43.編集終了

 時間を忘れて、手を動かす。

 所在を見失って、画面にかじりつく。

 疲れを見て見ぬふりして、切り貼りする。

 

 少しの違和感が気に入らなくて、微調整に数時間を費やす。

 初期エフェクトがしっくりこなくて、新たに数千円の素材を何度も購入する。

 フォントや素材の商業利用不可を見逃していて、発狂しながら修正を続ける。

 

 そんなことを続けているうちに時間は過ぎてゆき、とうとう自分で設定したリミットまで数時間というところまできた。

 椅子の座りっぱなしで痛かった腰も何も感じなくなり、全身湿布まみれだ。

 エナドリの飲み過ぎで動悸はおかしいし、瞬きの回数は格段に増え、独り言を常に話している。

 瞼を一秒でも閉じたら寝てしまいそうな極限状態、一刻も早く寝たい。


 僕は計算づくで生きているつもりなのだが、案外勢いとノリで生きている熱い男だったらしい。

 そうじゃなければ、この作業量を一人でしようなんて思わないし、丸二日で終わらせようなんて思わない。

 もう二度とこんなことしてやるものか。

 

 片付いていた机の周辺はエナジードリンクの空き缶と、コンビニ食のゴミでかなり汚い。

 作業のルーティンとして電気を付けないようにしていたのが功を奏した、こんなゴミ部屋を見ながら編集してたら気が滅入るに決まっている。


「あらかたの編集は終わったし、残すは最終チェックと白崎との調整……あとあれか曲名」

 ぶつぶつと思考が口から漏れ出す。

 パソコンからすぐに白崎に通話をかける……五コール経っても出ないので、切ろうとすると、


『んあい……白崎です』

 

 ガラガラの寝起きの声で繋がり、躊躇いもないあくびが聞こえる。

「寝てたのか」

『寝てるわよ、何時だと思ってるの?』

 閉め切ったカーテンを開くと、眼下に広がるのは閃光弾を投げつけられたような真っ白な朝。

 くぐもって聞こえなかった雀のさえずりが鮮明に聞こえ、通学中らしい学生たちも下に見える。

 今は八時前の早い時間だった。

「めっちゃ朝だな。悪いが僕の為に起きて、今から言うことに答えてくれ」

『……んあい』

 ちゃんと聞いてんのか?


 そこからデータの受け渡し、投稿時間の指定、一応リテイクがないかチェックをしておくよう言った。

 生返事で聞いているのか不安……あとで言ったことを文字で送っておこう。

「あと、あれの曲名なに?それが分かれば編集終わるから、とっとと教えろこの野郎」

『口ワルっ……曲名はね』

 少し考えるような素振りを見せて、それは言うことを躊躇うようにも聞こえた。

 布団から起き上がるような衣擦れの音と息遣いがノイズとして入る。

『「嘘つきの天使」だよ』

「まんまだな……いやちょっと待て、嘘つきの天使?嘘つきと天使じゃなくて?」

『うん、「の」で合ってる。私は錬村が思うより正直者じゃないから』

「なんだよそれ、演技下手なお前の嘘が僕に見抜けないとでも思ってるのか」

 白崎の声が震える。

 言いたげで、伝えるつもりで出かかった言葉は引っ込み、自嘲に変わる。

『やーやっぱり話せないね。うん無理だわ、ちょっと今頑張ってみたけど、うん無理無理耐えられない』

「何の話、」

『気にしないで。曲名は伝えたから、私はもうひと眠りするね』

 通話を終わらせるならこのタイミング。

 停止ボタンを押すかどうかのときに「あ」と白崎は思い出したように呟く。

『まだなんかあんのか?』

「お疲れ様、よくあんたは頑張った。ここからは私たちに任せて」

 通話はそこで切れ、電話口からはノイズすら聞こえない。


「電話ってのはかけた方から切るものなんだよ、ったくマナーが悪いな」

 誰も聞いていない、嫌味を言う口元はにやけていた。

 嬉しくて、半笑いだった。

 その言葉を求めていてこんな量の作業をしていたようなものだ、白崎からねぎらわれて喜ばないはずがない。


 とっとと編集を終わらせて寝てしまおう。

 麻痺ではなく興奮で疲れを忘れて、湿布だらけの手をキーボードに乗せた。

 開けたカーテンはそのままにして、差し込む白い光に顔をしかめながらロスタイムの編集を終わらせる。


 嘘つきの天使。

 猫被りの彼女はある種、嘘が得意なのかもしれない。

 演技は下手、嘘も下手、その癖優等生を演出する姿は健気で、正直者で、まさに天使然としている。

 そんなこじつけを頭の中でこねながら白崎の言葉の意味をずっと考えていた。


「あ、終わった」

 結論が出るより先に編集が完了してしまう。

 仕方ない、これはまた一週間のうちに考えておくか。

 気持ちのもやが払われるより先に、保存して、動画の書き出しを始める。

 今日中には終わってくれることだろう……椅子から腰を離し、ベッドに倒れ込む。

 柔らかいマットレスに体重を預け、タオルケットを被るより前に体の自由が利かなくなって、瞼はおもりがつけられたように閉じられた。

「風呂……そういや、入ってねえ…………」

 瞼の内の暗闇、微睡みや睡魔より先に意識が飛ぶ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る