし、活動者だし、錬村がいなくてもなんとかなるんだよ」
突き放すような物言い、いつもの白崎だ。
彼女が危機的状況に立たされているとは思えないくらい、普段と変わらない。
「それでどうだった」
「どうって?」
「文脈で分かるだろ、あと約三日でどうにかなるレベルで話題になってるか?」
「あー……」
言葉に詰まり、白崎は苦笑いを見せた。
こらえきれず彼女は目を伏せて、息を震わせた。
まるで聞かれたくないことを聞かれたような、今まで誤魔化していたことの蓋を開かれてしまったような。
「ああそうか」口に出すつもりの無かった相槌は動揺で漏れてしまう。
僕たちは善戦した。
一週間という限りある時間の中で使えるリソースは使い果たした。
人脈も、好き嫌いに関わらず使い潰す勢いで色んな人に助力を頼んだ。
十万人記念のつもりで作った曲を起死回生の一手のつもりで送り込んだ。
土井は頑張っていた、白崎も申し分なかった、だったら不甲斐ないのは僕ではないだろうか。
何がいけなかったのだろう。
編集に時間をかけ過ぎたことか、普段の努力が足りなかったのか、睡眠をきちんととっておくべきだったのか。
反省点は山のように思いつく。
彼女らの才能の足を引っ張ってしまった、その悔しさだけが頭に降り積もる。
丸二日編集するよりずっと苦痛だ。
「これ……」
白崎は自分のスマホを手渡した。
嘘つきの天使/臼裂くのら[Official Music Video]
まだ投稿されて一日も経っていない、臼裂くのらのオリジナル曲のMV。
qedを意識しているようなタイトルの付け方だ。
画面には渾身の出来のサムネイルと彼女のチャンネルが表示されている。
三分半のシークバー、ここにありったけの努力が詰まっていると思っていると胸が苦しくなる。
「再生回数、見てみて」
悲し気な白崎の声に促されて、タイトル下の小さな表記に目をやる。
どうせ大した数字ではないのだろう、期待はせずにその数字を読み上げた。
「八十一万回再生……!?はいっ!?」
見間違いかバグかと思い、画面をスワイプして更新――数字は変わらない。
それどころか一万再生増えて八十二万回再生になった、本当に何が起こってるの?
「なっ、なんだこれ!?そんなわけないだろ!だってお前、あんな悲しそうな、はっ?えっ?」
「くっ……ぐふっ…………いーひっひっ」
笑い声につられ、視線をスマホから白崎に引き上げる。
「ぶほっ!あーはっはっははは!!あはははははっ!!ひ、引っかかってやんのー!」
僕のとぼけたような表情に耐え切れずとうとう吹き出し、腹を抱えて笑っている。
困惑の色を隠さず、画面と彼女を交互に見る。
「分からん!分からん!分からん!本当にどういうこと?僕は今何に巻き込まれてるの?」
「ツブヤイッター見てみな。多分全部分かるから、あーお腹痛い―!面白すぎるー!」
白崎ベッドに倒れ込み、足をばたばたとさせた。
言われるがままアプリを開くと、タイムラインは『噓つきの天使』一色だった。
トレンド上位には『#臼裂くのら』と『#嘘天』――曲名の略称の二つがランクインしている。
曲や歌声を褒める書き込みが半分、あの天使がクリエイターの宣伝だったことに驚いている書き込みが半分。
社会を巻き込むような宣伝方法を批判的に思う呟きもなくはないが、あれは本物の天使ではないと、見渡す限りのアカウントが見事に騙されている。
手が、手が震える。
見たことのない盛り上がりに、カフェインを投与されたような変な気分になる。
自分たちの手の届く限りのクリエイターに宣伝を頼み込み、一部の”事情を知る”方たちにはかなり踏み込んだ宣伝――拡散だけではなく、二次創作や配信内で触れてもらう等もお願いしていた。
「それにしたって、上手く行き過ぎだろ……」
手は尽くしたつもりだが、こんなに予想通りに事が運ぶだなんて思ってもみなかった。
「知りたい?」
起き上がらず、顔だけ上げた彼女がにやりと笑う。
神妙な面持ちで頷くと、ようやく体を起こす。
「しょーがないなあ。錬村が寝てる間に何があったか説明してあげよう」
白崎は語り出す。
投稿前日の夜、臼裂はくのらとのコラボ配信を決行し、オリ曲が明日出るという話をした。
それは事前に通達したクリエイターたちへの宣伝の合図、臼裂の告知ツイは彼らによって引用で呟かれ、多くの人が注目しているオリ曲発表だったということになり、界隈はちょっとしたお祭り状態になった。
そして予告通り翌日昼にMVを投稿した。
そのときはお祭りのような盛り上がりは萎み気味だったという。
編集済みのデータを渡した記憶が無いのだが、いつの間にか白崎らによって投稿されたらしい。
「部屋来てたんだけど覚えてる?」
「いや全然」
MVの投稿が第二陣の合図。
程よい時間にイラスト等の二次創作を投下してもらい、その日中の配信で触れてもらうようにした。
彼らの助力あって当日の滑り出しは好調、十万回再生もされた。
初日で十万、以前の僕たちからすれば裸で踊り出してしまうような数だが、今はもっと高い目的を持っている為そこまで喜べる数ではなかった。
そこからの伸びは緩やかで、日付を跨いでしまう。
そして問題の二日目、午前一時頃に急に二十万再生に到達した。
「さて、何があったでしょう?」
「うーむ……某有名ブンブン活動者に取り上げられた」
「たまに怖いもの無しなこと言うよね。正解はチックタックでの無断転載でーす!」
「は?」
「そんな怖い顔しないでよ」と白崎が引き気味にたしなめる。
チックタックとは縦スクロール型の一分程度の動画を投稿できるアプリであり、最近の若者なら確実に日に一回は見るバズの坩堝である。
様々なジャンルの動画が日々投稿され、大きく話題になったコンテンツがここ発祥であることもしばしば。
「曲サビと錬村の編集した『落下する天使』の動画合わせてね。あの話題の天使は臼裂くのらだったー!みたいな雰囲気で出してて、それが深夜のうちにもう意味分からんくらい話題になってた」
「公式からは出せない切り口だな……」
「私たちもそういう意図はあったけどねえ、本人の口から言うと嘘臭くなるからできなかったけど」
チックタックを見ると、元動画は見たことのない再生数を稼いでいた。
また楽曲に合わせてダンスをする人間も既に何名か見られた、最近の流行りのスピードは恐ろしい。
白崎のMVシーンの無許可撮影が、臼裂くのらの無断転載で事なきを得る。
まあなんて皮肉な結果か、僕たちの努力がまるで必要ないみたいじゃないか。
「そんなことないよ。私たちが本気で作ったものだから転載されるし、本気で作ったからこうやって多くの人の目に留まったんだから。悪党の一人勝ちなんて許していいわけがない、この勝負は全部私たちの計算づく。MVの再生回数はあくまで指標であって、目的じゃない」
「一人残らず騙すのが頑張ってた理由でしょ?」
目を細め、白い髪を揺らす。
その仕草はどこか艶やかで、僕の知る白崎はどこかへ行ってしまったように思えた。
確かに目の前にいるのに、まるで別人のような。
「ま、この時間まで起きてた理由は見たことないペースで回っていく再生数をずっと監視してたからなんだけど」
「良かった僕に知る阿呆な白崎だ」
「あ?」
そんな怖い顔すんなよ。
「なにはともあれ良かったな。これで脅威は去ったわけで、お前が天界に帰らなければならない理由はなくなったんだ」
「そう、だねー!」
言いよどむような相槌、白崎もまだ受け入れられていないのかもしれない。
肩の力を抜いて、溜息をつく。
なんてぬるい勝利だろう。
大団円というには、少し物足りない結末に肩透かしも覚えるが、そんな欲張りを言っても仕方がない。
「騙すね……というかお前どんどん演技上手くなってないか?さっきはすっかり騙されたし」
「そう?そんなことないと思うけど、錬村が騙されやすくなってるだけじゃない?」
白崎ははっと気付いたような顔をして、にやりと笑う。
「あれじゃない?私のこと好きになってんじゃない?」
「はっ!?」
「ほら恋は盲目って言うじゃん、演技とかどうでも良くなって盲信してるとか。演技が上手くなるんじゃなくてどんどん私に惹かれてる、みたいな?」
顔が熱い、心臓が強く打つ。
もしかしてバレたのか?
「そ、そんなわけないだろ」
「そうだよねえー錬村は私を好きになるタイプじゃないよねー」
絞り出すように出した声はあっさりと飲み込まれてしまう。
あーびっくりした、もう後がなくなったのかと思った。
思考はいつか見たおとぎ話と、何百回も聞いた『噓つきの天使』の歌詞に飛ぶ。
……あの歌、あの曲はそういうことなんだよな。
ラブレターのようなあの曲を受けて、言うべきことを言わないというのはどうなのだろう。
打ち明ける機会なんてそう多くない。
その多くない機会のうちの一つが、これなのではないか。
でもただの僕の勘違いだったら?
こんなムードもへったくれもない瞬間に言ってしまっていいものなのか?
俯き、握る手のひら。
マイナスな思考を振り払い、決意する。
「あ、あの!」
「そういえばさ、あのピアス返してくんない?」
椅子からずり落ちた。
声は完全に被り、突然こけた僕に対してきょとんと変なものを見る視線を向けていた。
あーくそ完全に出鼻をくじかれた。
「なに転んでんの?」
「僕は少しお前のことが嫌いになりそうだ」
「急じゃない!?」
椅子に座り直し、声が被ったときに何を言おうとしたのかを聞き出す。
「ピアスだよ。雑貨屋で買ったアレ、やっぱ返して」
「成人してから受け取るんじゃなかったのかよ」
「私の意志が薄弱なことは錬村がよく知ってるでしょ。気が変わったの、いいからはよ」
机の引き出しから、茶色い紙袋に入ったままのピアスを取り出す。
数年後にロマンチックに手渡すものだと思ってたが、耐え症の無いこいつには少し難しかったか。
手渡す際、釘を刺す。
「ピアス穴は開けないよな」
「それは約束できませんなあ。あーうそうそ!私は社不であって不良じゃないからしません、絶対に!」
「本当かねえ」
大事そうに両手で白崎は茶色い袋を受け取ると、袋の口を止めるテープを破らないようにそっと中を覗く。
「綺麗……」
呟くその言葉には喜びが含まれていて、その中に僅かに悲しさもあった。
何を悲しく思っているのかは分からない、けれど純粋に喜んでいるようにはとても見えないのだ。
「今日のお前なんか変だよ」
「え?」
図星を突かれたような顔を白崎はする。
そこで積み重なっていった違和感は一気には発芽した。
普段とは違う細かな気持ち悪さがとうとう口から漏れてしまったのだ。
朝弱いのにきちんと起きた上、身なりが整っていること。
演技の下手な白崎が僕を騙せたこと。
ピアスを見て悲しそうにすること。
こいつはなにか隠し事をしている。
「変ってなに?寝てなくて深夜テンション継続中だけどさ、そんなこと言わなくてよくない?」
「僕に言えないことがあるんだろ、それがなにかはさっぱり分からんが。負い目のある気まずいことを隠してる」
「言いがかりやめてくれる?錬村はまだ疲れてるんだよ、ほらまだ寝た方がいいよ。あんたの方が変なテンションだから」
普段のじゃれ合いではない、白崎は怒っている。
半笑いで威圧的な態度で、僕をこの話題から遠ざけようとしている。
それはきっと僕に関係のあること――鍵を握っていて、解決をしなければならない問題。
だからどれだけ言われても聞き出さなくてはならない。
こんな態度、初めてだったから。
「教えてよ、何があった?もうお前は天界に帰らなくて良くなったんじゃないのか?」
「うるさいよ!!」
その声にひるみ、続く言葉が出なかった。
ひるんでしまった。
思わず不愉快な空気を作ってしまった、白崎も恐怖するように”やってしまった”という顔をする。
白崎は目を合わせないで立ち上がり、茶色の紙袋をくしゃと皺を作り握る。
「……ごめん。でも言えない」
消え入りそうな声で呟き、部屋から出ていってしまう。
追いかけることはしなかった。
ここでまた続けるのは悪手のような気がしたから、嫌われたくないと思ってしまった。
僕は後悔している。
白崎は夜になっても帰ってこなかった。
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