9.QED(クイド)
僕、
六時ごろに起床し、目覚めのコーヒーを一杯。
自宅で白崎と自分の二人分の弁当を作りつつ、誰か朝活配信をしていないか確認する。
お、今日は『あさくれ』の曜日だったか。
一週間の間に起こった身の回りのことをニュース形式で話す、くれさんの恒例企画。これを聞き逃しては一日が始まらない。スマホから音声を流しながら、淡々と弁当に具を詰めていく。
「毎秒朝活やってくれ……沁みる」
七時までに自分の準備を済ませて、家を出る。
向かう先は白崎邸、合鍵で扉を開き、段ボールの山を潜り抜ける。
「入るぞー」
一応ノックして白崎の部屋に入る。
ベッドとローデスク、大きめの本棚とグッズを飾るためのガラスケース。オタクな女の子の部屋として一応機能している。ついこの間掃除させたので配信部屋のような惨状にはなっていない……まあそれでも十分汚いが。
通学鞄と弁当箱を置いて、寝息を立てる白崎の方へと向かう。
脱ぎっぱなしの衣類や飲みかけのペットボトルを避けながら、ベッドの上、寝相の悪い彼女の肩をゆすった。
「おーい白崎ー、起きろー朝だぞー」
「んう……あと五時間」
「もうちょっと許容できる時間を言ってくれないか?」
なんとか自力で体を起こすと、しぱしぱと目が開かないままこちらへ両手を伸ばす。
「……トイレ行きたい」
「はいはい、おばあちゃん。一緒に行きましょうねー」
寝ぼけたままの白崎をだっこして、トイレの方向へと連れていく。
胸が当たって、柔らかくぼんやりと温かい身体が密着する。僅かな呼吸が触れたせいで聞こえてくる。
二人同時に一人暮らしを始めてからずっとこうなので思うところは特にない、しいて言えば毎日起こすの面倒だから朝強くなってほしいくらい。
トイレへ白崎を放り込み、キッチンに向かう。
ホットサンドメーカーを取り出して、昨晩作っておいた卵のタネをパンに挟む。二枚を一度に焼けるやつなのでもう片方はハムチーズにして、スイッチを入れた。簡単にサラダを作って、焼き終わったホットサンドを皿の上に出す。
「あちっあちっ」
対角線にパンを切り、二枚の皿に二種類ずつ並べた。これで朝ご飯はよし。
「お腹すいた……眠い……学校行きたくない」
目をこすりながらぼさぼさ頭の白崎がやってくる。
「あーあー寝癖くらい自分で直しとけよ。顔洗ったのか?」
「洗ったよお……」
自分の定位置に座り、首が座っていないままホットサンドを口にする。
けほ、と小さく咳をして牛乳を飲み、サラダにドレッシングをかけた。
「あのねー昨日はリスト作ってた」
「リスト?あーなるほど、だから夜更かししたのか」
へへ、と何故か誇らしそうに笑った。
もそもそと朝食を食べる彼女の背後に立ち、片手には熱湯を入れた霧吹き、片手にはタオルを持つ。
寝癖を湿らせて、タオルで撫でて、髪のはねを直してゆく。全体がおおよそ直し終わったらドライヤーをかけて、くしでとかす。
「またドライヤーせずに寝ただろ」
「うん……」
「可愛いんだからちゃんとしろよな、そういうとこ」
「分かったお母さん」
「誰がお母さんだ」
軽口を叩いているうちに食べ終えて、白崎は手を合わせる。
時間は既に七時半で、制服に着替えて弁当を持った彼女は少し焦り気味に家を飛び出す。
今日は日直だったらしい。
「行ってきます!」
手を振って見送り、扉が閉まってから再びリビングへ向かう。
さっさと冷めた朝食を食べて、皿洗い……今度は配信もかけず、考え事をしながらスポンジを握っていた。
「オリ曲ねえ……どうしたらいいんだろ」
昨晩白崎と一緒に調べて、概要は掴んだ。
僕たちに作曲能力は無いし、せっかく十万人記念で作るのならプロが作ったものが良い。
けどそこでぶち当たるのが「誰に頼むか」問題である。
歌ってみたなら、インストを作ってもらい、宅録し、同時並行でmixとイラストの依頼、編集して投稿、が『臼裂くのら』のテンプレである。
イラストは白崎が描けるし、動画編集は僕がやっている――僕らに出来ない部分も馴染みのmix師に頼み、良コスパで高頻度の投稿を可能にしていた。
ただこれがオリ曲も同じように作っていいのだろうか。
節目に考えるのはコスパではなくクオリティではないか、イラストや編集……言ってしまえば素人の僕たちが作るよりプロに制作してほしい。
曲だって名の知れたボカロpなんかに作ってもらいたい気持ちはある。
作詞と作曲を分けるなんて豪華なこともちょっとだけ興味がある。
けどお金が無い。
有名作曲者に曲を作らせ、プロイラストレイターに依頼し、編集者を雇えるほどお金が無い。
これが何の前触れもないオリ曲制作ならいくらか冒険できたが、今回は重要な記念。
不安と緊張の悪循環に苛まれ、誰にどのくらいのものを作ってもらうか決めあぐねていた。
「あっやば」
時計を見ると既に八時、僕も学校に行かないと。
登校中、白崎の作ったプレイリストを聞いている。
白崎には昨日、どんな雰囲気の曲が作りたいのかを聞き、目指す場所に近い曲を詰め込んだプレイリストを作ってもらった。夜更かしの原因はそれ。
厳選された三十曲近い楽曲はどれもダークな曲調で、ジャンルに違いはあれど一貫したテーマは見えていた。今後の展望とかファンへの感謝なんかが一切詰まってない趣味全開のプレイリストで逆に安心する。
次の曲へ移る。
お、
ワイヤレスイヤホンから流れてくる聞き覚えのある声にポケットからスマホを取り出す……画面にはqedの3Dモデルが動くMVが流れている、よし合ってた。
『QEDと書いてクイドと読ませます。qedです』
自分の持つ不平不満を直接的な愚痴ではなく、遠回しな比喩で伝える歌詞と曲、怯えているようにも聞こえるピアノ線のような声が人気を集めている有名Vsinger。
常に傘を指している、黒猫モチーフの悪魔。
登録者数二十万人を越える大物で、オリジナル曲カバー曲共にクオリティが高く、作詞作曲編曲イラスト等ほとんどの作業を自ら行う多彩さが魅力。
「qedに作ってもらえるなら嬉しいんだけどなあ」
朝の眩しい日差しを浴びながら、校内に入り、二年生下駄箱へ向かう。
数名の生徒が和気あいあいと昨日見た動画や部活の面倒くささなど他愛もない話をしている。
そこをすり抜けて、誰とも目線を合わせずに下駄箱でローファーを脱ぐ女子生徒が一人。
「おはよう土井さん」
片方イヤホンを外して、声を掛ける。
彼女は返事なく、面倒くさそうにこちらを睨んで、すぐに自分の下駄箱に視線を戻した。
年中冬用のブレザーと黒タイツを着用している黒髪ショートの同級生。
身長は低いが、目つきの鋭さと言葉数の少なさによって威圧感が生まれている。
小さな体格と怒ったような目つきには小動物的な可愛さがあり、隠れファンが多いとかなんとか……。
いつも一人の隣の席の女の子。
友達の少ない者同士仲良くできるかと思ったのだが、上手くいった試しがない。
内履きを取ろうとして、持っていたイヤホンが手からすり抜ける。
「あっ」
既に履き替えた土井の足元まで転がったそれは、ゆっくりとした所作で拾い上げられる。
僕とイヤホンを交互に見て、状況を理解したらしい彼女は僕の手の中に落とした。
「あ、ありがとう」
いつもより鋭い眼光でじろじろとこちらを見てくる……怖い。
「……音楽好きなの?」
怒ったような語気の強い声で尋ねた。
初めて土井から話しかけられた気がする、驚いていると答えを催促するように首を傾げた。
「割と好きだよ。ジャンルは限定的だけどね」
「何聞いてたの?」
「わかんないと思うけど、qedっていうVsi……アーティストの『
「クイド?」
目を見開いて不思議そうにする。
知らなくて当然だ、V界隈では有名人であっても世間からも同じ知名度を持っているなんて有り得ない。親分を知ってたら良い方だと僕は思っている。
「もしかしてQEDって書くqed?」
「え!?知ってるの!?」
自分でも信じられないくらい大きな声が出た。
周りの注目も集まり、土井さんも白い目を向けている。
狭い界隈にいるとリアルで同類を見つけたときにデカイ声が出る、気を付けよう。
「……知らない、けどそうなのかなって思っただけ」
「そっかあ……けど良曲ばっか作る人だからもし良かったら聞いてみて」
引き気味の土井に傷付きつつ、話を終わらせる。
もっと話したいことはあったけど、あんまり布教しすぎると引かれるしなあ。
「土井さんの好きな音楽も教えてよ。こっちばっかり語るのも悪いし」
二人で教室に向かいながら、土井は自分の好きなジャンルについて話してくれた。
土井は僕よりもずっと音楽への造詣やこだわりが深く、熱が入って専門用語だらけになり何を言っているのか分からない程だった。
「ごめん土井さん、素人にも分かるよう説明してほしい」
「えっと……暗くて、電子音多めな曲がずっと好き。今はシティポップとかチルポップが好き、ミーハーかもだけど」
シティもチルも聞いたこと無かったけれど、笑って誤魔化した。僕は素人未満らしい。
「ここらへんの曲、いいよ。多分気に入る」
土井は自分のスマホを取りだして、音楽アプリの履歴をスワイプする。
「へえ……全然知らない人ばっかだ。ありがとう」
そう言えばqedの曲も暗くて、電子音多めな曲ばっかだったな。
「やっぱりqedオススメだよ、気に入ると思う」
「そ、そうかもね」
気まずそうに視線を逸らす。布教がキモがられてると思い、静かに傷付いた。
階段を二人で昇る。
話しかけることは多かったが、いざ雑談となると話すことがない……気まずい。
「土井さんっていつも一人だよね」
「あなたもね」
話題下手くそか僕。
「今日一緒に昼ごはん食べない?毎日ぼっち飯はキツくて」
「…………」
「なーんて誘ってみたり、冗談だよ冗談。あ、教えてもらった曲聞いとくね。あははは……」
「いいよ」
足を止め、数歩先を歩く土井を見つめた。
「いいの?」
「私も一人で食べるのは寂しいし」
そのとき彼女の射殺すような目つきは少しだけ優しくなったような気がした。
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