36.エレノア・ウォッチャー

 脳に直接響く丁寧な声、テレパシーとかそういう類の能力なんだと直感した。

 そしてそれ以外聞こえなくなる……前にもこの感覚を味わったことがある、土井が時間を止めたのと同じ感覚。

 扉の前には全身鎧の女性が佇んでいた。

 教室の扉をくぐらなければいけない程の長身、一歩近づく度に威圧感が増す。

 体の大きさのせいだけではない――静謐で合理で秩序立った、完成形だと唸るほかない雰囲気が僕を吞み込んでいた。

 生物としての劣等感、白崎や土井では全く歯が立たない完璧さを目の当たりにしてしまう。


 白崎は彼女を見て苦虫を嚙み潰したような顔をする。

「やっぱり来たか……もうしつこいんだけど、いい加減諦めてくれない?エレノア」

『こちらもルールですので。規定を破れば罰が下ります』

 エレノア、と呼ばれた女性は鎧から金属音を鳴らし、兜の隙間から冷たい碧眼を覗かせる。

『管理人エレノアウォッチャー。臼裂様を天界規約違反により罰します』

「待って、ちょっと待って。どういうこと、えっ待って」

『少年、驚くのは無理ありません……いくら天使と知り合いとは言え、私のようなものを見るのは初めてでしょう』

「そんなこと気にしてないですよ!」

『そっそんなこと!?』

 その目、その声には僕は覚えがある。


 Eleanor Watcher

 白い鎧に身を包み、大剣を悠々担ぐ聖騎士。

 次元と次元を繋ぐ管理人で最近は異世界転移の手伝いをしている、早く仕事辞めたい。

 一周回ってこの世界のことに興味を持ち、仕事のストレスを発散するためアイドルになった。

 インディーズゲームが大好き。

 (公式HPより引用)


 つい先日登録者数が百万人に到達した海外企業VTuberで、英語ネイティブでときおりやる日本語配信はふにゃっふにゃで可愛い。初期は余裕ある態度を見せていたが、時間が経つにつれて弱弱しくメンヘラな一面を見せていき、そのギャップがもう……!もうさあ!!

「あの、間違えてたら申し訳ないんですけど、VTuberさんですよね……?」

『人違いです』

「あっそっかあ……そうですよねえ。本人なわけありませんよねえ、失礼しましたあ」

 爆速理解。

 プライベートだもんね、ファンに話しかけられるの嫌だもんね。配慮が至らなかったことに落ち込んでいると、エレノアが『言い過ぎてしまった』とわたわた動揺している。

「なに言ってるの?あんたの言う百万人登録者の御所で合ってるよ」

『臼裂さん!?』「白崎おまっ!」

 僕たちがお互いに距離感を計り、うまく話を逸らそうとしているのに……!


「え、なにその反応。私なんか間違ってた?」

「間違ってない、間違ってないんだけどさ。こうなんというか……個人勢と企業勢の心の距離みたいなところが出たなって。アイドルとストリーマーの違いが出たなって」

「個人勢舐めんなっ!?」

 どうするんだよこの空気。

 エレノアさん気まずくて何も言わなくなっちゃったよ……あっ目逸らされた。

 そりゃそうだよ企業だもん、僕ら以上にファンとの距離を考えてるアイドルだもん。


「僕その臼裂くのらの活動の手伝いをしている者でして……運営スタッフというかマネージャーというか、なんかそういう感じの人なので」

『あっそうでしたかすみません、なんか恥ずかしいですね。勝手に私のファンなのかなーって思っちゃって』

 そう自己紹介。その界隈内部の者と知ったときの安心感は半端じゃない。

 話題が分かる人を見つけたときのオタクみたいな速度で心を開く。

「いやいややっぱり業界の最前線を走っておられる方なのでチェックはしますよ。先日の配信面白かったです、インディーズゲー面白いですよね」

『分かってくれますか、そうですか、ではまた後程……話を戻しますね』

 定型文のような社交辞令を交わし、脱線した会話はゆるやかに原点回帰する。

 これで最大の危機は去った、はず。


「ねえ錬村、なんで嘘ついたの?誕生日記念も周年記念もグッズ買ってるよね、メンバー入ってるし、ガチガチのファンよね?英語エレノア見て勉強してるよね?」

「お前もう黙ってろ!嘘つけるようになったんじゃないのかよ!あーもう最悪だ、エレノアさんの顔見てみろすっげー気まずそうだぞ、もうこの上なく帰りたくなってるぞ!」

「いや……顔兜覆ってるから表情なんか読めないけど」

「兜越しでも表情を分かってこそエレノアリスナーだからな」

「この厄介オタク自分で白状しちゃったよ」

「はっ……!?」

 白崎、僕を謀ったな?


『もうそこまでいくと一周回って会えて嬉しいです。今後とも推して欲しいです』

「へあっ!?えへへ……ありがとうございます、めっちゃ好きです。推します」

「きめえな」

「あ?」

 睨み合う僕と白崎に喝を入れるようにエレノアは言葉を発する。重く、理知的な声。

『その口の軽さ、やはり意識が足りませんね。何度も注意したのにこの有様ですし……あなたには天界帰還を命じます。速やかに連行されなさい』

「天界帰還……ってはあ!?天界規約の最高刑じゃない!」

『度重なる規約違反の結果です。もう臼裂様が現世を訪れることはないでしょう』

 白崎はエレノアに殺気を放つが、彼女は意に介さない。

 淡々と読み上げられる内容に理解が追い付かない。

「ちょっと待って、規約違反ってなんですか。こいつなんかしたんですか」

『……いいでしょう。あなたにはこの事態を呑み込むだけの権利があります』

 気の利いた言い回しの後、エレノアは語る。

『私は管理人、この世と別世界を繋ぐ手伝いをしています。別世界とは異世界や魔界、天界等を指します』

「自己紹介文本当のこと書いてたんですね!?」

『嘘だと思ってたんですか……?』

 軽くショックを受けたような顔をする。いや嘘とは思ってないけど、そういう感じなのねって丸々信じてはないみたいな、ね?一体誰に言い訳してるんだろう。


『そして規約を順守させる役割も持ちます、違反者にはそれ相応の罰を下す。魔界規約「天使に加担してはいけない」に違反したためqed様は既に罰を受けて頂きました』

「だから連絡が取れないし、学校にも来てなかったのか」

 白崎が土井を探していた理由も分かる。

 この管理人に罰を受ける前に二人で対抗策を練ろうとしたのだろう。

『天界規約「人々に存在が知られてはならない」に違反したため、罰を受けて頂きます』

「人々……?そうか昨日のアレのせいで」

 天使が落ちた。

 ビルの上から落下する彼女は多くの人に目撃され、そのうえSNSを介し、収集不可能なまでに広まってしまった。インターネットが発展していなければこんなことにはならなかっただろう、一種の都市伝説として幕を閉じたはずだった。

 彼女が焦っていた理由は重罪を犯してしまったから。

 解決の難しい罪から逃げようとしていたから。


 あのとき土井のひと払いの術が解けなければ、というのは欲張りな話か。

 今彼女は自宅謹慎中で能力の制限もされているから、コミュニケーションを取ることはできず、真実を知ることは出来ない。

「ん?」

 能力の制限と正体不明の術解除……むむむ?

「すみません、土井の能力制限っていつしました?」

『昨日の午後です。詳しい時間は確かめないと分かりませんが』

「……もしかして昼ちょっと過ぎたくらいで、雨が降る直前くらいですか?」

『よく分かりますね、その通りです』

「スゥ……」

 まずいぞこれは、非常にまずい。

 隣に立つ白崎の肩が震えている、不安とか恐怖とかネガティブな感情ではなく――ひたすらに怒りで。爆発したように白崎はエレノアに掴みかかった。


「あんたかああああああああああ!!」

『ひぃい!?なっなんですか!?』

「あんたがもう少し能力制限のタイミング見計らってたら、こんな大事にはならなかったのよ!どうすんの!?ねえどうすんのこの状況!!私の人生がっ!一世一代のタイミングでそんなことするなよおおおお!!」

「落ち着け!ちょっエレノアさん怖がってるから!涙目だからやめてあげて!うおおおおお!こいつやっぱ力つええええ!」

 咄嗟に白崎を羽交い絞めにするが、力の差が歴然とし過ぎていて全く歯が立たず、マントのように体がはためいてしまう。

「なんで兜越しに涙目とか分かるのよ!んなもん知るかっ!こっちの方が泣きたいのに!!」

『そ、措置は自動的に世界が施すものであって、私が介入することはできないんです!きちんと気を付けないといけませんよって言うのが私の役割なので!お手伝いさんなんです!』

「じゃあ上司に言え!世界とかいう上司にあれは無効だって言いに行けえ!」

『だから自動的なんですって!人間の形をしてないし、そこに意思もないんですよ!私だって悪いとは思ってるんですけど、どうしようもなくて……!』

「どうどうどう白崎一旦人間性を取り戻せ、落ち着け」

 なんとか白崎を引き剥がして、羽交い絞めにしたまま距離を取る。

エレノアは半泣きで警戒心丸出しになってしまった。なんか本当ごめんなさいね。


「エレノアさん本当にやれることはないんですか?こいつはもう天界に帰るしかないんですか?」

『天使を見た人全員が忘れれば罰はなくなるはずです……難しいとは思いますが』

「猶予はないんですか」

『私の見立てだと一週間はあります。今日は警告と、自首勧告の為に来ただけなので』

「だってよ。まだやれることはありそうだぜ」

「……ぶっ殺すのはまた後にしてあげる」

 不服そうな白崎の物言いにエレノアは「ひっ」と小さく悲鳴を上げる。

「大御所を怖がらせるな。というかお前も能力制限されてるだろ」

 制限されてるのに僕を振り回せるとか、どんな馬鹿力なんだ。

『と、とにかく!一週間後には迎えが来ますから、では私はこれで!!』

 逃げるようにエレノアは教室から出て、止まった時間は動き始めた。

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