2、

どこか冷たく寂しい空気を切り裂いたのは、

「あ、舞香ちゃん!宏太さん大変です!」

 扉を開けて、叫びながら入ってきたカーヤだった。

「お、おはよう。カーヤちゃん?」

「はい、おはようございます。舞香ちゃん!」

 宏太は窓から視線を目の前に立つ少女に向ける。

「おい、俺のことを名前で呼ぶことを許した覚えはないぞ」

「大変なのです。宏太君」

 聞いちゃいない。

「お前、俺のことを便利屋か何かと思つてないか?」

「いえ、宏太君は私の大切なお友達ですが」

「‥‥‥‥‥‥」

 舞香にデコピンする宏太。

「い、痛い。なんで!」

「お前の視線がむかついた」

「ダメですよ、宏太君。女の子に手を出しちゃ。メッです!」

 一体、静かな朝の時間はどうなったのか。

 そして人差し指を立てて、こちらを叱りつけるカーヤを見て赤くなった頬を隠すようにそっぽを向く。

「それで、お前は今度何をしたんだ?」

「いえ、別に私が何かをしたわけではないのですか」

 舞香にはともかく、どうして自分にまでロボットであることをカミングアウトしたのか、その時はわからなかったし、今もわからないが、確実に彼女を助ける機会が増えた。 

 立ち上がるのに手を貸したり、宿題を教えたり、トンチンカンな発言を繰り返す彼女をフォローしたり。とにかく今となっては、宏太にとって彼女は厄介事を運んでくるトラブルメーカーになっているのだ。

 そして何より、その環境を受け入れてしまった自分に頭を抱える。

「じゃあ、何に困っている?」

 そしてまた今日も、彼女に手を貸そうとするような自分の発言を言った後に後悔をする。全く、どっちがポンコツなのか。

「来週から始まるテストです」

 舞香は首を傾げる。

「が、学期末テストのこと?」

「はい、そしてこれがこの前行われた実力テストの結果です」

 そう言って出されたテストの点数を見て、二人は絶句した。

 ほとんどが五十点以下なのだ。最小点数は国語の三十点。しかもそのすべての点数が古文、漢文で、現代文においては全滅だった。

「お前、ロボットじゃないのかよ」

 ロボットなら頭が良い。そこから出た言葉だった。

 でも。

「そんなわけないよね。カーヤちゃんだもん」

 気遣ったつもりで言った言葉なのだが。

「宏太君。これは私、怒って良いのですか?」

「ああ、まぁ、良いんじゃねぇ」

「えええなんで?」

 本当に何が不味かったのか、わからないという表情だった。

 しばらく二人で言い合いをしていた。その様子を見て、宏太が「他所でやってくれ」と思ったのは言うまでもない。

 あまり人と言い合うことがないので、舞香は息を切らしながら。

「つ、つまり、カーヤちゃんは私たちに、勉強を教えてほしいと?」

「はい、このままじゃもう一度、この学年をやることになるので」

 カーヤは編入生なので、成績をつけられる大きなテストが学期末テストと学年末テスト。

 この二つを大きく転んでしまうと、進級の望みは一気に低くなってしまう。

「わかった。この前のお礼もあるし、とことん付き合うよ」

「ありがとうございます。舞香ちゃん」

 不意に宏太は尋ねる。

「絹延って、頭良いのか?」

「この前の実力テストは学年三位でした」

 思わず言葉を失うカーヤと宏太。

「マジかよ」

「はい、友達がいませんので、家で勉強しかやることがなくて」

 しかもかなり悲しい理由。

「宏太君はどうなのですか?」

「え、俺は、その」

 目線を逸らす宏太。どうやらあまり良くないようだ。

「折角ですから、二人で舞香ちゃんに教わりましょう」

「いや、俺は良い」

 成績は良くないのだが、別にカーヤみたいに留年の危機はない。

「それに、俺は一人で勉強する方が良いんだよ」

「よ、よかったら一緒にやらない?」

 舞香にそう言われて、宏太は目を丸くする。まさか舞香まで乗り気とは思っていなかったからだ。

「お前、俺の顔怖いんじゃなかったのかよ?」

「こ、怖いけど」

 そこは否定しないのか。

「宏太君の顔は可愛いですよ!」

「やめろ。そっちの方がよっぽど嫌だ」

 舞香はおずおずと小さな声で告げる。

「でも、わ、私もちゃんとお礼したいから」

「ねぇ、一緒に勉強しましょう!」

 カーヤにじっと見つめられて、宏太は逃げるように視線を逸らしていたが、やがて諦めたように一つ息を吐いた。

「わかったよ」

「やった!」

 喜ぶカーヤ。

「お友達と勉強会、お友達と勉強会」

「と、友達と。しかも、い、異性と」

 何か目的を履き違えているカーヤと自分で誘っておいて、パニックになっている舞香を見て、こんなので大丈夫なのかと、宏太の心配は尽きない。

「それで、やるのは良いがどこでやるんだ?」

 最近三人でいることが増えたせいか、直接的なあたりはなくても、やはり視線が増えた気がする。

 舞香もカーヤも気付いてないが。

 これ以上クラスメイトを刺激すると面倒なことになりそうなので、学校では厳しい。

「そうなるとファミレスとかか?」

「ファミレス!」

「ファ、ファミレス」

 カーヤは目を輝かせて、舞香はまるで断末魔でも見たかのようなテンションだ。

「スタバ、ゲーセン、ファミレス。友達とのお立ち寄りスポット」

「あんなパリピが大量に集まるところ、行けるわけがありません!」

 どっちも自分が知っているファミレスじゃないと、宏太は思った。

 どっちにせよファミレスは無理なようだ。 

 とはいえ、図書館は声が出せないし。この寒空の下じゃ屋外は無理。と言うことは。

「誰かの家か?」

「お友達の家!」

「い、家」

 まるでリアクションゲームだ。

「舞香ちゃんの家は厳しいのですか?」

「う、うん。私のお母さん、在宅ワークだから」

「厳しい人ですか?」

「う、ううん。でも騒がしくすると、怒られるかもしれないから。カーヤちゃんの家は?」

「あそこは私の家ではないので。橘柚月さんの許可もなく上げるのはどうかと思います」

「そ、そうだよな。勝手はまずいよねよ」

 未だにカーヤがロボットだったと言うことを上手く消化しきれてない舞香だったが、こうもキッパリ言われると否定しづらいのも確かだ。

「じゃあ、後は」

 二人の視線が宏太に向けられる。

「はぁ、ダメだろ。第一、お前ら女子なんだぞ?男の家に来ることになるんだぞ?」

「何か問題でも?」

「べ、別に」

 どうしてそこだけ意見が合うのか。

 気づけばカーヤたち以外にも教室に人が入ってきた。

「とりあえず、この話は保留」

 と言いかけたが、気づけば目の前にカーヤの顔があった。どこでそんな表情を覚えたのか、どこか憂いな表情で、手を胸の前で重ねている。

「ダメですか?」

「いや、やっぱり、それは」

「‥‥‥‥‥」

 真っ直ぐ、覗き込むようにして、こちらを見つめるカーヤの視線から逃れることなんて宏太には到底できなかった。もちろん拒否も。

「‥‥‥わかったよ」

「やった!!!」

 喜ぶカーヤ。

「‥‥‥室井君って、カーヤちゃんに甘くない?」

 叩いてやろうかと思ったが、完全に否定できないからか、その手が動くことはなかった。

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