10.ゆめなき時間停止

「土井さん、おすすめされた曲聞いてみたよ」

「…………」

「やっぱ音楽好きはひと味違うね、普段聞かないジャンルだったけど好きな雰囲気にドンピシャで、特にサビ前の盛り上がり方が最高だった!」

「…………」

「……あのう、土井さん?」

 昼休みの騒がしい教室内で僕と土井さんは机を合わせて、仲良く昼飯を食べている。

 土井は無言で総菜パンをかじり、僕が一方的に話しかけているだけなのだが。

 自分から誘っておきながらOKされたのは不思議である。

 そしてさらに不思議なことに、彼女は僕を無視し続けている。

 片時も両手に大事そうに持つコロッケパンから目を離さない、ちらりともしない。

 卵焼きを挟んだ箸を目の前にやっても……あ、食べた。

「おいしい?」

「…………」

「実はこれ僕が作ったんだよ、すごくない?料理上手な男子高校生とかポイント高くない?」

「…………」

「パパーン!なんと明日先着一名様限定でお弁当作ってきてあげる権を無料配布中でーす!どうよ奥さん、興味ない?」

「…………」

 完全敗北。

 心が壊れそう、というか途中からキャラが壊れた気がする。もしかしたら社交辞令で断らなかっただけで、内心ウザいと思っているのかもしれない。まずい恥ずかしくなってきた。

 

 土井との会話を諦めて、逃げるようにスマホを見る。

 ツブヤイッターの通知を見ながら、FFの人にリプを返し、推しVTuberのおはようツイートにふぁぼをしていく。みんなこの時間くらいにならないと起きないよなあ。

 ちらとクラスの中心で楽し気に会話する白崎の方を見た。完璧超人の擬態を続けている。

 あれも僕が起こさなかったらこの時間くらいに起きるのだろうな。

 ふっ、と鼻で笑うと視線に気が付いたのか、にこやかにこちらへ手を振る。

 その笑みには「邪魔をするな」という圧が込められていた。


 再びスマホに視線を戻すと、大きな黒い毛玉が間に挟まっていて画面が見えない。

「本当にVTuberが好きなんだね」

「土井さん!?何してるの!?」

 椅子と机の隙間を縫うように、体を僕の前に持ってきている。

 椅子、僕、土井、机の順番でサンドされた彼女はもぞもぞと動き、直角で見上げるようににこちらに視線を合わせる。完全に死角で気が付かなかった、白崎も見えていなかったのだろう。

「怖いからそろそろ離れて?」

「閉所恐怖症なんだ」

「どっちかっていうと対人恐怖症だよ」

 体をするりと抜かして自分の席に座る。

 黒く人を殺してしまいそうな鋭い瞳はこちらに向いている。

「実はずっと言いたいことがあったの」

「にしては会話してくれなかったね」

「あれはまだご飯中だったから」

 少し申し訳なさそうに告げる土井の机の上に総菜パンは消え、いくつか空のパッケージがあるだけだった。

「ごめんね」

「いい、私が頑固なだけだから」

 深呼吸をして、自分の胸を押さえつつ息を整える。

 一分か二分経つ。小さな唇を固く結んで、意を決したように目を合わせた。


「『鏡壊きょうかい』って曲、どうだった?」


 瞳は今にも泣きそうなくらい潤んでいて、鋭くて――けれどその鋭さは自傷にも見えて、有無を言わさない鬼気迫る迫力に息を呑む。

 穏やかな教室の中、二人だけの間に張り詰めた緊張が走っていた。質問を質問で返すなんて無粋なことはしない。相手が求めている言葉を言ってお茶を濁そうとも思わない。

 qedのファンとして、解答者(qedのファンネーム)として、正直な感想を言わなければ。


「良かったよ。音楽知識があるわけじゃないから具体的なことは言えないけど、どこまでいってもqedらしさが出てて、アルバムの表題曲にふさわしいなって思った」

「みんな抱えてるけど言えない不幸をqedは代わりに言語化してくれて、それが凄く表れてた……鏡壊は誰にでもある二面性の歌だと思ってて、一番は取り繕うように自分は普通だって言い聞かせた歌詞で、二番はその二面性が一つにまとまっていく様を諦めて見ている。ものすごく共感できる歌だと思う」

「あと個人的には曲名も好きだよ。センス良いなーって感心した」


 土井は熱っぽい視線を外して、「そうなんだ」と小さく呟く。

 その様子は僕の感想を嚙み砕いて、自分の中にゆっくりと溶け込ませているようにも見える。

 僕は彼女が顔を上げるまで、黙ったまま答えを待っていた。


「わ、私は……私は!」

「焦らなくていい、ゆっくりでいいんだよ土井さん」

「錬村くん……!」

 期待に満ちた表情をする。よせやい、僕は同類と楽しくお喋りがしたいだけさ。

「同担をリアルで見つけられたときの嬉しさ、僕は分かるぞ。現実で好きなものを語れる相手がいるっていうのはこの上ない幸福だからな」

「錬村くん?」

 

「朝のあの反応、確実に知っている風だったからな。同じ解答者として、曲の解釈が聞きたくなったんだろ?qedは考察が捗るVsingerだからな、僕の力量を計ったってことだ……ふっ洒落た真似を、どんとこい!俺は何もかも受け入れる雑食だ!お前の解釈、深読みなんでも聞いてやる!!」

「錬村くん!?」

 

 VTuberと一口に言ってもジャンルは多岐に渡る。

 その中でもVsingerは一人の魔女を筆頭に、現実のアーティストに劣らない歌唱力や作曲能力等を武器に戦う技術者集団である。しかし現実でVTuberを語れる者を見つけたとして、歌方面にも精通しているかどうかはかなり怪しい。

 だからきっと土井は推しを知っている僕を推し量ったのだ、自分の腹の中にある妄想に耐えられるかどうか――エンジョイ勢を傷付けない配慮が出来るとは、qedも良いファンを持ったものだ。

 土井さんに全てを許すアルカイックスマイルを見せ、害意が無いことを示す。

「ち、違う!私はそういうんじゃ」

「あ考察厨じゃない?そっか土井さん音楽好きって言ってたし、もっと理論的な話が出来ると思ったんだね……ごめん。楽器できないし音楽センス皆無だから。そういうことなら別に適任者が」

「そうでも無くて……」

 諦めたように項垂れて、呆れたようにゆっくりと顔を上げる。

 やはりその表情は目つきが鋭く、不機嫌に見えて、少し怖い……悪魔という程ではない、ちょうど小悪魔くらいの。


「難しいね、格好をつけるのって」


 土井は手を二度叩いた。

 瞬間、騒がしい教室は皆息を止めたように静まり返る。クラスメイト達が彼女に注目して黙ったわけではない。呼吸を止めて、瞬きを止めて、動きを止めて――全員が停止しただけ。生活音は皆無で、パントマイムをするようにぴたりと止まって動かない。

 周囲を見回して確信する――「時間が止まってる」と。

 脂汗が額に滲んで、危機的な状況に呼吸を浅くさせる。

 時間停止は男のロマンだけれど、今回は事情が違う。

 僕のほかにもう一人動ける者がいて、それがどうやら時間を止めた犯人らしいのだから。

 

「本当は自然な会話の流れで言いたかったな、信じて貰えなかったときの動きも想定して……ううん、もう駄目だったことを気にしてもしょうがないよ。私いつもそうなんだ、気にしいで気の利いた返しをしようって考えてるうちに事が終わってたり、進んでたり……そんな感じで今日も言えずじまいになりそうだった。ごめんね錬村くん、強行させてもらったよ」

「……僕はどうやら大きな勘違いをしていたようだ」

「やっと気づいてくれた」

 安心したように土井は短く微笑む。

「曲の感想を聞いたからって同担ウェルカムとは限らないよな。思慮が浅かったよ」

「まだその話!?これだけしてるのに気付かないことなんてあるの!?」

「実は土井さんが人外で、しつこいから怒って能力を使ったってことじゃないの?」

「人外であることはすんなり呑み込めたんだ」

「近くに天使がいるもので」

 引きつるような笑みを見せ、「天使かあ」と納得する素振りを見せる。


「やっぱりサプライズはエゴだね。素直に見せる、私の本当の姿」

 隣に座る土井のひと区画を蝕むようにグリッチエフェクトが走る……どんどん粗く激しくなってゆく、彼女の姿が視認できないくらいに。ノイズの走った電子音が鳴るのと共にエフェクトの中から人が立ち上がり、外へ現れる。

 ゆっくりとした所作で歩いた彼女は傘を指していた。普通の黒い雨傘、黒猫を模したフードを深く被り、カジュアルで近未来な服装で身を包む。目を引くのはばっさりと開いた肌の見える背中、そこから伸びる尻尾と羽――そのどちらもが悪魔を連想させるものだった。

 射殺すような目つきで睨み、口角を歪ませる。

 残酷で、惨虐で、散々で。

「悪魔だ……」

 不幸を体現するようなその容姿は現代の影響を大きく受けながらも、原典が悪魔であると思わせる。もしフラットな状態でこれに会ったなら死を覚悟するかもしれない、けれど僕はこの人を知っていた。

 土井さんを、ではなくこの悪魔を。

 

「QEDと書いてクイドと読ませます。qedです。歌を歌ってます」


 目の前の悪魔は見透かすように告げた。

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