2.お気持ちマロ
一時間程度の打ち合わせを終わらせ、白崎は溶けかけのアイスをすくう。
「それはそうと白崎さん」
「なに改まって」
「ボイスを録ります」
白崎は食べる手を止めて、信じられないものを見るような目こちらに向ける。
V界隈において、『ボイス』とはシチュエーションボイスのことを指す。VTuberが聞き手の恋人、または友人、または先輩等になりきって用意された台本を演技して読むもの。
アニメやラノベのボイスドラマに近く、同人の音声作品とほぼ同じようなものである。
無形グッズとして定番の一つで、演技力が無くても「頑張って録ったんだなー微笑ましいなー」と思って楽しめるので演者への要求値はかなり低い。
「え……普通に嫌」
「嫌じゃない、録ります」
「絶対に嫌っ!なんでそんな恥ずかしいことをしなくちゃいけないの!?」
「罰ゲーム」
びくりと肩を震わせて、目を背ける。
「な、なんのことかさっぱり」
「
烏丸は黒い中二病チックな和装のVTuber、ツッコミ気質で臼裂とよく夫婦漫才を繰り広げる、彼女の相方のような天狗である。FPSTPSの大会優勝実績があるくらい上手く、喋りも面白いので、カジュアル勢とガチ勢両方の人気を得ている。
「いやまだいけるね。あと一か月……いや二か月は大丈夫だ」
舐めたことを言うこいつにイラッとくる。
「お前一か月前も同じこと言ってたよな?ボイス関連のコメントこれから絶対増えるし、お前がそれに耐えられると思えないからここら辺で屈したほうがい、」
「うるさいうるさいうるさい!!私が『臼裂くのら』よ!!私の方針は私が決めるわ!!!」
「なにおう!?」
「ふしゃあーっ!!」
獣のように掴みかかってくる白崎と喧嘩が始まった――
――僕と白崎は小さいころからの親友で幼馴染である。
運良く二人共にオタク道へと足を踏み入れたため、なんだかんだ仲の良いままでいられた。
みんなの人気者で勉強ができてスポーツ万能、けれど家ではダメ人間。
彼女の素顔を僕だけが知っていることに優越感を感じていた時期もあったが、今はひたすらに応援したいという気持ちが強い。
白崎はオタクである。
僕がVTuberオタクに進化している間に、彼女は腐女子へと変貌を遂げた。
中学時代は推しカプの二次創作を舐めるように読み、好きが高じて生産も始めていたらしい。
中学生の僕は布教活動に余念のなかった――もとい一般の方にも誰彼かまわず「推しはいいぞ」と言い回る迷惑な奴だった。むろん幼馴染の白崎にも布教をしていた。
この子のこの配信が良かったとか、この切り抜きだけでいいから見てくれとか、ライブのクオリティが半端ないとか。
だいたい生返事か無視で布教が成功したことは無かったのだが、白崎は違った。
「なにこれすごい!私もなりたいっ!!」
すぐにこちら側に堕ちた。しかも予想外のハマり方だ。
今思えば、二次創作の小説やイラストを生み出す生産型オタクの彼女にとって、VTuberというコンテンツは自己表現の場としてドンピシャだったのだろう。
あれよあれよという間に絵師を見つけ、モデラ―を見つけ、機材も揃えていく白崎。
VTuberとして活動するにはお金がかかる――これですぐに引退してしまったらどうしようと焦りが募っていった。
沼に引きずり込んでしまった僕には彼女の活動を支える責任があると考えるようになった。
僕は『臼裂くのら』の壁でありたい。
隣に立つ同等な存在ではなく、数歩後ろで目立たず多少役に立つバックアップとして生きていきたいと思っている。彼女が本物の天使だろうと、その気持ちは変わらなかった。
僕は僕のやることを成すのみ――
――ふははは!!人間如きが天使に勝てるわけがないのよっ!観念なさい!!」
天使の姿になった白崎の足元に僕は這いつくばっていた。
惨めな完全敗北、僕のやるべきことが彼女に踏まれることだなんて思いたくない。
「人間如きに天使が本気を出すな!!そんなにボイス録りたくないのかっ!」
「そうよ、だって恥ずかしいから」
「僕は天使の姿になってまで勝とうとした今のお前の方が恥ずかしいと思うけど」
「何か言った?」と鋭い眼光で僕の見下してくる、天使化したこともあって普段見られない威圧があるような気がした。
「……分かったよ、やりたくないことをさせるのも酷だからな。もう言わない」
無言で白崎は足をのけて、ようやく立ち上がることが出来た。
「もう何言われても知らないからな」
「三年活動してるし、鋼のメンタルも既に入手済みだから。ヘーキヘーキ」
絶対どこかで爆発するから早めに収録した方がいいと思うんだけどなあ。
自信たっぷり白崎を不安に思いつつ、まあ本人が言うならとそこで解散した。
『これで全部読み終わったかな?明日はお仕事があるので配信は無しです!おつくのらー!!』
いやあスパチャ読みなのに程よく雑談していて実に良い配信だった。
今度は完全に配信が切れたことを確認して、感想ツイを呟く。
何があったのか、一つ一つ思い出して文章に起こしていって、
「お仕事がある?」
案件や依頼が来ていただろうか、もしくは外部との打ち合わせ……。
僕は臼裂のやりたがらない面倒事を引き受けているだけでマネージャーなどといった高尚なものではない。だから彼女が伝えていない、自分だけでできる仕事をいつの間にか引き受けて、いつの間にか終わらせている場合がある。今回もそれだろうか。
そんなことを考えていると、スマホが鳴る。
画面を見ると白崎からメッセージが届いていた。
『ボイス録る』
短く一言。仕事とはこのことを言っていたのか。
『急な心変わりだな』と返すと、十数秒して一枚のスクリーンショットが送られてきた。
「うわあ」
思わずドン引いた声が出る。
マシマロという匿名で応援メッセージや質問を投げかけられるSNSのサービスがある。
そこでは直接的な暴言や誹謗中傷はAIによってはじかれ、マシマロのような柔らかいメッセージしか届かない仕組みになっているのだが、その網を掻い潜り相手を傷つけるような内容を送る輩も存在する。そのマシマロは毒マロ、焼きマロ、クソマロと呼ばれ、的確に相手のメンタルを破壊してくる。
白崎が送ってきたスクショはいわゆる『お気持ちマロ』であり、その内容は「配信の罰ゲーム放置してる癖に烏丸に近づくな」と要約できる。
文字数制限ぎりぎりまで書かれたそれはお気持ちを通り越して呪詛、恵まれていることをありがたいと思えないのならとっとと辞めてしまえ、声が不愉快だ、プライドが高いのも癪に障る……と人格否定の域にまで達していた。
恐らく烏丸君のガチ恋勢からのものだろう。臼裂と烏丸のカップリングに人気はあるものの、一部の烏丸リスナーからは良く思われていないようだ。
『よく配信で触れなかったなえらい』
僕の返事を待っていたかのように、矢継ぎ早にメッセージが返ってくる。
『来週烏丸とタイマンコラボも入れた。こいつ〇す』
「Oh……」
マシマロなら即制限がかかりそうなことを平気で言いよる。
流石我らが天使くのら。アンチに屈することなく、カウンターを決める腹積もりだったとは。
親友の腹黒さに少し引きつつ、強かにVTuberとして活動していることを嬉しく思った。
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