4、
「!!!!」
「な、なんで!」
畦野の暴挙に驚愕する二人。
しかし抗議しようとした口はそこに映る光景によって言葉を失う。
小さな部屋の窓のカーテンは閉め切られていて、真っ暗。光源は機械のディスプレイから放たれる光と点滅する赤いランプのみ。
ベッドがあり、そこに寝ているのは間違いなく橘柚月の体で、その頭には無数のコードが繋がっているヘルメットが被せられていて、そのコードは傍にある電子機器に繋がっている。モニターには心電図のように脳波の波形が映し出されている。そしてその機器から別に伸びたコードはベッドの傍にいる女の子の頭に埋め込まれている。
真っ白な肌は真っ白なワンピースに身を包み、肩口までの青い髪の女の子。手を膝の上に乗せて、目を閉じ、静かに座るその姿はまるで絵画のように美しく、思わず舞香も宏太も見惚れてしまう。
「ははは、流石思春期のオスだな。ロボットを見ても発情するとは」
思わず頬を赤くしてしまった宏太。
その姿をジト目で見つめる舞香。
羞恥心と、えも言われぬ言い草に怒りが込み上げ、宏太はビシッと畦野を指差す。
「これ、作ったのあんただろ。だったら、これはあんたの趣味になるんじゃないのかよ!」
吐口を変える。責任の転換をする。矛先を畦野に向ける。
「はぁ、これだからお子ちゃまわ!遥か昔からロボットは大型なら超合金。人型なら美少女だと決まっているんだ」
「はっ、つまりおっさんはダッチドール感覚でカーヤを作ったと」
「バカにするな小僧。崇高な俺の目的がお前みたいな青二歳に理解できるわけがないだろ」
「どうせ、カーヤのことを教育か何だかんだと理屈をつけて、家政婦扱いしていたんだろ!」
「な、なぜそれを!」
このゴミ屋敷状態で人が何年も生きていけるわけがない。つまり前までは片付ける人がいたのだと推理したら、当然にして辿り着く結論だ。
そんなアホみたいな言い合いを繰り返す二人だったが、一つの視線に気づいてそちらを見ると、舞香が真っ黒な瞳で二人を睨みつけ、それぞれ指差しながら。
「スケベ!」
「変態!」
どっちがどっちかは想像にお任せしよう。
「ほ、本当の女の子の罵倒はご褒美だと聞いていたんだが。怖いなお前の彼女」
「誰が彼女だ」
そんな二人に視線を送っていた舞香はゆっくりと部屋に入って、女の子の頬に触った。
「冷たい。でも、本当に肌みたい」
宏太も触ってみたいと思い、部屋に踏み入れたが。
「絹延君はだめ!」
「な、なんでだよ」
「男の子はだめ!」
理不尽だと思ったが、見れば見るほど人間にしか見えないロボットだった頃のカーヤのボディを見て、背徳感を覚えた宏太は触れることを断念した。
「しかし、あんた何者なんだ?それにカーヤって一体?」
AIという言葉は知っている。ニュースやSNSなどのメディア媒体から多少の知識を知っている程度の宏太でも、人間の体を操る人工知能が、規格外ということだけはわかる。
でも、見てしまったことには目の前の光景を否定することはできない。
畦野は机の上に置いていた鬼殺しを一気に飲み干した。グシャリとパックが潰れたそれをゴミ箱に投げ捨てる。といつても既に投入率110%のゴミ箱には入るわけもなく、また床に散らばる。
沈黙を突き破ったのは、おずおずと手を挙げた舞香の一言だった。
「あ、あの、その前にこの部屋片付けていいですか?」
畦野と宏太同時に睨まれて、たじろぐ舞香。
「だ、だって、カーヤちゃんがこんな
それにはとても納得のいく理由だった。どうせ座る場所もないんだし。
「おっさん。カーヤが起きるまでどれくらいだ?」
「おっさんて言うな。後四十分ぐらいだな」
「じゃあ、その間俺と絹延は部屋を片付けるから。あんたは邪魔にならないところで、できる限りのことを話してくれよ。
俺らを家に招き入れたのは、あんたも俺らに何か聞きたいことか、話したいことがあるんだろ?」
宏太にそう言われて、畦野は一瞬言葉を失ったが。
「アハハハ。口は悪いが、話が早い奴は好きだぞ」
「あんたに好かれても一文の徳もねぇよ」
で、でも。一応、カーヤちゃんの親だよ。と、耳打ちしてくる舞香が何言っているのか分からず、首を傾げる宏太。
そして二人は近くのコンビニでゴム手袋を買って、部屋の掃除を始めた。一時間じゃ気休め程度の掃除になると思っていたが。
「手際いいなお前の彼女」
彼女という部分は全否定なのだが、確かに手際が良いと宏太も舞香の動きに驚愕する。どうやら彼女は人とのコミュニケーション能力以外は随分スペックが高いらしい。
ちなみに舞香は話を聞く気はないらしい。
「難しい話はわからないので。カーヤちゃんはカーヤちゃんだし。
大切な話は後で掻い摘んでわかりやすく室井君に説明してもらいます」
そう言って掃除に専念している。
宏太はゴミの分別をしながら、畦野の話に耳を傾ける。
「端的に説明してしまえば、カーヤのボディ自体は俺が作ったが、そのボディを動かしている、人間でいうところの精神は俺が作ったものじゃない」
颯爽ととんでもない発言をされて、宏太は畦野を睨む。
「盗んだのか?」
「人聞きの悪い。俺が勤めていた研究所で処分されるものだったから、ちょっと拝借してきたんだよ」
いや、それ盗んだものだろう。
会社勤めの経験がない宏太でもそれぐらいはわかる。
会社の所有物は全て、会社の財産だ。それをゴミだろうと勝手に持ち出すことが許されないことは。
だが、今は目の前の男の過去の罪に対して興味はないし、このことを告発しようとも断罪するつもりもないので、話の先を促す。
「どうしてカーヤは処分されたんだ?失敗作なのか?」
「いや、完璧だ。完璧すぎたんだよ」
「完璧すぎた?」
畦野は遠目で危機のディスプレイに映る波形に目を向ける。
「カーヤは端的に言えば人間に興味を持ちすぎたんだ」
「興味を持ちすぎた?」
「ああ、食事の味や肌の感触。怒りや悲しみといった感情から人間の行動原理まで。ありとあらゆることに興味を持ってしまったんだ」
数年前のことなのに、つい最近のことのように思い出す。
研究者時代。一晩中、ディスプレイの向こうにいるカーヤの質問に答えた時のことを。
どうして人はお腹が空くのですか?
どうして人は眠らないとダメなのですか?
どうして人は誰かと一緒にいたいと思いながらも、一人でいたいと思うのですか?
どうして人は悲しくても、嬉しくても泣くのですか?
どうして人は異性との恋愛を応援しても、そこに年齢や立場が加わったら、一気に懐疑的になるのですか?
どうして人は言葉とは裏腹な態度をとるのですか?
どうして人は誰かに同意してもらいたがるのですか?
どうして、どうして、どうして。
くだらない質問から、ふと人間の畦野でも考え込んでしまう質問まで。
時々面倒だとは思った。でも、その時間を楽しむ自分がいたし、愛おしくすら思えた。
それなのに、他の研究メンバーも研究所の見解も彼女のことをよくは思わなかった。
「それはダメなことなのか?」
「自我を持ちすぎたロボットというのはいずれか人間の制御を離れる。その懸念からだ」
SF映画でよくあるロボットの氾濫というやつだ。
「そこはフィクションも現実も一緒なんだな」
「まぁ、どっちも人間の頭の中で作りあげたものだからだな」
宏太は分別していく。燃えない、燃える、プラチック、缶と。
「それで、どうしてあんたは皆が危険だと反対したものをわざわざ盗んだんだ?
そんなことをしたからには、おっさん今そこで働いてないんだろ?」
「博士と呼べ。もしくは畦野さんと。小僧」
「小僧じゃない。室井だ」
お互いに睨み合っていたが、畦野の薄い溜め息とともに再開する。
「面白いと思ったからだ」
「面白い?」
「ああ、それとあの時の俺にはとてもカーナが、一つのプログラムとして思えなくなっていたんだよ」
「惚れたのか?」
その一言にまたバカにしたような笑いをする畦野。
「なんで、お前らガキはすぐに人間の関係を惚れた腫れたの話に持っていく」
「複雑な感情を説明するよりもよっぽどシンプルでわかりやすい形だからじゃないか?要は説明の簡略化だ」
呆れたように、懐疑的な口調でそう言ったのだが、宏太の筋の通った話に一瞬虚をつかれた形になったが、納得したように頷いた。
「なるほど。確かに一理あるな。
まぁ、じゃあそれでいい。あの時俺はカーヤに惚れたのだろう」
「うわぁ」
「お前、本当に生意気だな」
「それで持ち帰った後、ロボットに閉じ込めて、家政婦のように、あるいは観賞用にしていたのに、どうしてそれで人の体を動かそうとか、そんな突拍子もないことを考えついたんだ?」
「‥‥‥‥」
話が早くて助かるのだが、なんか自分がバカにされているようで釈然としないながらも、話を続ける。
「一つはビジネスになるんじゃないと思ってな」
「金か」
「研究にも生きていくのにも金が必要だからな」
そこでふっと、視線がパソコンの傍にある写真立てに向いた。だが、宏太の角度からは光が反射して見えなかった。
「もう一つは治療法として確立すればカーヤの存在が世に役立つ存在になる。
人間がとても好きなあいつにとってはこれ以上の仕事はないだろう?」
「まぁ、確かに」
カーヤが人に険悪感を向けたところを宏太は見たことがない。
教室のルールを破って、自分達と話すようになっても、決してカーヤから離れようとはせず、宏太と舞香以外のクラスメイトとにもいくら無下にされても今でも積極的に話しかけている。
「そしてもう一つ。これが一番の理由だ」
一拍置いて、まるで遠い過去を見るように畦野はつぶやいた。
「カーヤの疑問に答えてあげたかった」
思わず手を止める。
「疑問?それって、さっき言っていた?」
畦野は頷く。
「さっきの疑問に答えるためには、人間になるしかないだろ?」
「‥‥‥人間になってもわからないような気もするが」
現に宏太もカーヤの質問に今までどれだけ答えてあげられただろうか。それぐらいに人間は複雑で何より面倒な生き物なのだ。
なにせ自分のことなのに、全く分からないからだ。
何に向いているのか。何を許せないのか。何に興味を持ち、何に険悪感を抱くのか。
自分のことなのに、宏太は全く分からなかった。
「それでも、カーヤなら見つけ出す。そう思った」
「だから、今回のことを?」
「ああ。まぁ、実験であり、知的好奇心でもあり、親心でもある。
どう捉えてもらっても構わない」
再び、分別する手を動かす。だが、宏太の脳裏にはあの時のカーヤを思い出す。
朝日を見つめる彼女の姿を。
どこまでも尊く、とても綺麗な彼女の姿を思い出しては頬を染める宏太に。
「どうだ?あいつは上手くやっているのか?」
「え、あ、いや」
いきなり話しかけられて、言葉を詰まらせた宏太だったが、何かを誤魔化すように咳払いを一つした。
「上手く、やっているんじゃないか。確かにとんでもない行動やとんでもない発言をすることもあるが、面白い子だと思われてるぐらいで、流石にロボットだと疑われるようなことはないよ」
「そうか」
まるで我が子のように微笑む畦野の姿を見て、本当にカーヤのことを一人の人間として扱っているのだな、と宏太は思った。そう考えると、どうしてあの襖を開け放ったのか、なんとなく理解できた。
「‥‥‥ただ、気になることが」
宏太は今日、カーヤを尾行した理由を畦野に説明した。
話を聞くと、畦野はしばらく考えるように俯いていたが、やがて目の前のパソコンのキーボードを叩き始めた。
「今、カーヤがやっていることは二つ。一つは橘柚月の脳にカーヤの意識をインプットさせるための機器の充電。これは長くても二日間しか持たなくてな。
そしてもう一つは前に充電してから、今回充電するまでの脳波のデータ収集だ。これを見てみろ」
そう言われて、宏太はパソコンの画面を覗き込む。酒臭いと思いながらもそこに映し出された脳波の波形を見つめる。
「早送りで再生する」
そういって、畦野がクリックした瞬間に二つ横に並んだ波形が右から左に動き出す。
「上がカーヤの波形。下が橘柚月の波形だ」
最初の方はカーヤの波形だけが活発に動いていたのに、最近になっては微細だが柚月の波形も動いている。
「原因はこれだと推測される」
「どういうことだ?」
畦野は深く椅子に深くもたれかかる。
「覚醒しつつあるんだ。橘柚月の意識が。それがカーヤのコントロールを妨害して、上手く出来ない。
体のコントロール機能から記憶や言語機能にまで」
宏太は訳がわからないまでも必死で話を頭の中で噛み砕く。
「つまり、二つの意識が橘の中で混在しているから、上手く体が動かないと?」
「お前、生意気なのに、本当に理解が早いな。まぁ、そういうことだ」
生意気は余計だと思いつつ、一抹の不安が宏太の中で過ぎる。
「これって、もし完全に橘の意識が覚醒したら?」
「治療完了だ。実験は大成功だ!」
嬉しそうににやける畦野。だが、そんなことを宏太は聞きたいんじゃない。
「カーヤはどうなる?」
畦野はまっすぐ、宏太を見つめる。
「消える。橘柚月の意識からすっかりと。
そして記憶の混在を防ぐために、橘柚月であった時のカーヤの記憶は消去させてもらう」
まるで最初からそうであったかのように、決まっていたかのように、あるべきものがあるべきところに帰るのは当然のことだと言わんばかりに、畦野の口調は冷淡だった。
その時、後方でゴミ袋がどさりと落ちる音がして、二人がそちらを見ると舞香が呆然と立ち尽くしていた。
「それってつまり、カーヤちゃんとお別れするってこと?」
言いづらそうにしていた宏太を置き去りにして畦野は淡々と告げる。
「そうだ。カーヤは消える。君たちと過ごした日々の記憶と共に」
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