40.編集開始

「よし、土井から動画を早めに出す許可は貰った」

 スマホに表示されたレインのタブを消して、二人に伝える。

「知り合いの人外たちには大体脅はk……じゃなくてお願いしたからいっぱい宣伝してくれるはず」

 この天使脅迫って言った?

 疑いの目を向けると白崎はふいと目を逸らし、その視線の先にはえへろろん先生がいる。桃色のツインテールを揺らしながら、両手でスマホを操作していた。幼女過ぎるなこのアラサー。

「吾輩も友達の配信者と絵師たちに引リツするよう言っておいたのじゃ。いざとなったら無限にファンアート描くから安心せい!」

「先生!やっぱり頼りになるのはえへろろん先生だ!」

「ふふーん」

 ふんぞり返る先生、可愛い。

「でもここから先はラムネちゃんの出番じゃからな。期限は一週間、編集頑張るんじゃぞー?」

「いえ、一週間じゃないですよ」

 白崎と先生が首を傾げる。


 確かにエレノアから提示された期日は一週間、けれど丸々時間を使うのは遅過ぎる。

 MVが『あの天使の動画』より拡散され、話題にならなければ作戦は失敗になってしまう。

 いつ話題になるか分からない以上動画投稿からの時間は長ければ長いほど良い。

 いや一週間でも十分短いんだけどね?

 短いからこそ、これ以上日数を掛けるわけにはいかない――天使の目撃情報の鮮度が落ちない前にあやかる必要があるのだ。

 つまり動画編集には時間をかけられない。

 けれど時間をかけないとクオリティが上がらない。


 そこから導き出される結論は、

「二日です、正確には四十八時間。寝ずの作業でどうにか仕上げます」

 誰かに頼めるほどお金はない、クオリティを上げるための日数も乏しい。

ここからはマンパワーの時間である。


「言われてみればそうだわ。いっつも歌ってみたの編集どのくらい時間かけてたっけ?」

「二週間ですね」

「いける?ねえいける?」

「大丈夫だって、アドベ君とずっ友の僕が出来ないはずないだろ。素材はあるし、音源も出来てる。お誂え向きにここまで用意されてやれないって方が無理だ」

 胸を張る僕に白崎は変わらず不安そうな顔を見せる。

 ま、心配だよなあ。


 ぽんと。

 白崎の頭の上に手を置く。

 艶のある白髪が透けるように指の間を通り、撫でる。

 何度も手入れをした髪の毛なのに不思議といつものような感覚ではなかった……ドキドキするというか、緊張するというか。

「何の真似?」

「頭を撫でられると不安が和らぐと聞いたことがある」

「そんな理由かよ、ばーか」

 彼女と僕の身長はそんなに変わらないから、目線を合わせながら頭を撫でるというなんとも不器用な状況になってしまった。けれど頬赤く俯く白崎は満足げだ。

 目的達成できたのなら恥ずかしい思いをした甲斐があるというもの。


 ずぼっ。

 僕と白崎の間に体を挟んだ先生は、

「仲間外れやだー!吾輩の頭も撫でるのじゃー!!」

と言って二人の手を自分の頭に乗せる。

 言われるがまま撫でてやると「むふー」鼻息を荒くして嬉しそうにした。

「か、可愛すぎる……!」

「これがおじさんなんて絶対嘘。基本神は嫌いだけど、先生を幼女にした神だけは好きだわ」

「天使の台詞じゃねえ、全く持って同意するけど」




 一通りの談笑をして、二人と分かれ――部屋の扉を閉じる。

 右手にはコンビニで適当に買った食料と何本かのエナジードリンク、左手には淹れたばかりのホットコーヒー。

 暗い部屋、電気はつけないままパソコンの電源を入れる。

マグカップはテーブルの上、ビニール袋は足元に転がす。

 ファンの音が僅かに聞こえて起動した画面、すぐに編集ソフトを立ち上げた。

 スマホに目を落としアラームを付ける。

 普通のアプリでは出来ないから専用のタブを開き、今の時間から逆算して二日後の今、四十八時間後にセット。分読みでその時間は刻刻と減っていく。

 

 コーヒーにはまだ口を付けない。伸びをして「よし」と呟く。

 個人チャット、土井から送られてきたファイルの一つを開く。


 無題_依頼曲.wav


 そのファイルの下には題名は白崎に聞いて、と走り書きのように書かれている。どういう意図で聞けと言っているのだろうか……編集に支障が出るから早めに伝えてほしいんだけど。

 文句を言いながらイヤホンを付け、マウスを握る。

 ファイルを開くためカーソルを乗せて、

「な、なんか緊張するな」

 土井のことだから満足できない下手な曲を作ってこないことは分かっている、けれど僕たちの集大成がこれに乗っかっていると思うと、動きが鈍くなるのだ。

 これを開いたら編集が始まってしまう、重荷が自分の肩に乗っかかってしまう。

 一分、二分と時間を無駄にして、尻込みして――意を決して開く。

 


 臼裂の息遣いが聞こえる。



 暗闇の中ブルーライトだけが僕を照らす視界は明転して、白い花畑が見えた。

 いや違う、絨毯のような白い花畑は降り積もる白い羽だ。

 そこに暗い表情の臼裂が立つ、足からはじんわりと赤い液体が滲んで、羽を濡らす。

 リビングには血だまりが出来ている、ソファでは血だらけの臼裂ではない誰かが項垂れている。

 こちらを見る彼女の顔つきは飛び抜けた暗さ、悲痛に歪んでいた。

 臼裂の中で不安と心配と報復が積み上げられた瓦礫のように山になっている。

 それを蹴飛ばし、四枚の羽を広げて自分の気持ちを歌う。

 廃墟の中、差し込む木漏れ日がヘイローを初夏の葉のようにきらりと光らせる。


 声が聞こえる。

 口パクではない。

 彼女の気持ちが聞こえる、歌詞が心に染み込む。

 そっか、そうだったんだ。


 ハンバーガーを食べるのが下手な臼裂は口にケチャップをいっぱいつけて笑う。


 僕はずっと、この気持ちは自分だけのものだと思っていた。

 一方通行で吐き捨てるべき、気持ちの悪い妄想だとばかり。

 

 動き出すエレベーターの中、顔を赤くして臼裂は怒っていた。


 胸が苦しくなって吐き気のようなものも混じってくる、淡い気持ちは色濃く顕在する。

 あのおとぎ話、僕がなんて言葉を掛けるべきかをようやく理解した。

 ずっと気付いていた、気付いていたのに自分の気持ちに蓋をして、活動のことを重要視して、臼裂を大事にして、白崎が見えていなかった。

 頼りになるのは白崎、守るべきなのは臼裂。

 そんな役割分担を、理解の棲み分けを無意識でしてしまっていた。

 僕が欲しいものはすぐそばにあった。理解するには遅過ぎた。


 臼裂がこちらを向いたまま、屋上から飛び降りる。

 曇り空、琥珀色の瞳には僕が映っていた、あの手を握らないともう会うことはない――


 ――待って!」

 咄嗟に手を伸ばしてディスプレイにぶつける。

「いったあ……」

 ひとしきり痛みに悶えた後、画面に傷は入ってないかを確認する。

 三分後半の曲は終わっていた。そうだ、僕は曲を聞いてたんだ、土井の作ってくれたオリ曲を試聴していたんだ。フラッシュバックする幻覚に惑っていたらしい。


 息が震える、耳が熱い、目から一粒の涙が流れて、現実は非情であると実感する。

 天使は目立ちすぎる、人間よりも、悪魔よりも、正しく輝くものに見入ってしまう。

 もし土井が注目されればこんなことにはならなかったのではないか、そんな馬鹿なことを考えて頭を振る。

 

 僕にはまだ白崎に言わなければならないことが残っている。

 こんなところで帰られるわけにはいかない、これからもずっとこっちの世界にいてもらわないと困るのだ。

 それは僕の為。臼裂の為でも、ファンの為でもない。

 いい加減で無遠慮な願いを許してほしい、リスナーの風上にも置けない望みを認めてほしい。


 僕はずっとあいつの隣に立ちたいんだ。


 マグカップに口を付けて、作業を始める。

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