45.月光
「ああくっそ!なんでこうなるんだよ!」
夜は更け、深夜を回った街中を僕は走っていた。
点々と立ち並ぶ街灯の下で影を動かして、あたりを見回っている。
息も絶え絶え、心臓ははち切れんばかりに脈動している、普段運動していないせいで動かす足がもう痛い。
体力がある方でも得意な方でもない、マラソンなんて一番苦手な競技だ、自転車を買っておけばよかったと今になって後悔する。
白崎が家出した。
家では冷めたパスタが待っている、お腹が空いたら帰ってくるものだと軽く考えていたが、いつまでも彼女が帰ってくることはなかった。
えへろろん先生も、土井も、彼女の友人たちも、誰も居場所を知らないという。
「はあっはあっ、はあー」
ふくらはぎと膝が痛い、耐え切れずその場に立ち止まった。
肩で息をしながら俯く。
あんなこと聞かなきゃよかった。
僕は勘違いしていた、あいつのことはなんでも知っていて、なんでも分かっているつもりだった。
幼馴染で相棒、距離感の近い白崎の悩みは全部解決できると思い込んでいた。
「地雷踏んじまったなあ……」
地雷――つまり絶対に触れられたくないこと。
聞かれたくないことくらい人にはいくつもあるだろう、それをこじ開けようとした結果だ。
嫌われた。好きな人に嫌われてしまった。
その事実はただでさえ早く打つ心臓の鼓動を高め、重い脚を更に重くする。
「休憩終わり!」
頭の中でこの街の地図を思い描きながら、自分を鼓舞するように声を上げる。
ここら一帯は探し終わったから今度は中心街、あの雑貨屋や喫茶店の方面に行ってみようか。
RRR!
ポケットに入れたスマホが鳴る。
誰かからの目撃情報だろうか、急いで画面を見ると……それは登録外の電話番号だった。
僕の番号が共有されていて、知らない親切な人が白崎を見つけてかけてきたとか?
藁にも縋る思いで、電話を取る。
「はい、錬村です」
『少年は錬村という名前なんですね。すみません、お久しぶりです錬村様』
僕はその声を知っている。
「エレノアさん?どうして電話番号を」
『このくらい簡単なことです』
人外たちに個人情報という概念は無いのだろうか。
呆れつつ、知り合いからの電話に安堵した。
「白崎知りませんか?あいつ家出して、どこにもいないんです」
『私もそのことで電話を掛けさせて頂きました』
聞きたかった言葉が頭に響き、声が上ずる。
「本当ですか!?」
そのくらい嬉しかった、良かったあいつはエレノアに会いに行っていたのか。
すぐにそちらに向かうから白崎と話させてくれ、そう言うつもりで空気を吸い込む――けれど、その空気は行き場を失った。
『臼裂様は天界に帰られることになりました』
どういうことですか。そう聞こうと思ったのに、声は出ない。
開いた口からは呼吸の行き来で使われるだけで、今言うべき言葉失われている。
何も告げられない。
エレノアは、この神はなにを言っているのだろうか。
考えのまとまらない僕に嘆息して、
『順を追って説明します。あなた方は見事、人々を騙すことが出来ました。天使はフィクションであると誤認させました。まだ思い込んでいる方もいらっしゃるようですが、時間の問題――残り三日のリミット内にすっかり忘れてしまうでしょう』
『世界は臼裂様の強制送還は不必要だと判断を下しました。「人々に存在が知られてはならない」の達成まで目前。残り一人、特定の人物がすっかり忘れてしまえば帰る必要はなくなるので』
『天使の臼裂様ならばたった一人の人間の記憶を消すくらい容易いでしょう。けれど彼女はそれを拒み、天界に戻ることを決意されました』
エレノアは淡々と告げる。
静謐で合理で秩序立った声はそうして説明を終えた。
息は整っている。
体の疲れも取れていた。
なのに、重くのしかかるような痛みが全身に走る。
運動ではない、精神的なものが体を蝕んだ。
白崎が何を隠していたのかをそこで知る。
僕が勘ぐったときに強い言葉を吐いたのはこれが原因だったのか。
強い後悔と理不尽な選択に吐き気と眩暈がする、不快な気分が収まらないまま、唇を震わせて言う。
言いたくないことだ。
けれどここで話さなければ、一生後悔してしまう。
「僕が、白崎を知っているからですか」
『はい』
エレノアは躊躇いなく肯定した。
事務的に僕の非を認めた。
目の前が真っ暗になる。
夜だからではない、自分がいままでやってきたことは無駄だったと突きつけられて視覚までもが黒に沈んだ。
一歩先すら視認することが出来なくなる、消えてなくなりたいと強く思い――唇を強く噛んで、ショックを誤魔化した。
僕は今立ち止まるわけにはいかない、必死に頭を回す。
白崎が天界に帰らなくてよくなる方法は何かあるはず、盲信に近い思考に縋りついた。
「ほかに方法はないんですか」
『ございません』
「僕が忘れるしかないんですか」
『はい』
「……じゃあ、忘れさせてください」
『できません』
「どうしてですか!」
声を荒げ問うが、彼女の態度は何も変わらない。
『臼裂様に「そんなことをしたらぶっ殺す」と言われているので』
「は、」
暗がりにいた思考は火が灯された森林のようにぼうぼうと燃え始めた。
自分勝手に家出して、お別れもなしに天界に帰ろうとする白崎への怒りが湧いてくる。
ここまで活動を頑張ってきて、これまで一緒にいたのに、たった一言「さよなら」も言えないのだろうか。
「今まで黙ってたのか……僕に天使だって知られた時点で天界に帰らなくちゃいけなくなってたのに。たった一人知ってても抵触する重罪だったっていうのに、それを黙ってこの数か月過ごしてたのかよ。ボイスも!オリ曲も!思い出作りみたいに思ってたのかよ!!んだよそれ、そんな簡単に飲み込めるわけないだろ!だったら……だったら初めから天使だって打ち明けんなよ!!」
『私にそう言われましても』
興味無さげにエレノアは告げ、苛立ちが募る。
『直接、本人にお伝えください』
僕の言葉を待つより先にノイズが走り、誰かに代わる。
電話口は無言で、僕も何も言葉が思い当たらない。
この先に白崎がいる、恐らくこれが最後の会話なのだろうと考えたくない実感が頭に浮かぶ。
『……ずっと苦しかった』
今にも泣きそうな白崎の声。
嫌われたくない、そんな勝手な妄想は掻き消えて押し黙る。
『私が天使だって伝えずに一緒にいるのが嫌だった。だって錬村は私より先に死んじゃうから、本当のことを言わずに生きるのがつらかった。だから言ったの』
電話越しの彼女は震えてる。
『でも知ってもらってからも苦しかったよ。あと数か月で戻らないといけないのが本当につらかった。何度も何度も言おうとしたけど錬村にはずっと普通に過ごしてほしかったから』
「…………僕は本当にお前のことを知らないな」
噓つきの天使。
その意味がよく分かったような気がする。
「僕には忘れられたくないんだよな」
『うん』
「そっか……そっかあ…………あーくそ、なんにもできない。僕はもうお前に何もしてやることができない、悔しいなあ。めっちゃ悔しいわ、なんでこうなるんだろう」
詰まっていた喉がほどけて、自分の言葉がどんどんと溢れてくる。
考えを介さず、ひたすらに想いを呟いていく。
不意に白崎が笑った。
『なに泣いてんのよ。馬鹿みたい』
言われて自分の目元をなぞると、涙で出ていた。
僕の意に反して、けれど想いをなぞってぽろぽろと流れる。
「電話越しで分かるのかよ、泣いてなんかない」
意地を張り、声を平常運転に保とうとする。
僕は普通に話せているのだろうか、そんなこと分からないくらいにいっぱいいっぱいで、変な笑いが漏れる。
不格好な自分を嗤っている。
現実味の無い別れを受け入れていることを笑っている。
白崎は理解したような振りをして『確かに泣いてない。気のせいだったかも』と戯言を吐く。
「じゃあ向こうでも頑張れよ。VTuberとして活動できるのかは知らんけど、生活力以外は全部あるお前のことだ。どうにでもなるさ」
『うん。死んだらきっとこっちに錬村は来れるよ、でも早死にはなし……じゃあね』
これでいいんだ。
このくらいのあっさりした別れの方がお互いの為、すっかりこれまでのことは胸に秘めて、生きてゆけばいい。
高々今生の別れだ、全く会えなくなるわけではない。
電話は……出来ないか、あいつが今後活動を続けられるのかも……分からない。
それなのに理不尽な別れをあっさりと僕は受け入れようとしている。
衣擦れと環境のノイズが聞こえて、電話がエレノアに返そうとしていることがなんとなく分かった。
「…………」
頭をかいて、淀んだ後悔が体を蝕む。
本当にこれでいいのか?
たったこれだけを伝えたくて、あいつを必死に探したのか?
もう向こう七十年くらいは会えないのに、こんな素っ気ない別れで、下らないプライドに妨害されて短く終わらせていいものなのか?
上げていた手をだらんと下げる。
「そんなわけない」
一人呟く。
受話器にも入らない声。
エレノアに受け取られる直前、叫ぶ。
「白崎いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」
驚き、電話を落とす衝撃音が聞こえる。
「聞こえてるか!?聞こえてんだよな!!やっぱ無理だわ!!湿っぽいのは嫌いとかそんなスカしたこと言ったけど、言いたいこと言えずにバイバイなんて無理なんだよ!!」
拾い上げられたスマホの向こうでは白崎が聞いている、そんな風に思い込んで吐く。
「どうやっても僕はこの後七十年くらいを後悔して過ごすんだよ!どんなにお前より凄い奴が出てきたところで頭ちらついて最悪な気分になるんだよ!幼馴染舐めんな!?僕がお前のいない人生普通の顔して生きていけるわけない!ずっと一緒いたものがいなくなる痛み、お前になら分かるよな!」
聞くに堪えない風切り音と焦るような息遣い。
「僕にとってお前は大事で、大切で、唯一無二で、憧れで、親友で、相棒で……だから、だから!」
言葉に詰まる――空を見上げて、呆然としてしまう。
天使が舞い降りた。
夜空、雲間の月明かりから彼女はゆるやかに落ちてきた。
頭には天使の輪、肩まで伸びる綺麗な白髪、琥珀のような目。
瀟洒な白いドレスを身に纏い、大きな四枚の白い翼は折りたたまれて彼女の背から生えていた。
清廉で無垢で神性。
周囲には白い羽が降り注ぐ。
もう会えないと思っていた人が僕を目がけて落ちてくる。
受け止めないと!
手を広げて、落下地点を予測して……視界が服や髪の白で埋め尽くされ、接近する天使を抱きしめる。
「もぶっ」
落下の衝撃に耐えきれず、尻もちをつき、道路に倒れ込む。
まるで彼女に押し倒されたような体勢。
毎朝、起こすために何度も抱えた白崎の体がこんなに近い。
温かくて柔らかくて、いつもならこんなこと意識しないのに「女の子だな」と思ってしまう。
「まさか電話で言おうとしてたの?そういうのは会って直接話さないと」
乗っかったまま、いたずらっぽく笑う。
……言いたいことはたくさんある。
まるでこいつに乗せられたようで癪だが、一番言ってやりたい言葉は決まっていた。
「好きだよ白崎」
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