第六章 ようやく辿り着いた感情。そして。

1、

舞香の様子がおかしい。

 そうカーヤが察したのは学期末テスト前だった。当初は教室がどこかピリピリしているのと、人間というのはテストや試練の前には緊張するものだと、知識として知っていたので、そのせいだと思った。

 現にカーヤもこれが、緊張なのかはわからないが必死だった。

 橘柚月の社会的地位を守る為にはテストで出来るだけ良い成績をとらないといけない。 

 舞香や宏太に教えてもらったし、努力もした。だけどいくら勉強しても思い通りに問題が解けない。覚えることが出来なかった。

 これが苦しむという感情なのだろうか。

 そんなことを考える余地もなく、とにかく目の前の問題を解くことに集中した。

 そしてテストを迎えて、結果が出た。

 決して満足いく成績ではなかったが、それでも普段よりはよく出来た方で、学年順位も上の方だった。

一段落ついたところで、改めて舞香の様子を見る。

 やっぱりおかしい。

 話しかけてもすぐに逃げるように去っていくし、目を合わせてくれないし、誘ってもすぐに何かしらの理由をつけられて、断られてしまう。どういう状態なのかはわからないが、避けられているということだけはわかった。

「私、何かしたのでしょうか?」

「‥‥‥さぁな。俺に聞かれても」

 放課後。いつものように絵を描いていたら、なんの前触れもなく当たり前のように近づいてきて、唐突にそう言ったカーヤにチラリと視線を送る宏太。

 こいつにはコピー能力でもあるのだろうか。

 目だけ上を机から出して、こちらをみるカーヤの姿は舞香そっくりだ。

 宏太はそう思いながら、机の隅に置いたカイロに手を置く。

 流石にそろそろ限界だな。

 今年も残りわずか。本格的に冷え込んできたこともあって、日が暮れてしまうと教室の空気はとても冷たく、手がすぐに悴んでしまう。

 そろそろ別のところを探すしかないかと思ってた時、その手に手が重ねられた。

「‥‥‥なんのつもりだ」

 カーヤは両手で包み込むようにして、宏太の右手をさする。

「こうやってすると、温かいと。わぁ、冷たいですね、宏太君の手」

「‥‥‥お前の手は温かいな」

 照れ隠しのように目を逸らしながらそういうとカーヤは子供っぽく微笑んだ。

「嬉しいです。ロボットの頃はずっと冷たかったので」

 思わず、宏太の頭の中でロボットのカーヤの姿がフラッシュバックした。真っ白な肌。整った顔立ち。今にも壊れそうな細い体。ピンク色の唇に艶やかな青色の髪。全てが頭の中に鮮明にフラッシュバックして、記憶を振り払うように、宏太は被りを振った。

「どうしたのですか?」

「‥‥‥いや、別に」

「嫌いになってしまったのでしょうか?」

「そ、そんなこと」

「舞香ちゃん」

「あ、ああ」

 思わず、滑りかけた口を止められたことを安堵したのと、少し気落ちしたという二つの感情が複雑に交差して、どこかやるせない気持ちを誤魔化すように深く息を吐く。

「心配するな。あんな馬鹿でも一人になりたい時や、色々考えたい時間があるもんだ。だから、少し時間を置くのも一つの方法だ」

「‥‥‥ なるほど。やはり人間というのは難しいものですね」

「お前も人間だろ」

「いえ、私は」

「‥‥‥こんな手の温かいロボット聞いたことない。それともあれか、お前熱膨張でも起こしているのか?」

 照れ隠しでそう告げると、しばらくカーヤは呆けていたのだが、ゆっくりと掴んでいた手を持ち上げて、自分の額に押し当てた。

「ありがとうございます。本当に宏太君には助けてもらったばかりですね」

 女の子にそんな愁傷な言葉をかけられたことも、手を掴まれたこともなく、その手がとても柔らかいとか、額がとてもすべすべしているとか、とにかく頭の中が無茶苦茶になり。

「そ、そういうことは気軽にやるな。というか、お前、それ借りものの体なんだろ?」

「あ、そうでした。確かに柚月さんに失礼でしたね」

 そう言って手を離すカーヤに向かって。

「そういうことは自分の体でやってくれ」

 と思わず口を滑らしてしまった。当然、それは後悔の波に乗って、宏太に襲いかかってきて。

「すまん。今の無かったことに」

 頭を抱える宏太にカーヤは首を傾げる。

「私の体でやったところで、全く温かくないですよ」

 私の体。

 その一言に再び、カーヤの体のことが宏太の中でフラッシュバックする。

「‥‥‥いや、十分温かいと思うぞ」

「いや、そんなことは」

「人に触れられて、温かいと思うのは何も体温だけじゃないんだよ」

 そう言って、何かを誤魔化すように、追求を逃れるために、宏太は立ち上がった。それと同時に最終下校時刻五分前の予鈴が鳴った。

 バックを持って数歩歩いたところで。

「‥‥‥帰るか」

 初めて、一緒に帰ることを提案されて、カーヤは満面の笑みを浮かべた。

「はい!」

 嬉しそうに自分の元に駆け足で寄ってくる彼女を見ては。

「まぁ、確かに辛いな」

こうやって、カーナと過ごす日々はあと少しで終わるのだから。

 ちなみに帰り着いた後に今日のことを思い出し、宏太がベッドの上で悶えたのはいうまでもない。

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