11.ディレイ
「え、まさか……でも、本当に?」
「はい。明かさなかったのは先に本人ですって言うと良い言葉は聞けないと思って」
土井さん――qedの照れくさそうな表情は、配信でよく見る楽しそうな彼女と似ている。
3Dモデルは目つきが少し柔らかかったけれど、姿形はほぼ同じ、いつも画面越しに歌う姿を見ていた彼女と変わらない。優しい言葉遣いで、解答者想いで、歌に関してはストイックで、たまに抜けているところがある、恩人のような悪魔。
僕の頭の中で一方的に積み上げてきた思い出が巡って、いつの間にか泣き崩れていた。辛かったときにどれだけ支えになったか、迷ったときにどれだけ背中を押してくれたか……感謝を伝えようとして言葉を発しようとして、代わりに嗚咽が漏れる。
qedは肩に触れて心配そうに傍にいた――それがまた僕の涙を加速させた。
「ど、どうしたの!?怖かった?こういうときどうしたらいいか知らなくて」
目から大粒の涙が流れるたびに、彼女は丁寧に自分のハンカチで拭き取ってくれる。
震える呼吸が収まり、目が赤く腫れて涙が枯れると、気持ちも落ち着いていた。それがどのくらい続いたのかは分からない、qedはつきっきりで背中をさすり、言葉をかけていた。
「ごめん……落ち着いた」
絞り切った雑巾から数滴の水粒が落ちるように、目元から離れたものを自分の袖で拭く。
立ち上がると、至近距離にいた彼女と目が合い……気まずくなって数歩下がる。qedは曖昧な表情をしている。
「すみません、私のせいで……すみませんでした」
頭を下げ、謝る。その姿に動揺して、すぐに気が付く――自分の真の姿を現して唐突に泣き出した同級生を見て、どう思うか。違う、qedさんは悪くない。
今度は自分の言いたいことをきちんと言語化する。
「qedさんに個人的に思い入れがあって、自分がどうすればいいのか分からなくなった時期に曲を初めて聞いたんです。そしたらすごく感動して、悩みが吹き飛んだことがあって。以来ずっと恩人みたいに思っていました。だから今面と向かって話せてるのが、すごく嬉しくて、感無量で。そしたらああなっちゃったっていうか……」
下げっぱなしの頭、顔をちらとだけこちらにqedは向ける。
その表情には驚きが表れている、目を見開いて、不思議そうにこちらを見つめて。
顔を上げて、面白そうに微笑む。
「そっか、そういうことなんだ。嬉しい、泣くくらい喜んでもらえて」
「そんな風に言われると恥ずかしいですね。いつも良い曲をありがとうございます、あっ一昨日の歌みた聞きましたよ!歌上手いし声綺麗だし最高でした!!」
「面と向かって感想を言われるのはまだ恥ずかしい。それより敬語やめて、同級生なんだし」
「いやいや!いやいやいやいや!ため口とか死んでしまいますよ!!」
ぷくーっと頬を膨らませて、せいいっぱい怒ったような表情にする。
もともと怒ったような顔なのだが、本人には自覚が無いのだろうか。
「だめ、ため口。友達でしょ?」
「友達!?僕とqedさんがですか!?」
「え、違ったの……ごめん早とちりしたね」
しゅんと拗ねたような表情に変わる。
「違います!友達です!」
満足げにqedは鼻を鳴らした。
「そういえば、なんでqedは僕を無視してたの?」
「ご飯中に話すことは駄目だと思う」
「それだけじゃなくて、わりと積極的に話しかけてたと思うんだけど」
合わせていた目線を逸らし、気まずそうに息を吸い込む。
「……なんて返せば良いか考えてると時間が経って、『あもう今話すのも不自然だなあ』と思い、結果無視してたことがあった。何度も」
「おはようにも返事してくれなったけどあれは」
「『錬村くんの名前って錬村氷火で合ってるっけ。氷火って呼んだ方がいいのかな』と考えてるうちに……その、どこかにいっていた」
「毎回」
「ま、毎回」
問い詰めるたびに声のボリュームが絞られて、最後の言葉はもうほとんど聞こえない。
いじめすぎたか……というかqedって配信で見るまんまのキャラクターなんだな。
彼女は配信内でもコラボ相手の質問に答えるのが遅いことが度々あった、その度に「ディレイの悪魔」「早くQEDしろ」等のコメントが飛び交う。
打てば響くし折れないqedは意外にもネタに走る視聴者が一定数いた。
「つまり今まで生ディレイが見れていたのか、感激だなあ」
「そう言ってもらえると助かる」
あまり嬉しくなさそうに睨みながら返す。
憧れの悪魔と話せている。
緊張も喜びも抱き合わせながら、僕は意を決して『ずっと言いたかったこと』を切り出す。
「qedにオリ曲を作ってほしい」
「曲?」
一気にqedの表情が険しくなる……やはりプロだからこんな易々とした頼みは引き受けられないのだろう。断られる前に矢継ぎ早に話す。
「十万人記念で曲が出したいんだ。今は九万人で、多分半年以内に絶対に到達する。だから記念らしいことがしたくて、曲を是非qedに提供してほしい」
「十万人……!すごい頑張ってるんだね、じゃあ多分お金は大丈夫そう、錬村くんなら他のことも信頼できるし。うん今日中に運営さんに話を通しておくから、DM送って。打ち合わせの日程はDMのやり取りで決めよ、いまちゃんとしたやつ把握してない」
「へっ……?ちょ、ちょっと待って」
「なに」
「こっちは根負けするまで説得するくらいの意気込みで切り出したのに、そんな簡単に」
即断即決。qedはふっと笑い、少しも遅れることなく告げる。
「会って泣いてくれるファンの頼みは断れない」
「待って、格好いい。もっと好きになりそう、というかなってる」
「忙しいね感情が」
qedに曲を作ってもらえるだなんて正直思ってなかった。
もちろん作ってほしいという欲は十分にあったけれど、それが実現可能であるかといえばそんなことはないだろうし。
今は上手く行き過ぎて放心状態。
土井と出会うことが出来て、qedの曲を好きになって、本当に、心の底から良かったと思う。
「きっと白崎も喜ぶよ。てかまずクラスメイトにqedがいたことに驚くかな」
うんうんと噛みしめるように頷くと、冷ややかな声が飛ぶ。
ずいと体を近づけ、距離が一段と近い。
「どうしてそこで白崎さんの名前が?一緒に活動してるの?聞いてない」
「あ、え、いや僕はあくまでバックアップで、白崎が主体でVTuber活動をしてて……ほら『臼裂くのら』だよ、ちょっと前に身バレ回避でバズった」
彼女の笑みは言葉を続ければ続けるほど消えてゆき、最後には怒ったような正真正銘不機嫌の顔になる。いつもの怒ったような目の鋭さは本当に怒りで眉をひそめている。
「ごめんなさい、さっきの話ナシ」
「そんな!?曲制作はqed以外に考えられないよ!!どうしていきなり、」
「あなたは悪くない。けどあの女は駄目、あれに曲は作らない、作りたくない。気分じゃない、とにかく無理……他を当たって」
「思い直してくれ!」叫ぶ頃にはqedの姿はノイズに掻き消えて、伸ばした腕は空を切る。
数秒も経たないうちに時間が動き出すが、その中に土井さんの姿はない。
qedの声しか聞こえなかった空間は、やがて雑音で満ちていく。
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