4、
宏太の部屋に入るなり、カーヤはキョロキョロと辺りを見渡した。
宏太の部屋は机とベッドとタンスがあるだけのシンプルな部屋だった。散らかっていないというより、物がないという印象だった。
「おい、あまりジロジロ見るなよ」
「いえ、男の部屋に入ったのは初めてで。え〜と、あれはどこにあるんですか?」
「あれって‥‥‥‥って、何聞いているんだお前!」
「カーヤちゃん。流石にそ、それはだめだよ!」
同じものを連想したのか、二人は顔を真っ赤にしながら、カーヤに詰め寄るが。
「絵はどこにあるのですか?」
「え?」
「へぇ?」
「絵描きの部屋のイメージとは随分違うので。ディーゼルも絵の具も散らばってませんし」
なんだそっちかと、宏太と舞香は安堵の息を吐く。
「俺は全部ペンタブで書いているから、ここに画材はない。下書きで、紙に鉛筆で書くぐらいだ」
「あ、そうなのですか。そういえば、宏太さんから絵の具の匂いはしませんね」
「カーヤちゃん。そ、そんなに嗅いでいるの」
「落ち着け、絹延。なんか、変な表現になっているぞ」
「む、室井君変態!」
「なんでそうなんだよ!」
真っ赤になった顔で言い合う二人を見て、カーヤは首を傾げる。
「ごめんなさい。ロボットの時、匂いはしなかったので、ついつい敏感になってしまって」
ぺこりと頭を一つ下げたカーヤは微笑んだ。
「だから、初めてお花屋さんをちゃんと楽しめると思って、つい舞い上がってしまって。ご迷惑をおかけしました」
花の楽しみ方は様々だが、やはり香りを楽しむものが多い。
ロボットの頃、花屋の前を通りかかって、眺めていたら店員さんに言われたことがあった。
「今の季節はこの花が旬なんです。どうです?素敵な香りでしょ?」
「‥‥‥‥はい、とっても」
とても心苦しかった。
ロボットにそんな感情あるのかと言われてしまったらそこまでなのだが、あの時のカーヤには嘘をついたという罪悪感があった。
「だから、今日は本音が言えてとても嬉しかったです」
にこりと笑うカーヤの顔から宏太は恥ずかしくなり目を逸らす。
「別に、好きな時に来いよ。親父達きっと喜ぶから」
「ありがとうございます!」
「さぁ、勉強するぞ。机持ってくる。って、お前はどうしたんだよ?」
今の今まで、宏太の家に来ることにカーヤが喜んでいたと、あらぬ勘違いしていたことが急に恥ずかしくなり、顔を覆い尽くして、しゃがみ込む舞香に声をかける。
「ちょっと放っておいて」
宏太は首を傾げたが、気にかける義理もなかったので、無視した。
宏太が部屋を出ていき、取り残された二人はしばらく黙っていたが、
「あ、あのね、カーヤちゃん」
徐に舞香がショックから立ち直り、口を開いた。
「はい、なんでしょうか?」
「あ、あのね、正直、まだカーヤちゃんがロボットだったってこと、信じてないわけじゃないけど、なんか上手く飲み込めてないんだ」
「それは当然のことだと思います。ロボットの頃も誰一人として、私をロボットだと疑いませんでした。
まぁ、深く付き合った人もいなかったのですが」
苦笑いを浮かべるカーヤ。自然な表情だ。とてもロボットだなんて思えない。
「でもね、その、カーヤちゃんがどんなのだろうと、親友であることには変わりないから」
「‥‥‥親友ですか」
「う、うん。嫌かな?」
カーヤは被りを振る。
「いえ、そんなことは決してありません。ただ、そのよくわからなくて」
「わからない?」
「はい、きっと嬉しい?んだと思います。でも、朝日を見た時も、先ほど皆様に話しかけられた時とも違っていて、だから、その、すいません。上手く言葉が出てきません」
その時、すっとカーヤの手に舞香は手を重ねた。
「だったらきっと、これから知っていくんだね」
「これから?」
「うん、冬が寒いことも、坂道がしんどいことも、朝日が綺麗なことも、お花が良い匂いすることも知ったように、これから知っていくんだよ」
「‥‥‥はい!」
「うわぁ」
どうしたらいいのかわからずとにかくこの気持ちを表現したくて、舞香に飛びついたカーヤ。そこに机を持った宏太が戻ってきて、カーヤが舞香を押し倒して、自分のベッドに転がっている光景に顔を引き攣らせる。
「お前ら、人の部屋で何をしてんだ」
それから宏太に事情を説明するという一悶着があったが、
「宏太さんにも飛びつきたい気分です!」
というカーヤの一言で、全てが解決した。というかそれ以上追求したら、またとんでも発言をされそうだったので、宏太はひくしかなかった。
そして本来の目的である勉強会が始まった。
あれだけ勉強会にはしゃいでいたカーヤもいざ始まったら集中して、勉強した。二時間くらいで休憩に入り、柚月の母が持たせてくれたバームクーヘンをおやつに一息ついた。
「宏太さんの絵を見せてください」
宏太はコーヒーカップ片手に怪訝な表情を浮かべた。
「はぁ、嫌に決まっているだろ」
「どうしてですか?」
「人に見せるために描いているんじゃない。単なる自己満足で描いているからだよ」
「?別に私はお金を払うと言ったわけでも、品評したいとも言ってませんよ?」
「いや、そういう意味じゃ」
「カーヤちゃん。きっと、恥ずかしいんだよ」
「お前、うるさいぞ」
「な、なんで室井君はカーヤちゃんには優しいくせして、私には手厳しいの」
「一言、いつも多いからだよ」
カーヤは熟考した。
「私の知っている限り、宏太君の絵は恥ずかしがるような、出来ではないと思いますけど」
「いや、そう言う意味ではなくてだな」
「じゃあ、どういう意味ですか?」
「ああ、もぅ、わかったよ!」
こいつわざとやっているのではないかと思うぐらいに、カーヤの問い詰め方は容赦ない。こうなってくると、もう逃げ惑う方が面倒だと学習した。
半ばヤケクソにタブレットのアプリを開いて、カーヤに渡した。
「ありがとうございます」
カーヤと舞香はタブレットに目を通した。
全て風景画で街の一角を描いていた。そして全ての絵に共通点があった。
「な、なんか、全部廃墟とか使われなくなったものとかばかりだね」
ボウリング場、カラオケボックス。スーパー、リングのないバスケットゴール。ワイヤーだけが残る公園のロープウェイ。
そしてどれもに舞香は見覚えがあった。
「こ、これ、全部この街にある奴だよね?」
「‥‥‥ああ、俺たちが小学生の頃はまだ普通にあって、営業していた」
「どうしてそのような絵ばかりを?」
カーヤに聞かれて、罰が悪そうに目を逸らしたが、真っ直ぐ曇りのない瞳で見つめられて、何かを諦めたように大きなため息をこぼした。
「笑うなよ、絹延」
「な、なんで私だけ」
自分の胸に聞け、と言い捨てて宏太は俯きながら語り出した。
「俺、小学生の頃、誰よりも絵が上手かったんだよ」
「いきなりの自慢話が始まった」
「トイレなら出て右だぞ。絹延」
「で、出て行けって、遠回しに言わないでよ」
「凄いです。人と人はそこまで通じ合えるものなのですね。私もそこまでの関係になりたいです!」
カーヤにあらぬ誤解をしてしまったことに二人とも罪悪感に苛まれ、誤魔化すように宏太は話を続ける。
「多くの賞を受賞したし、多くの人が褒めてくれたよ。
でも、小学校高学年の頃から、絵を始めてすぐの奴に抜かされたんだよ。
本物の天才って奴だよ」
「よ、よくある話だね」
「ああ、そうだ。どこにでもあるありふれた話だよ」
「それで、どうして廃墟を?」
カーヤの質問に宏太は被りを振った。
「わからない。わからないけど、多分縋り付きたかったんだと思う。過去の栄光に。それと同時に戒めたかったんだと思う。その栄光が過去のものだということを」
そう言ってから顔を上げて、カーヤを見据える宏太。
「人間って、そういうものなんだよ。
みっともなくて、面倒くさくて、努力することを嫌い、言い訳を探して、研鑽をすることを怠り、その癖望みは高い。人間って、そういうもんだよ」
しばらくの沈黙。だが、その間もカーヤは宏太から目線を逸らさない。だから、宏太も目を逸らせなかった。
やがて、ゆっくり口を開いた。
「正直、私には宏太さんの気持ちは分かりません。
その感情が嫉妬?からくる挫折や諦めや自己嫌悪というのは分かります。
でも、宏太さんの気持ちは分かりません。もしかしたら、これから知る機会があるのかもしれませんが、それでも今はわからないので、何も言えません。
私が今、ただ言えることは一つです」
そう言ってカーヤはタブレットの絵を宏太に見せるように掲げた。
「私は好きです。宏太さんの絵。
そして私は宏太さんが絵を描いてなかったら、あの美しい朝焼けを見ることもできませんでした。
私にとって、それが全てです」
そう言って、にこりと笑った。
宏太は何か言い返そうとしたが、喉につっかえて、言葉が出なかった。
「そ、そんなことじゃ、カーヤちゃんは離れないよ」
見透かされたように舞香にそう言われて、宏太は苦虫を噛み締める。
「ああ、もう。休憩終わりだ。勉強するぞ」
「誤魔化した」
「うるさいぞ。絹延!」
「だから、なんで私だけにいうの!」
そんな二人のやり取りを聞いて、カーヤはにこりと笑った。
「さぁ、頑張りましょう。あ、でも確かに人間は面倒ですね」
不意にそう言われて、思わず舞香と宏太は吹き出した。
ああ、確かに面倒。
そして時間はあっという間に過ぎて、解散の時間になった。
「柚月ちゃん。舞香ちゃん。またいつでもおいでよ」
「愚息をどうかお願いね」
「はい、今日はありがとうございました!」
まだ、多大な誤解をされているのではないかと思いながらも、そのことに全く気づいていないカーナの横で苦笑いを浮かべる舞香。
「さっさと解放しろ。暗くなるだろ」
「では、また」
そう言ってカーヤが振り返った瞬間。
「キャァ」
転んだ。見事なまでに。
「もう、相変わらずだなカーヤちゃんは」
そう言って手を伸ばす舞香。
「す、すいません」
「‥‥‥‥」
「どうしましたか、宏太君」
「いや、なんでもない」
言葉を濁した宏太にカーヤは小さく首を傾げた。
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