7、

 ずっと付きまとっていた橘柚月が変わった。

 いや、相変わらず付き纏ってくるのだが。

「絹延さんは本をたくさん読んで偉いです」

「絹延さんはとても綺麗な髪質をされていますね」

「絹延さんのお弁当はいつも美味しそうです」

「絹延さんは体が柔らかいですね」

 などなど今度は褒めちぎってくるのだ。

 確かにこんな綺麗な人に褒められるのは悪い気分はしない。しかし露骨に褒めてくるのはやはり気味が悪い。

 そして何よりいつの間にかカーヤが隣にいることが当たり前になっていたことが驚きだった。

 別に断らなかったわけではない。

 避けたし、逃げたし、隠れたし、物理的に心理的に直接的に傷つけない方法以外は全て試した。

 それでも彼女は諦めなかった。

 折れたわけじゃないけど、あまり強い拒否はまた他の人たちに詰められるのではないかと思っての距離感だ。

 一緒にいるけど、一緒じゃない。

 カーヤから話はするけど、舞香から話しかけることはないし、返事をする気はない。要は単に電車の席で偶々隣同士になった二人。疲れた時に話しかけてくるタクシーの運転手と客。

 馴れ合うことはもちろんしないし、何かが変わることも期待しないし、望まない。

 それでも、カーヤは隣にいることを辞めなかった。

 そして今日も彼女は隣にいる。

 わざわざ十一月初旬の屋上という誰も近寄らないシュチュエーションを選んだのに。寒がりだということも知って、わざと選んだのに。

 容赦無く北風が二人のベンチを通り抜ける。だけどカーヤは平然としている。

「いただきます」

 そう言って、カーヤはまるでお箸を覚えたてのような手つきでお弁当を食べていく。卵焼きを笑顔で食べ、梅干しを酸っぱそうに。プチトマトは少し苦手なのか、覚悟するように口に放り込み、一気に飲み込む。見ていて実に愉快で、うっかりしたら笑いそうになるので、必死に堪えた。

 舞香はコンビニや購買で買ったパンやおにぎり。

「よかったら、食べませんか?」

 そう言って、何度も食べるように勧めてくる。

「い、いいよね、いつも作ってもらえて」

 思わず、口走ってしまった。

 父親は単身赴任。母親は在宅ワークだが、ほとんど部屋にこもっていて、弁当を作ってもらったことのなかったこともあって、自慢されているのだと思ったら腹が立って、つい口を滑らしてしまった。そして言った後にすぐ後悔する。

 またやってしまったと思う反面、自身を納得させる。

 これでいい。

 これで離れてくれるのなら、願った通りになったじゃないか。

「いえ、自分で作っています」

 サラリとそう言われて、思わずそちらを向く。

「え、うそ」

「はい。あまりお母様に迷惑をかけるわけにいかないので」

 朝起きるのはとても億劫なのだが、流石に晩御飯と朝ご飯を作ってもらっているのに、お昼ご飯も作ってもらうわけにはいかなかった。

 研究所にいたときは畦野のご飯を作っていたこともあって、なんとなく作り方は覚えているし、料理を作るのはロボットの頃からあまり嫌いじゃない。

 もちろん、最初のうちは絆創膏が絶えなかったが。

それでも作り続けたのは、自分の作った料理がちゃんとした料理だということを確かめることができて嬉しかったからだ。母親に迷惑をかけることが後ろめたくて、初めたことだったが、作りながらつまみ食いするコトを覚えてしまったら、もぅ、辞められない。

「え?橘さんのところって、本当のお母さんじゃないの?」

 まるで他人行儀のようなその言い方に舞香はひっかかりを覚えた。

「いえ、実の母親‥‥‥になりますかね」

 なんだろう今の間はと思ったが、すぐに人様の家庭の事情に首を突っ込んだことを恥じた。

「ご、ごめんなさい」

 流石にそれは失礼だと思い、謝ったのだが。

「いえ、気にしないでください。それよりも話してくださり、ありがとうございます」

 頭を下げたカーヤを見て、本当にこの子は裏表がない。思ったことを素直に口に出している。多分私と友達になりたいのだって嘘じゃない。そう思えるようになっていた。

 だが、すぐに思い留まる。

 そんなわけないと。

 それにもし、ここでを受け入れたところで、すぐに彼女は自分の元を離れていく。

 自分の心のない一言で。

 だったら。

「‥‥‥‥目障り」

「はい?」

 舞香は立ち上がり、カーヤを睨みつける。

「あ、あなたみたいな偽善者。もぅ、うんざり。

 どうせまた、こちらが歩み寄ってきて、ある程度仲良くなったところで、突き落とすのでしょう?

 いつものように何かしらの理由をつけて。

 私はもう騙されない!

 あ、あなたたちのおもちゃにされるのなんて、もぅ、うんざり!

 私のことなんて、もう、放っておいてよ!」

 そう吐き捨て、舞香は屋上から立ち去った。

 カーヤはその背中をじ〜っと見送った。

 その日の放課後。いつも一緒に帰ろうと授業が終わったら近寄ってきたのに、その日はそんなことなく、舞香が教室から出て行っても、カーヤが席から動くことはなかった。

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