3、

 そんな中で一人、その例外の行動を取っている人がいた。

 それは舞香の後ろの席に座っている男子だった。

 とある授業の時に、彼が彼女の背中をシャーペンで突いて、芯を借りているのをカーヤは目撃した。

 しかも彼は次の日にはちゃんと彼女に芯を返していたのだ。

 室井宏太むろいこうた

 いつも気怠げにしていて、ボサボサの髪をして、彼もまた誰とも関わりを持ってなかった。

 朝学校にカーヤがきたら必ず既に自席に座っていて、移動教室や体育やトイレの時以外は全くその席から動こうとせず、机の上に置いたスマホをじっと見つめて、タブレットにペンで何かを描いている。

 彼からなら何か聞けると思った放課後。誰もいない教室で話しかけてみた。

「あの、すいません。ちょっとお尋ねしたいのですが」

 そう言って話しかけてみたが、宏太からの反応はなし。どうやら聞こえてないのだろうと思い、今度はもっと顔を近づけて、大声で叫んでみた。

「あの!すいません!」

 未だに喋るのに慣れてなくて、声のボリュームを思いっきり間違えて、彼女の声は宏太の耳につんざめく。

「うるせぇ!なんだよ!って、橘!」

 彼はカーヤの顔を見て驚き、教室の壁側に逃げるようにのけぞった。

 カーヤはその仕草に首を傾げる。

「私を知っているのですか?」

「お前、何を。ああ、そうか、記憶を失っているのか」

 合点がいったらしく、取り乱した心を落ち着けるように、一つ息を吐いた。

「私のことを知っているのですか?」

 そう言って、のけぞった時に机から落ちた宏太のスマホを拾い、差し出すカーヤ。

「まぁ、別にどうでも良いことだ」

 ひったくるようにスマホをカーヤの手から取り、宏太は青ざめた顔で言葉を濁した。

「綺麗ですね」

「はぁ?」

 突然のカーヤの言葉に首を傾げる。

「絵、綺麗ですね」

 どうやらタブレットを見て、そう言ったのだと気づいた。それと同時に室井は驚愕の表情を浮かべた。

「お前、本当に記憶がないんだな」

「何がでしょう?」

「いや、なんでもない。それより何のようだよ?」

 そこでようやく本来の目的を思い出すカーヤ。

「ああ、絹延舞香さんのことです」

「誰だそれ?」

「前に座ってる方です」

「ああ、あいつか」

「名前知らなかったのですか?」

「興味ないからな」

「名前も知らないことに借りものをしたのですか?」

 何のことだと、宏太は一瞬首を傾げたが、シャー芯のことだと思い当たる。

「まぁ、そうなるな」

 名前も知らない中で貸し借りをする。人間社会では借りものには借用書という、言葉だけじゃ反故にされるので、書面で約束を交わすというのを聞いたことがあっただけに、カーヤは驚きを隠せない。

「すごいですね」

「俺じゃなくて、名前も知らないやつにシャー芯を貸したのは絹延だろ?」

 ああ、そうなりますね。

「彼女が良い人だからですかね?」

「そんなこと、俺が知るわけないだろ。それよりもお前、何の用だよ」

「ああ、忘れてました。室井さんは呪いが怖くないのですか?

 それとも、呪いの解除方法を知っているのですか?なら、教えてください。皆様に教授しないと」

 突然話しかけてきたと思ったら、意味のわからないことを言ってきたカーヤに怪訝な表情を浮かべる。

「何を言っているんだ。お前」

「ですから、彼女の呪いについて、私は知りたいのです」

 そこでようやく合点がいった宏太だが、それでも彼女の質問は理解できなかった。

「お前、からかっているのか」

「からかっている?私が、室井さんに冗談や嘘をついて、相手の反応を見て、楽しむ行為のことですか?」

 何故かそんな説明口調で言われると、一気にその可能性が低く感じるから不思議だなと、どうでも良いことを思いながら。

「からかっているんじゃないんだな。じゃあ、なんでそんなこと聞くんだ?」

 その時がくりとカーヤは崩れ落ちた。

「おい、どうしたんだよ」

「すいません。話が難しすぎてついていけません」

 自分の質問に対して、どうしてそんな言葉が返ってくるのか、処理が

追いつかず、頭がショートしかけたのだ。

「お前、記憶がないというか。もはや別人だな」

 その言葉にガバリと起き上がり、カーヤは宏太に詰め寄った。

「そ、そんなに私は橘柚月さんじゃありませんか!」

 迫られて、またもや壁側に逃げるようにのけぞったが、それでも今にも触れそうなぐらいに顔を近づけられて、顔を赤くしながら、動揺する。しかしそんなことカーヤは全く気づいていない。

「とにかく、離れてくれ!」

「あ、すいません」

 また、ロボットであることを指摘されたと思い、取り乱してしまったことに反省する。

 宏太も深く息を吐いて、ようやく落ち着く。

「あの、話は戻すのですが、絹延さんは呪われているわけじゃないんですよね?」

「少なくとも俺はそう思っていない」

「じゃあ、どうして皆絹延さんに近づこうとしないのですか?」

「何でって」

 からかっているわけじゃない。それでも理解はできない。

 本当にわかってないのか?

 本当に目の前の女はわかってないのか。しかもそれがあの橘柚月だぞ。

 いや、そもそも橘なら、俺に話しかけてくる事態ありえない。

 その時だった。ほんの一瞬だった。

 目の前の女が橘柚月じゃなく見えた。

「‥‥‥お前は」

 しかし、すぐにかぶりを振って立ち上がった。

「決まっているだろ!」

 そう吐き捨てて、乱雑に鞄にタブレットを入れて、横を通り過ぎて行った。そして教室の扉を開けて、廊下に出た時だった。

「呪われたくないからだよ」

 そうボソリと言って、教室の扉を閉めた。

 オレンジ色に染まる教室。スピーカーからは完全下校を知らせるメロディが流れ始める。

「え、どういうこと」

 そんなノスタルジックの雰囲気とは裏腹に、益々困惑するばかりのカーヤだった。

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