19.バーチャルリアリティ

「ん……」

 目にかかる黒髪をはらい、小さく吐息を漏らす。

 薄く開いた視界はどこかの天井を映しており、目をこすって上半身を起こす――胸元までかけられたタオルケットが自重で折り曲げた腰まで落ちる。

 体が固い、手を尻の下に敷いてようやくソファで寝ていたことに気が付いた。

「あ、そか」

 錬村の家に来てたんだ。

 開ききらない喉で呟き、声に若干の違和感を覚える。ケアを怠ったせいだ、気を付けないと。


 寝ぼけた頭で昨日何をしていたのか思い出そうとして……微かに包丁の音が聞こえる、それに味噌の良い匂い。あとは誰かの声?配信見てるのかな。

 普段の一人暮らしでは聞くことのない他人の生活の雰囲気。

あくびを堪えて、視線を音と匂いへと向ける。

「お、起きたか」

「……おはようございます」

「おはよう。待ってろ、すぐ作り終えるから」

 エプロン姿の錬村はペースアップして腕を動かしている。朝ごはん作ってるみたい。

 起こした体をもう一度ソファにあずけて、枕代わりにクッションを頭に乗せる。スマホの電源を入れると、六時半くらいの早い時間を表示している。ツブヤイッター見よ。

「いつもこの時間に起きてるの?」

「まあなー」

「お弁当作って朝ごはん作って」

「そうだなー」

「大変じゃない?」

「もう慣れたよ」

 声はだんだんと近づいて、錬村は目の前のローテーブルに朝ごはんを並べていた。

「あっ」

 思わず声が漏れて、なにに反応したのか気付かれないうちにクッションに顔をうずめる。

 彼の首筋と耳、赤い歯型があった。多分私だ、やってしまった。

 記憶が無いのはそれのせいか……自分の顔が熱くなっているのを感じながら、足をばたばたと動かす。気を遣わせてるんだろうなあ。

何も言わない錬村に申し訳なくなって、「ごめんね」とクッションに向かって声を出す。くぐもったその言葉が聞こえるわけない。


 顔を上げると、錬村はもう箸を持っている。

少し大きなおにぎりが三つ、焼きのり、たくあん、めざしが二尾、お味噌汁に白湯のようなもの――それが二セット。

「……私の分?」

「それ以外に何があるんだよ」

「くのらの分とか」

「あいつはこの時間起きてこねえ、だから遠慮すんな」

 少しいたずらっぽく笑う彼に同じく笑いかけ、体を起こして味噌汁をすする。

「おいしい」

「そりゃよかった」

 わかめと豆腐のシンプルな味噌汁、素朴な味が体に染みる。

 手料理を食べるのなんていつぶりだろうか。少し冷えた体と末端が温まっていくのを感じる。

おにぎりをかじる、おかかだ。

 めざしは焼きたて。

 たくあんは苦手だったのに食べられてしまった。

「これ、はちみつ?」

 白湯を手に取り、もう完食しかけた錬村に尋ねる。

 少し黄みがかった甘くて暖かい飲み物。

「正解。はちみつ湯というらしい。喉に良いんだって」

「喉?なんで」

「荒れてそうだなって思ったから。お前らは二言目には加湿器だからな、喉くらい労わるよ」

 どうしてこの人はこんなに尽くしてくれるのだろう。

「じゃあ加湿器置いて」

「あいにくとそんな代物うちにはない。そいつでカバーしてくれ」

「ふふっ、そっか。がんばる」

 はちみつ湯を口に含んで、頬を温め笑う。

 朝ごはんにしては量の多いそれらは錬村との歓談のうちにぺろりと食べられてしまう。

 はちみつ湯のおかわりが無くなりそうな頃、錬村は立ち上がろうとした。

「ちょっと待って」

 エプロンの端を掴み、目を合わせる。

 別に迷惑そうでもなく首を傾げる姿に頭が真っ白になって、声を出さずにわなわなと口元を震えさせた。なんて言えばいいのか、一分くらい悩んで言語化を終わらせる。

「……昨日はごめんね。歯形、痛くない?」

「全然。むしろコーヒー酔いする人間を現実で見られて得した気分だ」

「そう、飲ませないようこれから気を付けてね」

「セルフチェックはしろよ!?」

 手をエプロンから離すと、彼は玄関の方へと歩いて行ってしまう。

「よかった」

 ちゃんと謝れて、禍根を残さないようにできて。

 さて、幸い登校まで一時間くらいある、”引っ越し”には十分な時間だ。

 時間を止められるから本当はいくらでも確保できるんだけど。

「悪魔ジョーク、みたいな」

 誰もいない部屋でにやりと笑う。



「今日はなんでこっちで食べるのー?歩きたくないよお、面倒くさいよぉ……」

「僕んちで作ったんだからしょうがないだろ。だらけるな、体重を預けるな、寝るな―!」

 リビングと廊下を隔てる扉が開いて、寝ている白崎、白崎を引きずる錬村が現れる。

 彼はぐでんと体重を預ける白崎をソファ――私の隣に座らせて、手早く朝食を用意した。

 開ききらない目をごはんに向けて「いただきます」とかすれた声で呟き、もそもそ食べ出す。

「毎日こうなの?」

「こうだな」

 ふつう逆じゃないのかな、と思ったが口には出さない。

 『幼馴染が起こして朝ごはんを作ってくれる』とこまでは合ってるのに。


「錬村誰と話してるの?あ、qedか。おはよ……qed!?なっ、なんでここにいるの!?しかもこんな早朝っ……はっ!!」

「正体見たりみたいな顔して僕を見るな。お前の想像するいかがわしいことは一切ない」

「そっか、そうだよね。お味噌汁おかわり」

「はいよ」

「あーっ!あーーーっ!首元と耳に歯形がある!!これもう言い逃れできない!!こいつらバーチャルリアリティしたんだ!!」

「VRはそんな意味じゃねえよ!?」

「突っ込むところそこじゃないよね」

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