2、

「本当に良かったよ〜」

「う、うんごめんね心配かけて」

「よかったし!」

 涙を流して抱き合う柚月と舞香と仲良くするまで、一緒にいた中学時代の彼女の友達。

「おい、あれ、本当に橘かよ」

「まるで、別人じゃないか」

「いや、あれが中学時代のあいつ。むしろ最近がおかしかった」

「てか、あの二人。すっかり忘れられてて、うける」

 そんなクラスメイトの声に、二人は全く動じてないと言えば嘘になるが、それでも何も言葉を発することはしない。

「え、うそ。私あいつらと仲良くしていたの?ありえないし。あんな根暗な二人と」

 それでもカーヤの声でそう告げられたら、流石に答えたらしく。ホームルーム中に気分を悪くした舞香は保健室に行った。


「大丈夫か?って、そんなわけないか」

 1限目が終わり、保健室を訪れた宏太。保健の先生はいなかった。開けた瞬間にした薬品の匂いが鼻を突く。

 懐かしい匂いじゃなかった。何度か怪我をしたカーヤに付き添って来ていたからだ。

『同じ匂いでも、この匂いはいつまでも慣れそうにありません』

「‥‥‥‥‥」

 部屋を見渡すと二つあるベッドの中の一つが閉まっている。カーテン越しに呼びかけたが、反応がないので、カーテンを開けたら、毛布にくるまりながら、舞香は背を向けた。その背中は小刻みに震えた。

 宏太は肩で一つ息を吐き、傍に置いてあった丸椅子に腰掛ける。

 普段人に無関心で、クールぶっているが、それは本来の絹延舞香の姿じゃない。

 本当は脆く、動じやすく、とても不安定。でも、いざという時には行動力がある。それがカーヤを通じて知った彼女の本来の姿。

 そして自分もそうだ。ぶっきらぼうで、一人でいることを良しとしていたのに、二人でいる時間が楽しくて、あの時間が愛おしくて心を痛めている天邪鬼。

 だから、実直に告げることしかできない。

「戻るだけだ。あいつが転校してくる前のお前の日常に」

 たっぷりの沈黙。二時限目開始のチャイムが鳴った。それでも彼はその場から動かず、彼女の次の言葉を待ち続ける。

「‥‥‥宏太君も?」

 突然名前で呼ばれて、虚をつかれた。相当参っていると思った。

「ああ。お前、俺のこと怖いんだろ?」

「‥‥‥今は、あの女ほど怖いもなんてない。

 カーヤちゃんの声で変な声を発して、カーヤちゃんの綺麗な髪を無茶苦茶にして、カーヤちゃん綺麗な肌に穴をあけたあの女のことを私はバケモノにしか見えない」

 震えながらもはっきりとそこには憎悪がこもっていた。

 宏太は盛大にため息を吐いた。

「あれが本来の橘柚月の姿だ。そして切り離せ。あれはカーヤじゃない。俺らが知っているカーヤは研究所にいたあいつ、ただ一人だけだ」

 自分で言いながら実に薄っぺらい言葉だと思ったからだ。

 なぜなら宏太自身も全く納得してないし、舞香を励ませるほど、メンタルは強くない。舞香に見られてないことをいい事に、彼の手は小刻みに震えていた。

「失礼しま〜す。って、誰もいないじゃん」

 その時扉が開いて、保健室に入ってきた柚月に視線を送る宏太。そしてその視線に気づいて、柚月はニヤリと笑う。それは決してカーヤが浮べない笑顔だった。

「何、逢い引き中だった。これは失礼しましたね。授業中に良いご身分ね」

 扉を閉めて、物色し始める柚月の背中に問いかける。

「その言葉、お前にも当てはまるんじゃないのか?」

「私は怪我したから、絆創膏に貰いに来ただけ。

 てかさ、あんた達みたいな根暗な奴が学校で発情するとか、身の程弁えろって話よ」

 思わず握り拳を握りしめる。

 こんなやつのために。

 こんなやつのために。

 次の瞬間だった。舞香が飛び起きて、宏太の横を通り抜け、上靴を履くこともなく、柚月の胸ぐらを掴んだ。

「返してよ。返してよ。カーヤちゃん返してよ!」

「はぁ、何よこいつ」

「おい、やめろ。舞香!」

 慌てて舞香を止めにかかる。

「変な喋り方しないで!変な髪型しないで!カーヤちゃんはそんな子じゃない。ねぇ、返してよ。私の親友を返してよ!」

「意味わかんないこと言うなし、この根暗女!」

 取っ組み合いの喧嘩になりそうなところを、騒ぎを聞きつけ、先生が飛び込んできて、二人をなんとか引き離した。

「落ち着け。舞香」

 宏太に両脇を掴まれても尚彼女は止まらない。

「離してよ。私は、私は」

「はぁ、根暗には根暗がお似合いよね。室井も自分の彼女ぐらいしっかり躾ときなさいよ!」

「頼むから!」

 宏太の叫び声が保健室中に響いた。

 誰もがその声に動きを止め、彼に注目する。そして俯いていた顔を上げた。泣いていた。

 これから橘柚月がどんな人生を歩もうとも、どんな風に過ごそうとも、知ったことではないし、干渉をする権利がないこともわかっている。

 わかっている。わかっているのだが。

 カーヤ。人間には理性とか常識ではどうしようもない時があるんだよ。

「あいつはすげー頑張っていた。お前がいつでも帰ってきても問題ないように、頑張ってた。だから、頼むから、あいつの努力を無駄にすることだけはしないでくれ!」

 痛く、痛く。とても痛い叫びだった。

 宏太の叫び声に呆気に取られ、静寂に包まれた保健室に。

「うわぁぁぁぁぁんんん」

 舞香の泣き声だけが響いた。

「意味わかんないし」

 そう吐き捨てて、保健室を飛び出した柚月を。

「あ、こら。お前らも後で職員室にこいよ。話を聞くから」

 あの時は必死で我慢した。

 カーナも舞香も泣くんだから。

 でも、今回だけはどうしようもなく、宏太は舞香を後ろから抱きしめるようにして泣いた。彼女を抱きしめるその手には否が応でも力が加わった。

 この子だけは絶対に。

 十二月二十五日。ある意味二人にとって、絶対忘れられられないクリスマスになった。手にいれるはずの方が多いはずのクリスマスに、彼らは大事なものを失った。

 その日の未明から雪が降り始めた。シンシンとシンシンと。まるで二度と帰らない日々が、二度と戻らない日々が、風化するように、長年置きっぱなしにしているものに埃が被るように、雪が降り積もっていく。

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