6、

 最近、絹延舞香きぬのべまいかの周りで変化が起きた。

 交通事故に遭い、植物状態だったという子が転校してきた。中学の頃の柚月を知らない舞香にとって、他の子達が変わったと言っているのはよくわからないが、確かに変わった子だと思った。

 見た目に反してとてもドジで、時々よくわからない発言をするし、それでも諦めずに直向きに努力する姿にクラスメイトはもちろん舞香も凄いと思っていた。

 しかし流石に自分と友達になりたいと言ってきたのは予想外過ぎた。

 このクラスでの自分のポジションは夏になる前に決まっていた。

 きっかけはよくわからない。呪い云々は恐らく後付けだった。

 きっと、皆クラス全員仲良しこよしというのが気に食わなかったのだろう。ゴールデンウィークを過ぎてもクラスに馴染めなかった舞香がいつの間にか標的になっていた。

 もちろん、自分なりに改善の努力や友達を作る努力はしてみた。

 しかし彼女は時々つい本音を口に出してしまうことがあった。

 とある子が可愛いと言った言葉に周囲が同調する。すると空気が良くなり円滑に話が進む。

 ところが彼女はそんな場面でも、

「え、どこが可愛いの?」

 みたいな感じで口を滑らしてしまうことがあった。

 あると言ったところでないと言い、皆がこれが欲しいと言ったら、別の物を頼んだり、褒めて欲しいところで素直に感想を述べる。

 要は舞香は周りの空気よりも、自分の意思を優先してしまうきらいがあるのだ。

 当然、そんな子とは話したくないし、一緒にいたいと思う人は少なく、クラスの皆が舞香のことを無視しようとするのに賛同するハードルが一気に下がった。

 そして舞香は孤立した。

 のに。

「絹延さん。よろしかったら、お昼一緒にしませんか?」

「絹延さん。移動教室、一緒に行きましょう」

「絹延さん。よろしかったら、ここの問題教えてもらえませんか?」

 などなど。

 もちろん全てに無視をした。

 なんの為にここまでやってきたというのかという話だ。

 そりゃ孤立している今の状況を好ましいといえば嘘になるけど、物を隠されたり、落書きされたり、嫌がらせをされたり、そういうことをされるのが一番大変だ。

 だから、悪い方でも良い状態だったのに、このままじゃ更に悪化してしまう。

 だから無視をするしかなかった。

 だから。

「ちょっと、あんた何様のつもり。折角話かけてくれているのに」

 そんなことを言われたら非常に困るのだ。

「あ、え〜と、その、私と話すと呪われちゃうから」

「はぁ、何言ってんの!」

 いやいや、そっちが作った設定でしょ!

「というか、あんた柚月に何をしたの?」

「べ、別に。落とし物を拾っただけで、それ以外は何も」

「じゃあ、あんたに話しかけているのはあの子の意思だと言いたいの」

 それ以外何があるというのか。

 でかけた言葉を口の中で押し殺す。

 流石にこの状況で口を滑らすほど、愚かじゃない。というか内心は複数の女子に圧倒的な敵意を向けられ、睨まれ、言葉が出なかったというのが正しい。

 もしかしたら無口を貫いたせいで口が退化してしまっているのかもしれないが、それはそれで別に構わなかった。

「ウソ!あんたがたぶらかしたんでしょ!」

「そ、そんなこと、私にはできません」

「可能性はあるでしょ!なにせ柚月なんだから!」

 ナチュラルに酷いことを言うなと思いながらも、同時に理不尽だとも思った。

 自分の時は空気の読めない発言には今にも凍死しそうなぐらいの冷酷な瞳を向けられた。

 それなのに、カーヤの奇行には全くのお咎めなし。それどころか、好感すら持たれている。

 そんな理不尽に、きつく握った拳が震えるのは当然のことだった。

 だが、ここで怒りをぶちまけてしまうと、本当にこの教室から居場所がなくなる。

 そうなるともう学校に来られない。退学するしか道がない。

 それだけは絶対避けたかった。避けなければならない。

 だから。

「と、とにかく、私に話すよりも、橘さんに言ってください。私も迷惑しているので」

 そう言って逃げるようにその場をさる。

「何あいつ。何様のつもり」

「むかつく、えらそうに」

 そんな言葉を背中で受け止めながら、舞香はその場から去っていく。

 もちろん、カーヤには何度も言った。

 やめた方がいい。

 柚月まで、嫌がらせされる。

 流石に絹延に関わるのはダメだ。

 等等、中には震えて言ってくるものもいた。

 ここ最近のクラスの雰囲気が、カーヤのことを全肯定するものになっていたせいだ。

 もし、この行動まで空気がカーヤに傾いてしまったのなら、クラス全員が仲良しこよし。には、絶対ならない。

 必ず空気が次の生贄を求める。正常に流れるように。辻褄を合わせるように。

 そして今度は、それは自分になってしまう。そんな恐怖心からくるものだった。

 だが、流石に今回ばかりはそんなことになることはなく、カーヤと舞香二人のボッチがクラスに誕生した。


「ほら、言わんこっちゃない」

 今までこけたり、困っていたら、頼んでもいないのに、皆が寄ってきてくれたのに、誰も声をかけてくることがなくなったどころか、無視されるようになったと報告したら畦野は嘆息してそういった。

 そしてバカにつける薬はないと言わんばかりにそれ以上何も言わなかった。


「後悔している?」

 柚月の母にもそう報告したら逆にそう尋ねられて、ミートスパゲッテイをフォークに巻きつける手を止める。

「後悔?」

 前まではカーヤが何にわかっていないのか、柚月の母にはわからなかったが、今じゃすぐにわかるようになった。

「自分の過去の選択の結果、今があるわけでしょ?

 その選択が間違っていたかもしれないって、思うことよ」

 なるほどと。頷いてしばし熟考する。

「人間は後悔するのですか?」

「多分、人生の六割以上は後悔の連続で成り立っていると思うわよ」

「いっぱい後悔するんですね」

「そう、いっぱい後悔するの」

 スパゲッテイを啜る。

 人間になって、色々な物を食べてきたが、ミートスパゲッテイはかなりお気に入りだ。

 甘酸っぱくて、噛み締めるとどこかほろほろして、何よりスルスル啜るのが結構気に入っているのに、そんなに熱くない。

「よくわかりませんが、後悔していないと思います。

 でも、多分私は本当の寂しさも知らないので、もしかしたら後悔するかもしれません。そしたらどうしたら良いのでしょうか?」

「笑えばいいわよ」

 そう言いながら、柚月の母は彼女の口を拭う。スパゲッテイを食べる時が、一番手間がかかる。

 だから柚月の母もミートスパゲッティが好きになった。

「ありがとうございます。笑う、ですか?」

「そう。後悔先に立たず。過去の公開に囚われて、未来を憂いていたら、あっという間にその未来も過去になるわ」

「哲学っぽいです」

「そう?」

「お母さんも後悔の連続ですか?」

「もちろん」

 後悔しない日はなかった。

 こんな最もらしいことを言っているくせして、ここ数年間はずっと過去を悔やむ人生を送ってきた。

 どうしてもっと大事にしなかったのだろうか?

 どうしてもっと娘との時間を作ってあげなかったのだろうか?

 どうして近くにいたのに、ずっと遠ざけていたのだろうか?

 そんなことを永遠と心の中で自問自答していた。

「ダメな母親でごめんね」

「いえ、お母さんは良いお母さんだと思います」

「うふふ、カーヤちゃんに褒められちゃった」

「嬉しいですか?」

「うん、嬉しいわよ」

「絹延さんも褒めたら、喜びますか?」

「ええ、きっと喜ぶわよ」


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