第四章 人間って面倒

1、

 室井宏太むろいこうたはいつもクラスで一番早く学校に来て、最も遅く帰る。

 理由は二つある。一つは家が自営業をやっているので、朝イチから賑やかで夕方ぐらいまでそれが続くので、あまり落ち着かないし、手伝いをさせられる可能性があるからだ。

 そしてもう一つは静かな状態でクラスに入りたいからだ。

 既に喧騒がする教室に入ると何故か一気にやる気が起こらなくなるし、集中できない。出来るだけ自分が心地良い状態で一日を始めたいのだ。

 幸いなことにゴールデンウィーク明けぐらいまで話しかけてきたクラスメイトは一人も話しかけてこなくなって、こうやって集中した状態を持続できる。

 それで十分だった。

 なのに、最近彼の周りは少し賑やかになった。その原因は二人いる。

 一人は十月末に転入してきた橘柚月。そしてもう一人は。

「‥‥‥おい、なんのようだ」

「ヒィッ」

 宏太の机に手をつき、目だけ上を出して覗き込むようにして先ほどからこちらを黙って見ている絹延舞香にそう問いかけたら、彼女は涙目で悲鳴をあげて、沈んでいく。

 ここ数日。ほぼ二番目に教室に入ってきて、こうやって宏太をじっと観察してくるのだ。

 何も言わないので基本的に無視していたのだが、流石に数日間も続いたら目障りだ。

 彼女に話しかけるのはクラスの中でタブーとされているが、そんなくだらないルールに従うつもりはない宏太に話しかけることに躊躇いはない。

「何か言いたいことがあるのなら、さっさと声をかけろよ」

「だ、だって。室井君の顔おっかいないもの」

「だったら見るなよ!」

「ヒィ、ごめんなさい」

 前髪で隠れたエメラルドグリーンの瞳が滲む。まるで自分がいじめているみたいだと、宏太は盛大なため息をつく。

「お前は何か勘違いしているが」

「室井君の顔が怖いのは本当!」

 喧嘩売っているのか、こいつ。

「口を滑らさないように黙っているのかもしれないが、沈黙もまた相手を怒らせる要因だぞ」

「そ、そうなの!」

 なんで、そんなに驚くんだ。

「お前も、ロボットじゃないのか」

 冗談混じりに言ったその一言に、スッと舞香の顔から表情が消えた。

「そ、それ」

「あ?」

「信じる?柚月、いや、カーヤちゃんのこと」

 その問いに、あの日下山してから、立ち寄ったカフェでのカーヤ話が頭を過ぎる。

「体は橘柚月で、考え方や思考はロボットのカーヤという話か?」

「は、はい」

 絵を描く手を止めて、宏太は外に視線を向ける。来週から十二月だ。すっかり紅葉は枯れ果てて、街はクリスマスムード一色で、高台にある学校の四階にある彼の教室からは駅前に立つツリーがうっすらと見える。

「俺は納得している。むしろ、今まで突っかかっていた違和感が解消して、すっきりした」

「そ、そんなに橘さんとカーヤちゃんって違うの?」

 中学は一緒だったが、クラスが違っていたこともあって、舞香は橘柚月本来の性格を知らない。

「俺も遠目でしか見てないから、なんとも言えないが」

 そしてキッパリという。

「橘が絹延と仲良くしたいなんて思うこと、万が一つもないだろう」

「ううっ、ほぼ初対面の男に罵倒された。凹みます」

 お前もほぼ初対面の男子に大概酷いことを言っているぞ、と言いかけたが、呑み込んだ。

「‥‥‥そして俺に話しかけてくることもな」

 窓に映る宏太の顔は見て、舞香は心が痛んだ。

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