8、
「また、何か悩んでいるのね」
市民病院の病室。ベッドに横たわっている老婆は傍に座る舞香にそう問いかける。
「え、なんで?」
りんごの皮を剥いていた目線を彼女に向ける。
「わかるわよ。マイちゃんのことなんだから」
優しく微笑む祖母の顔を見て舞香は苦笑いを浮かべる。
「やっぱり、おばあちゃんには敵わないな」
「ウフフ、どういたしまして。
それでどうしたの?
まさか、私の願いごとのこと?
それだったら、そんなに気にすることないのよ。できたらでいいのよ」
「いや、そんなことないよ。おばあちゃんは私のお願いいっぱい叶えてくれたんだから、一つぐらいは」
と言ってもそちらの方もうまくいってない。それもまたカーヤに強く当たってしまった理由の一つだと思い、自分が嫌になる。
なんで、私はこんなのだろう。
苦虫を噛み締める舞香に祖母は微笑む。
「大丈夫よ。舞香ちゃんにも良いところいっぱいあるんだから。
きっと、それをわかってくれる人が現れるわよ」
「そんな人」
思わず脳裏にカーヤのことが過ぎるが、すぐに打ち消す。
あれはそんなんじゃない。
きっと、何がある。
じゃないと自分に声をかけてくれることも、優しく接してくれることもありえない。
「いないよ」
そう言って、舞香は立ち上がった。
「トイレ行って来る」
どうして自分がこんな気持ちになっているのかわからない。
ただ、自分は今後のリスクを、傷つく要因を振り払っただけなのに。
それなのに、どこかモヤモヤする。
間違ってはないはずなのに。
いつものように自分の気持ちを正直にぶつけたはずなのに。
口を滑らしたわけでもない。ちゃんと考えて本音をぶつけたはずなのに。
それなのに、どうして心は波を打って、揺蕩っているのだろうか。
トイレを済まして、病室に戻ると、何やら話し声が聞こえてきた。
ここは個室で舞香の祖母しかいない。彼女を見舞いに来る人なんて、今は舞香しかいない。
「看護師さんかな」
扉を開けた彼女の目に飛び込んできたのは。
「初めまして。私、舞香さんのクラスメイトの橘柚月と申します」
祖母に頭を下げるカーヤの姿だった。
「な、な、何してんの!」
慌てて、飛び込んだ舞香に。
「あら、マイちゃん。こんなに素敵な友達がいるんじゃない」
「お、おばあちゃんはちょっと黙ってて」
「友達?私は絹延さんのお友達なのですか?」
「ええ、お友達よ。喧嘩しても仲直りしたい相手はお友達よ」
「ち、ちが」
言葉が詰まる。
舞香にはとても言えなかった。
友達と言われて、キラキラと目を輝かせるカーヤの姿を見たらとてもじゃないが。
バツが悪くなり、口を紡ぐ舞香に。
「マイちゃん。柚月さんはあなたに謝りたいらしいわよ」
「あ、謝る?」
思わずスットンきょんな声が出る。
だって、舞香には謝られる覚えなんてないのだから。
「お昼はすいませんでした」
「え、お昼?」
「絹延さんを不快な思いにさせてしまって」
頭を下げるカーヤの姿を見ても、舞香にはよくわからなかった。
「な、なんのことを」
頭を上げたカーヤは小首を傾げる。
「私の失礼な言動が舞香さんを怒らせてしまって。だから、あんなに大きな声で私を叱責なさったのでは?」
舞香は言葉を失った。
だって、突き放す為にわざと酷い言葉を浴びせたのは自分の方なのに、それを自分のせいと言い、向こうから謝りに来たのだ。言葉を失うのは当然だ。
しかし、それを認めてしまうと今度は突き放す為に罵声を浴びせたと説明することになる。
あの感覚をもう一度?
しかも自分が友達だと知って、あんなに嬉しそうな表情を浮かべた子に。
『そんなわけないじゃない。あなたなんて友達じゃない』
そう思うだけで胸が苦しくなり、とてもじゃないが言葉に出すことはできなかった。
「それでは私は失礼します」
そうこうしているうちにやりたいこと、言いたいことを言ったカーヤは去って行こうとした。
「絹延さん」
「は、はい」
葛藤しているところに唐突に名前を呼ばれて、声のボリューを間違え赤面する舞香になんともないようにカーヤは告げる。
「今日はこんなところにまで押しつけて、重ね重ねすいません。
もし、よろしかったら、また学校でお話しさせてください」
一礼して去っていくカーヤ。
何か言わなければならない。でも、声が上手く出てこない。喋ろうとしたら、喉の奥で何かがつっかえて、言葉にならない。それでも、ここで呼びかけなかったら、私は。
どんどん遠ざかっていく、彼女の背中。
いかないで。いかないで。
「ま、待って!」
カーヤが扉を閉めようとした瞬間、舞香はそう叫んだ。
キョトンとするカーヤ。そして次の言葉を全く考えてなくて、頭が真っ白になる舞香。
「え、ええ〜と。ええ〜と」
目を回すように、頭をグルグルさせていた彼女がようやく口に出した。
「よ、よかったら、一緒に帰らない?」
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