5、
「好きにすればいいわよ」
「ほへぇ」
「あ、ごめんなさいね」
どうやら橘柚月は猫舌らしく、今も鍋焼きうどんを食べるのに、カーヤは苦戦している。
最初冷ましもせずにラーメンを食べた時は大惨事になり、数日間は舌がヒリヒリして、口の中の皮がめくれた。
「どういうことですか?」
柚月の母とこうやって食卓を囲むのにも大分慣れてきて、色々な話をするようになっていた。
学校でのこと。人間になった感想。柚月のことや最近ではカーヤがロボットだった時の話もするようになった。といっても研究所からほとんど出たことがなかったので、ロボットの時観たテレビの映像と人間になってから観たテレビの映像の違い。
どうして二人がマイクの前で喋っているのを観ているのか。
どうして、赤の他人の人生を観ているのか。
どうして、人がやったことを自分のことのように喜ぶのか。
その疑問が人間になって、少しずつ、なんとなくだがわかるようになってきたこと。
そしてそのことを言葉にすることがとても難しいことも。
そんな聞いていても楽しくなさそうな、実の娘なのだが、実の娘じゃない人の話を柚月の母は熱心に聞いてくれた。どれだけ遠回りしても、躓いても、意味が違っていても最後まで。最初から最後まで穏やかな笑みを浮かべて。
だからカーヤも喋る練習の意味も兼ねて、気づいたこと、思ったこと、なんでも話すようになっていた。
そして今日も今日のことを話した。
絹延舞香のこと。博士に言われたこと。そして未だによくわからない感情というもの。
「やはり、柚月さんのことを最優先に考えたら、クラスの皆に同調しとくべきなのでしょうね」
そしてようやく冷めてきたうどんを口にした瞬間に言われた言葉だった。
ようやく慣れてきたお箸をナスの形をした陶器の箸置きに置いて、一口水を飲んだ。
「どういうことですか?」
「そのままの意味よ。カーヤちゃんがやりたいようにやって良いと思うわよ」
「でも、それじゃ柚月さんに迷惑がかかるのでは?」
「別にいいわよ。私の娘がそんなことでへこたれると思う?
あの子は死の瀬戸際から奇跡的に帰ってきたのよ」
柚月の体には目立つというものはないが、事故の時の傷がいくつか残っているが、そこまで目立つところにもないし、大きな傷跡がない。
むしろカーヤになってからつけた擦り傷等が多いぐらいだ。
柚月の本来の脳が動き出した形跡は未だに見られないが、それでも五体満足で脳以外の後遺症もなく、普通に生活できているのは奇跡だろう。
「だから、カーヤちゃんが好きなようにしたらいいわよ」
「私が好きなように」
俯き、しばらく考えた後。
「私は多分、絹延舞香さんとお友達になりたいんだと思います」
真っ直ぐこちらを見る娘の視線を受け、母はにこりと微笑む。
「うん、じゃあ友達になってきなさい」
「はい」
そう言って誇らしげに微笑む娘の表情は大分柔らかくなってきた。
「あ、ストッ」
「あちぃ!」
冷まさずにうどんを口に含んだカーヤは悲鳴をあげた。
次の日、早速カーヤは舞香に話しかけることにした。
教室で彼女の机に近づこうとしたら、肩を掴まれた。
「何しようとしてんの」
鋭い視線を向けられた。
いままで何しても笑顔で受け止めてくれていた友達の刺すような視線に流石のカーヤも今からすることはきっとこういうことなのだろうと理解する。
あっさりと世界が変わってしまう。
昨日までの日常が日常ではなくなる。
それだけのことをするのだと。
それでもカーヤは止める気はなかった。
誰に頼まれたわけでもないし、決して楽な道ではないこともわかっている。
それでも、彼女は前に進む。じゃないとなんの為に人間でいるのか、意味がわからない。
「本当に呪われるのか確かめたいと思います」
その手を振り払い、クラスの皆が見ている中でカーヤは舞香に話しかけた。
「おはようございます」
突然話しかけられて、思わず持っていた写真を床に落としてしまった。
カーヤがそれを拾って、見ようとしたら舞香はその写真を彼女から引ったくった。余程見られたくないものだったろうと、カーヤは推測する。
「すいません。勝手に見ようとして」
「な、なに?」
エメラルドグリーンの瞳がカーヤを映し出す。
「初めまして。私、橘柚月と言います。絹延舞香さん。私と友達になってください」
スッと微笑む。我ながら自然に笑えるようになったと思った。
鏡の前で練習した。頬を引き攣らせて、人工皮膚とは違う。シリコンと全然違うプニプニの皮膚を動かすのはなんとも難しいことだった。
それでも頑張って笑えるようになった。渾身の笑みだと思った。
でも。
プイ。
無視された。
「‥‥‥‥‥」
無視されるって、結構くるものだと、最近つぶさに思い知らされるカーヤだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます