7、
「申し訳ございません」
「ちょ、どうしたの!」
家に帰ってくるなり、出迎えた玄関先で土下座をしている我が娘の姿を見て、柚月の母は困惑する。
とりあえず頭を上げるように促したが、それでもカーヤは頭を上げない。
「橘柚月さんの社会的立場の維持。それを目標にこんにちまで勤めてきましたが、維持どころか、マイナス評価になってしまっていて。
しかもあろうことに娘さんの体を毎日傷つけてしまい。本当に申し訳ありません!」
必死にサラリーマンのような口調で弁解する娘の姿を見て、ああ、この子は本当に柚月じゃないのね。と、柚月の母は改めて思った。
彼女は橘柚月さんであっても、橘柚月でありません。
いうならば動く別人です。
それでもあなたはこの実験に娘さんを被験体として、参加されますか?
初めて畦野に説明を受けた時のことだった。
メールの怪しさしかり。畦野の見た目。別人、実験、被験体。
全くこっちの好感を持たせようとしない言葉のオンパレード。
恐らく彼の素性に辿りつかなかったら、天地がひっくり返っても、こんな怪しげな実験に、ましてや大切な娘を参加させるわけがなかった。
「頭あげて、柚月」
しゃがみ込み、肩を叩いてようやくカーヤは顔を上げる。
「ゆづ、いや、カーヤさん。何もそんなに頑張らないで。
私はね、あなたが日々楽しそうに暮らしてくれる。それだけで満足なのよ」
「で、でも。私は柚月さんの体を借りて行動をしているので」
「借りて、とか柚月の為とかそんなことは考えていたら、いつまで経っても人間になれないし、人間を好きになれないわよ」
「人間を好きになる?」
「ええ、カーヤさん。あなたは人間でいることを仕事に思っている。
それじゃダメよ。一生人間に好きになれない」
思わず言葉を失う。なぜなら人間であることは仕事だというのが、彼女の認識だからだ。それを根底からひっくり返された。驚かないわけがない。
「じゃあ、どうすればいいのですか?」
小首を傾げるカーヤに柚月の母は優しい微笑みで答える。
「お風呂気持ち良い?」
「え、あ、はい」
「ご飯美味しい?」
「はい、もちろん」
「お布団、温かい?」
「はい、とても寝心地が良いです」
「それよ」
「それとは?」
「それが、あなたが、人間になるための一歩よ」
正直、よくわからない。
でも、さっきの返答は嘘などついてない。
「わかりました」
柚月は一つ頷き、ゆっくり立ちあがった。
「それじゃ、お風呂入ってきなさい。その後、一緒にご飯食べましょう」
「あ、はい!」
そう言ってカーヤは立ち上がり、着替えを取りに柚月の部屋へと向かった。
その日のお風呂はとても気持ちよく、いつもよりご飯は美味しくて、布団はとても温かった。
何にも解決してないのに。
それでも、次の日には鉛のような体が少し軽くなった気がした。
人間って不思議。
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